神獣の呪いと鬼神の想い人について 四




大焦熱地獄の一角にある普焼山。
そこは絶えず地表から炎が吹き上がる灼熱地帯である。

夜には業務終了となる閻魔殿と違い、刑場では24時間交代制で呵責が行われており、今も現在進行形で絶えず亡者の呻き声や悲鳴が響いている。
此処では主に炎の中を歩かせる事が刑罰であるので、獄卒の仕事は主に亡者が脱走しないかの監視だ。
もちろんその後には獄卒手づから呵責が待っているのだが、それは呵責担当の獄卒の役目であり脱走でもしない限りは監視担当が直接手を下す事はない。
力仕事で無い分楽な仕事ではあるのだが、その分とても熱いのがここを任される獄卒の不満の種であった。

「熱っちーな!何でこんな所に休日出勤ないんだよ!!しかも夜勤とかありえねー!!暑い!暇だ!眠い!!」
「鳥頭が勝手に調整中の機械を弄って爆発させたのが原因だろ?弁償じゃなかっただけマシなんだし、巻き添え食らった俺の身にもなれよ。せっかく今夜はチャイニーズエンジェルの再放送があったのに…」
「再放送だろ?それに録画してるならいつでも見れるじゃねーか」
「リアルタイムで見るからこそ価値があるんだよ!今日はエンジェル群青の必殺技にまつわる悲しいエピソードがな…!」
「あー、へいへい。それ百回くらい聞いた」

燃え盛る大地で監視をしていた鳥頭と蓬は周囲に誰もいないのを良い事に、雑談に花を咲かせていた。
もちろん同僚に見つかれば怒られるので、そっこりとサボり中である。
蓬のオタク愛溢れる話を心底どうでもいいという顔をしてあしらった鳥頭は、大きな欠伸を噛み殺した。
見ているだけの監視という仕事は暇で暇でしかたがない。
何もしない立ち仕事の上に暑さが拍車を掛けて、もはや我慢大会という言葉の方がしっくり来る気がする。
そんな時間は普段の何倍も時計の進み具合が遅く感じるものだ。

「終わったら速攻で八寒特製かき氷食いに行こうぜ!!」
「前回それで腹を壊してなかったっけ?」
「う…いや、前は元々調子が良くなかったんだよ。今日は大丈夫!」
「それよりも俺はキンキンに冷えたビールかなぁ」
「いいな!刺し身食いたい!」
「とりあえず冷奴は頼むよな!」
「枝豆も忘れるなよ!」
「冷酒!」
「焼酎!」
「酒だったら何でもいい!」

「……やっぱ、かき氷より酒だな」
「おう」

うだるような暑さの中、冷たい酒の喉越しを思い出してため息を吐いた二人の鬼は、広い刑場を巡回するべく歩き出した。
素足で燃える大地を歩き続ける亡者の群れを横目に、熱さから逃れようとする逃亡者を引き戻す。
暑さと眠さのイライラを亡者にぶつけるかのように、悲鳴を上げるそれらを強い力で投げ飛ばしながら、鳥頭は思い出したように蓬へと声を掛けた。

「明日さ、鬼灯と飲みに行くんだけどお前も来るだろ?」
「行く行く!!けど鬼灯なら最近めちゃくちゃ忙しそうだったろ。大丈夫なのか?」
「アイツ甘いもの好きだろ?昨日、おふくろが送ってきた水羊羹を差し入れに行った時に聞いたんだよ。久々に3人でパーっと飲もうぜ!」
「いいな!!」





「あれ?」
「どうした?」

「さっきさぁ、何か白い影が見えなかった?…あそこの崖の所」
「白い影?脱走者か?」
「うーん…いやでも、あんな所、亡者の足じゃ無理だし…」
「あの辺りは黒炎の上がる崖に近いから此処より更に熱いぜ?錯覚じゃねぇの?」
「そう…かなぁ、うーん」
「俺は嫌だぜ!あんな暑っつい所に確認しに行くなんて面倒くせぇ!」
「うん…やっぱ気のせい…かなぁ?」

首をかしげる蓬に鳥頭は気のせいだろうと結論付け、どんどん先へと歩く。
それを追いかけるようにして急ぐ蓬がもう一度崖の方を見渡しても、白い影は見つけられなかったのだった。

2人が去った後、底からぶわりと吹き上がった熱風に紛れて白い布が舞い上がった。それは、半分以上燃えた状態で何の布なのかは判別がつかない。
周囲は亡者の叫び声と燃え上がる炎の音で満ちている刑場では、それ以外の音など誰の耳にも入らなかったのだ。
黒い炎に焼かれてあっという間に灰と化したそれが何だったのか、もう誰にも分からなかった。







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最初に僕に願いをかけたのは、恋を覚えたばかりの幼い少女だった。
兄のように慕っていたという男がどこその女と婚約したという。
”あの人に振り向いてもらいたい”
淡い初恋に縋る想いで願った。

次に願ったのは屋敷で働いているメイドだった。
雇い主に特別だと囁かれ過ちを犯したが、それが遊びだったと信じられずに願った。

その次は、年配の女だった。
若い女に懸想して、家に帰らなくなった亭主を呪いながらも戻ってきてくれる事を願った。

恨みや妬みに憧れや嫉妬に歪んだ愛情を注ぎ込まれて、器に雫が少しづつ溜まっていくように何十年、何百年と過ぎ去る時間の中で、どれだけの願いを聞いただろうか。
ただの紙切れでしかなかった僕にいつしかぼんやりと自我が生まれるまでになったのはいつ頃の事だったろうか。


それから、ずっと眠っていた僕を起こしたのは天国で暮らしていた天女だった。
女たらしの男に本気になったが、遊びだと言い切る相手の心の内には知らない誰かが居座っている事に気付いてしまった。自分も過去の数多の女と同じでしかなかった事への絶望と、名も知らぬ相手への嫉妬。
だが、その天女は願うばかりで血を与えてはくれなかった。
ずっと胸に抱えたまま、恋情を募らせるだけ。
胸の内にどろどろと溜まってゆく黒い感情を相手にぶつける事もなく、ただ枕を濡らすだけだ。

その後、僕を手にしたのはその相手の男だった。
嫌いだと公言していた男が、見知らぬ女と連れ添っているのに腹を立て、酒に酔った勢いでの嫌がらせで願ったのだ。

”両想いなんてさせない。お前は一人がお似合いだ”
(特別な相手なんて作らないで。僕を一人にしないで)

そう呪いの言葉を吐きながら掌にナイフを切りつけて、べったりと血を塗りたくった。
大量の、しかも神の血だ。
僕が意思を持ってハッキリと目覚めたのはその時だったんだ。

その神獣は、本当にどうしようも無い男だ。
相手が誰を慕っているのか知ろうともしないくせに、他に靡く気配には敏感で。
自分で呪ったくせに、今度はそれを解こうとする。
今まで僕が聞いてきた数多の願いの中で、これほど下らない願いはあっただろうか。

傲慢で身勝手で、救いようがない最低の男だけれど、それでも契約は契約だ。
想い人と結ばれないでと願ったのだから…願われたのだから。それを叶えるのが僕の役目だ。





深夜の閻魔殿。
食堂で軽い夜食を食べてきた閻魔大王は、暗い廊下の先にぼんやりと浮かぶ人物に目を止めた。

「あれ?どうしたのこんな夜中に」

呼び止めれば振り返るその人影は獄卒の鬼では無い。
身につけている服は和の装いでは無く、詰襟でその端を斜めに合わせて留めている中国特有の唐装だ。
絞った袖口から延びる白い肌には真っ赤な数珠。整った顔の片方の耳にだけ、長い特徴的なピアスが垂れ下がっている。

「…白澤君…だよね?」

その特徴的な容姿を前にして、閻魔大王は尚も疑問形で首を傾げた。
姿形だけ見れば、よく知っている古い友人の姿そのものであるのだが、彼だと確定するにはあまりにも違和感があったからだ。
部下である鬼灯が黒い着物と鬼灯紋がトレードマークとなっている様に、彼は頭の三角巾から足の靴まで白色を基調とした衣服だった筈だ。
それが今はどうだろう。闇に溶けてしまいそうな程真っ黒な衣服。額の目を避けた独特な被り方の三角巾まで黒色。
黒は地獄の色であるからして黒服が珍しい訳では無いが、淡い明るい色が似合う桃源郷に住まう彼らしからぬチョイスではないか。
それに髪。銀糸のように輝くそれは真っ白に近く、決して普段の黒髪では無い。まるで色を抜いてしまったかのように室内の僅かな光を受けて輝いている。
瞳の色も、こんなに血のような真っ赤な色をしていただろうか。

「随分印象が違ったからびっくりしちゃったよ。何?もしかしてイメチェンでもしたの?」

恐る恐るといった風に再び閻魔大王が問いかける。
白澤らしき人物は、そんな巨体を見上げてふわりと微笑んだ。

「…うん。まぁ、そんな所かな」

声も、笑い方もその飄々とした雰囲気も白澤そのものだ。
まぁ、彼の本来の姿は獣であるのだから姿形や服装に至るまで自在である。たかが色が違うくらいどうって事は無いのだろう。そう閻魔大王は一人で納得して深くは考えないようにした。

「ねぇ、大王。アイツの部屋に行きたいんだけど、場所はこの先で良かったよね?」
「ああ、鬼灯君?きっと寝てると思うよ?無理矢理起こすと本当に怖いよ?」
「寝てたら帰るよ、ちょっと急ぎの用事でね」
「う〜ん、それならいいけど…」

返り討ちに合って半殺しにされないでね。そう心配する閻魔大王に、男は微笑むだけだ。
自室に戻ってゆく閻魔大王の大きな背中を見送った白澤らしき男は、目的の方向へと向き直ると再び一人で誰もいない廊下を歩きだす。

角を幾つか曲がった奥まった場所にある扉は、鬼灯の絵が鮮やかに彩られている第一補佐官の私室だ。
その前に立ちドアを数回叩くと、まだ寝ていなかったらしい部屋の主の低い声が聞こえてくる。
僅かに時間を置いて在室中の主が扉に近づく気配。回転するドアノブと、僅かに開かれた扉から室内の明かりが暗い廊下へと漏れた。

「やあ、晩上好」

顔を見せた鬼灯は寝る前のくつろいだ姿では無く、普段通りの黒い着物にしっかりと結びきりの帯を留めていた。どうやら部屋で何かしていたらしく、チラリと見える室内は書物や物が床にまで散乱している。
来客者を確認した鬼灯は、露骨に顔を歪めた。

「何しに来た」
「明日が待ちきれなくて」
「何時だと思っているんです。非常識ですよ」
「うん、ごめんね。迷惑だった?」
「…別に、…今はかまいません」

機嫌悪く出迎えた鬼灯の態度を気にも留めずに、男は柔らかく微笑むだけだ。

「何ですかニヤニヤと…気持ち悪い」
「ふふ、やっと会えたから、嬉しくて」
「昨日も会ったじゃないですか。寝惚けてるんですか爺」
「そうだったね、鬼灯」

散らかっていますけど入りますかと1歩下がり開きかけた扉を大きく開ける鬼灯の様子に、血色の瞳を細めた男は嬉しそうに頷く。

小さな音を立てて鬼灯紋の扉は閉じられた。
廊下にはもう誰の影も無く、しんとした静寂と暗闇だけが残るだけだったのだ。



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