呼び止めた上司の後ろをついてゆけば、これまた入った事も無いような料亭に連れてこられて、恋次は思わずたじろいだ。

「どうした」

普段ならば少し戸惑いながらも素直に付き従って店の門をくぐる筈の恋次の様子が少しおかしい事に気づき、白哉も足を止め振り返る。
もう隊舎に戻った所で暖かい食事にありつける時間帯では無い。ならばと融通の利くなじみ所へ連れてきてやっというに、白哉の目には恋次が店に入る事自体を躊躇しているように見えた。

「いえ」

だがそれも一瞬の事、何かを誤魔化すように首を振った恋次は少し距離の開いた感覚を埋めるように歩きだす。
そうして2人して温かな灯りの漏れる建物へと入った頃には綿雪はますますその質量を増やし、2人のさす臙脂色の傘を白く染め上げていった。
庭園の松の葉に積もっていた雪が重さに耐えかねて枝を揺らし、パラパラと音を立ててその下の池へと落ちてゆく。
それほどに雪は降り続いているというのに、暗闇の中ではそれすら2人の視界には入らなかった。

入るなり奥へと通された2人に直ぐ様熱い茶が出され、寛ぐ間も無く豪華な料理と酒が運ばれてきた。きっと白哉が事前に手配してくれたのだろう。
恋次には湯気の立ち上るボリュームのある食事が、白哉の前には軽い肴と酒が、注文するまでも無く次々と運ばれてくる。
暖められた部屋の居心地の良さと食欲をそそる料理にガツンと刺激されて一気に襲ってくる空腹感を満たすよう、恋次はいただきますと手を合わせた後夢中でそれらを胃の中に流し込んだ。
せっかく贅沢な料理の数々を味わえているというのに、それを楽しむ余裕も無くどんどん喉から胃へと通り過ぎてゆく。もう少しゆっくり咀嚼して素材の生かされた一品づつを堪能すればよかったと、それらを食べ終わりになる頃になってから酷く後悔したのだが、それはもう遅すぎた。

「満足か」
「あ、はい。すげぇ美味かったです」

あらかた皿も下げられて机の上は少量の器と酒だけになる。
食事を運んできたり飯をよそってくれた使用人ももう退室し、あとはお二人でごゆっくりという所。食事をする為にともされた灯りも消され、あとはゆらゆらと揺れる間接照明のような蝋燭が一つだけ。襖を開けた隣の部屋には布団も既に敷かれているようで、それを意識した恋次は初めて白哉が食事だけなく宿泊も此処で済ませるのだという事を自覚した。

(まぁ、飯も食わせてもらったし…)

そんな事を考えならが向かいに座る白哉の杯にお酌する。次に自分の杯にも酒を注ぎぐいと煽った。
燗のほどよく効いた酒はじんわりと舌と胃を熱くするようで、冷え切っていた肌も熱を取り戻しつつあるようだ。
だが、まだ決定的に何かが足りないと思う。

「今日は随分と大人しいのだな」
「えっ、いえそうゆう訳じゃ…」
「向かい合って酒を飲み交わすというのも、野暮ではないのか」

つまり向かい合って離れていないで自分の横に来いというのだ。いやに直接的な誘い文句に、恋次はしぶしぶといった風に座っていた座布団ごと白哉の横へと移動した。
正座した足が歩く度に少しだけじんと痺れたが、すぐにまた正座してしまえば気にならなくなる。

空になった杯を差し出され、またそこへ酒を注ぐと白哉はそのまま恋次の髪へと手を伸ばした。
ぐっと紐を引かれて解ける髪がお酌の体制で前かがみになっていた恋次の視界の隅に入ってくる。ゆっくりと注ぎいれるその仕草の邪魔にならぬようにと前髪を横へ掻き分けて耳の後ろへとかけてやりながら、白哉は気が向くままにゆっくりと、その柔らかな髪を梳いてやった。


「恋次」

呟くように囁かれる声音、それは戯れとも呼べる気まぐれ。そして、お互いの関係が上司と部下という括りでは無くなる瞬間でもある。
視線を上げれば薄っすらとだが笑みを浮かべる白哉の視線に絡まれ、恋次は急激に頬が熱くなるのを自覚した。

カチンと酒を注ぐ器が音を立てる。危うく取り溢す所だ。逃げるように視線を戻そうとしたがそれは遅く、するりと顎を掬い取られ背筋を伸ばすように引き上げられる。

「……っ」

手にしていた徳利を抜き取られ机の上に立て遠ざけるその動作すら滑らかで。触れるだけの唇が舌が割り込む、それだけが少々強引で。あっという間に白哉のペースに飲まれてしまっている事に恋次は焦った。
このままではマズイのだ。

「隊長。俺、…まだ風呂にも入ってな…」

息継ぎの合間のささやかな訴えも、腰の紐に手をかけ解こうとする目の前の情人には届いていない。いや、むしろ水を差す発言には耳など貸さぬとでも言いたいのか。少々手荒に乱された袴の隙間から侵入する指は薄い皮膚をもどかしく動き回る。

「…たいちょ…っ」

どうしよう。そう考えてもどうしようも無く、恋次は白哉の髪を掴んだ。
嫌ではないが、良くもない。
少々抵抗するように貴族の証である髪留を掻き毟れば、容易く外れた其れが畳の上に落下して音を立てる。
自分の頬へ落ちてくる滑らかな前髪がこそばゆい。
乱し返した事で合意と受け取ったのか、首筋を這う舌は更に衣服に隠されたその奥へと侵入を試みるように積極的に動く、其れを恋次がようやっと手で制した事により、白哉は渋々顔を上げた。

「何だ」

眉間には不機嫌げに皺が寄っている。
一食の礼は体でと、そのつもりで連れ込んだこの店の中。想いの通じ合っている情人同士、何も問題など無い筈なのに直前で半ば待ったをかけられたのだ。当然流れる沈黙は重く、思わず恋次はたじろいだ。

「あ、その、…今日は、俺が」

ごもる声と反らした視線。
脱がされた袴はその侭に襟合わせを隠すように整えたのを、白哉は見逃さなかった。





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