「うはー…」

ガラリと開けた戸の向こう。外の様子に恋次は驚きとも諦めともつかぬため息を吐いた。
灯籠に灯る明かりに浮かび上がるのは、雪をかぶった岩肌や今にも凍りそうなほど冷たい床。身を刺すような冷気。
そして立ち上る湯気。

店の主人に風呂を貸してくれと頼んで案内された先は、雨よけの屋根だけがある半露天の湯であった。大人一人がゆったり入れるくらいの大きさのこじんまりとした檜造りの湯船の先には小さいながらも見事な庭園が広がっている。大きな大浴場のような豪華な造りではないものの、手入れの行き届いた清潔感のある空間は静かに入浴を楽しむ分には申し分無く、景観は多少暗闇と雪で隠れてしまってはいるものの、さすが白哉が贔屓にするだけはある。

衣服を落として踏み出せば素足に感じる冷たい感触に、思わず声を上げずにはいられなかった。
無理もない。時間帯を考えれば遅すぎる時間の入浴に加えまだ雪も降り続いている真夜中なのだ。
いくら鍛えているとはいえこの寒さは辛すぎる。鳥肌の浮く肌をさすりつつ、湯気立ち上る水面に手のひらを沈めれば、じんわりと少し熱すぎると感じる温度の心地よさに早く熱い湯に浸かってしまいたいと全身が栗立った。

体の汚れを落とそうと桶を手に取った直後の事であった。身体を清めたいというのに、恋次はその桶で湯をすくう事無く、顔を歪めて固まっている。

「…やっぱ、無茶だったか」

そうぼやきつつ庇うように擦るのはわき腹の辺り。
白哉に唯一晒さなかったその肌は、赤黒い色に染まっていた。

我ながらよく頑張ったと思う。
あの自己中な恋人を丸め込んで出来るだけ負担のかからない体位を陣取り尚かつ満足させる事ができたのだから。
上になる事が負担がかからないのかと聞かれれば、必ずしもそうでは無いだろうが、それでも唯一主導権を握れる体位なのは確かだ。本当ならば上に跨った恋次の好きにさせてもらいたかったというのが本音であったが、それでも普段よりは時間も短縮できたし、無理な体位を強いられたりする事も無くすんなり終わった気がする。
口淫や自慰やその他もろもろ、普段は強要されたって滅多にやってやらないのに。恥ずかしくてたまらないのに。

そう思いつつも途中で中断せずに頑張ったのは、珍しく白哉が自分を気遣ってくれたからだ。
仕事の片づけまで放り出し、不可抗力ではあるが道草を食った恋次は自らの責任で食事を逃した。それは職場の上司である白哉から「貴様が悪い」とお叱りを受けても不思議ではないのに。呆れはしていたが、それ以上にこんなにも気遣ってくれるなんて。
自分にも他人にも厳しいこの男が時折見せる気遣いやら、優しさやらは「滅多に無い事」だからこそ、恋次に対し極めて大きな攻撃力を持っている。
例えば、鍛錬中にうっかり肋骨を折る重傷を負っていたとして、急いで仕事を片づけた後に四番隊に向かわなければ悪化する事を分かっていたとしても、それを我慢してまで優しい恋人の誘いを受けたいと思う程には強力であった。
その結果、炎症を起こし始めた傷の痛みに耐えなければならないとしても、それはもう彼の自業自得である。

「あー、くそ。とりあえず寒ぃ、くそ寒い…」

痛みを堪えのろのろとした動作で湯を頭から被ってみても、冷えきった身体には大した効果も無く、本当はしっかり肌を綺麗にしてから入るつもりだった湯船の温かな湯気に誘われて、這うように肩まで浸かってしまえばもう最後。動けない。

腹の底から吐き出した溜息に混じるのは、閨事の後の倦怠感と安堵。温かい湯にじんわりと痛みが安らぐような気がして全身の力を抜くように意識する。
しんしんと降り積もる雪はもう地面に落ちた所で溶ける事も無く、その嵩を増してどんどん積もってゆく。きっと朝になる頃には雪だるまでも作れる程に積もっているのだろうか。
寒い情景を眺めながら熱い湯に浸かるというのは何と贅沢な事だろう。きっとぬくぬくコタツでアイスを食べる以上に贅沢な事だろうと暢気な事を考える。身体がほどよく温まってくる度に襲ってくる睡魔で瞼が重く、それだけで傷も白哉の存在もどうでも良くなってくるのだ。
ああ、もう何もかも忘れて眠ってしまいたい。

けれど、そうもいかないのだ。
このまま湯から上がった後は寝ている白哉に黙って店を抜け出して、四番隊の夜勤の者か、それか花太郎をたたき起こして何とかしてもらおう。これくらいの傷なら大して時間はかからないだろうし。直ぐに店に戻って白哉の体温で暖まった布団に潜り込んで、感づかれる事無く何も無かった顔をして共に朝を迎え出勤しよう。

「隊長にバレたら、何を言われるか分かったものじゃねぇからなぁー…」

浴槽の淵に顎を乗せるというだらしのない格好のまま、恋次は目を閉じたままポツリと呟いた。



「ほう…、失態の自覚はあるようだな」

背後からいる筈の無い声が響いた事に、あまりにも気が抜けていた恋次は、半歩遅れて悲鳴を上げた。
屋根に積もった雪が重さに負けてバラバラと瓦から滑り落ちてきたが、恋次は視線をそちらへ向ける事すら出来なかった。





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