神獣の呪いと鬼神の想い人について 参




最近、毎夜。夢を見る。

それは遥か昔の懐かしい記憶だ。
毎朝の起床と共に無意識の彼方へ置き忘れてしまうのに、いざ夢の中に溶けてしまうと、昨日も見たなと思い出す。

夢だと確信できるのは、自分の体が幼い童の姿だからだ。
背も小さく腕も細く非力で。確か黄泉にて鬼灯と名乗り始めて間もない頃だろうか。

あの頃は、まだ自分の体に入った鬼火が安定していなくて、体調を崩してしまう事が稀にあったのだ。
大概は眠って起きれば回復していたが、それでも最悪気絶するように倒れてしまう。
あの日も、そんな日だった。

そこが現世だったのか天国だったのかすら覚えていない。どんな理由でその場所にいたのかも、どうやって一人でそこへ行ったのかも曖昧だ。
ただ、とても天気の良い新緑の濃い季節だった。

歩けばじんわりと汗をかく程の気温にもかかわらず、体調を崩した指先はとても冷えて、息苦しさに浮かぶ汗は体温を奪うばかり。
朦朧とする意識の中で体は全く動かずに、どこぞの森の中で行き倒れるようにして気を失った時の事だ。

最初はふわふわと漂いながら浮いている夢を見ているのだと思っていた。
意識がゆっくりと浮上する内にそれは錯覚で、誰かの膝の上に抱かれているのだと気が付く。
親のいない自分にとっては覚えの無い感覚だ。

「早上好、目が覚めた?」

初めて聞く声だと思った。
だがそれは直ぐに、以前友人達と現世に行った時に手助けしてくれた神獣だと思い出す。

まず最初に鼻をかすめたのは甘い花の香。その次に生薬の混ざった香。お日様の香り。
ほぼ真上から落ちてきたその言葉にうっすらと瞼を開けば、そっと頭を撫でられた。
その手は子供の自分とは比べるまでも無い、大きな大人の手、温かい肌。
そっと労わるように抱きしめられた腕が包み込むようにして体の前へと回されているのをぼんやりと確認する。

「僕が見つけた時には酷く顔色が悪かったけど、今はだいぶ良くなったみたいだね」

ふわりと笑ったその人の周囲に淡い光が満ちてくる。
それが陽光による錯覚だったのかは分からないが、幼かった自分にはまるでこの神獣の起こした奇跡のように思えたのだ。

薬だと言って器に入った液体を口元へ添えられて、促されるまま飲み干せば、味はお世辞にも美味しいとは思えないものだった。
口の中に広がる独特の苦味に思わず顔を顰めれば、良い子良い子と再び頭を撫でられた。それに酷くむず痒い心地になる。

短めに整えられた髪から覗く2本の角。そこに飾られた薄桃色の花が風に煽られて少しづつ散ってゆく。
飾り櫛の装飾品が陽光に反射してキラキラと輝く。
身に着けている衣服は美しく、指先まで隠れそうなほどゆったりと長くとられた袖口は、まるで蜘蛛の糸で織られたかのようにふわふわと揺れていて、きっと触れれば柔らかいのだろうと思う。
そういえば、あの時は結局名を教えてもらえなかった。

名を、あなたの名を。
そう訪ねようとしたのに、唇が動かない。
その顔をもっと見ていたいのに、瞼が重い。

「さあ、もう少しお休み。後で黄泉の入口まで送っていってあげる」

次第に薄れる意識の中で必死にその人の姿を目に焼き付けようとした。
忘れたくは無かった。
もう一度会いたいと願った。
だからこそ、眠りたくは無かったのに。力の限り伸ばした手は何も掴む事は無く、記憶はそこで途切れてしまう。

眩しいくらいの日を浴びてキラキラと輝いていたその人は短い黒髪で、昼の貫けるような空色の刺繍が入った鮮やかな襟のある真っ白い衣装で…。


(…き、…ほおずき、違うよ。それは僕じゃない)

ああ、あの人が呼んでいる。
後ろから伸びてきた腕に抱かれて、もう一度耳元で囁かれる。
やはり、これは夢だ。
こんな都合の良い事が現実である筈が無い。

(鬼灯)

あれほど会いたいと願ったのに、日々の忙しさに忙殺されて四千年前のチャンスを私は逃してしまった。
それから何度も機会があったというのに、友好的な仲にはなれなかった。
何百、何千と年を重ね同じ背に成長した自分を、憎悪と怨念を糧に鬼神となった自分を、あの神が幼子の頃のように慈しんで笑顔を向けてくれる事はもう無い。
こんな風に名を呼ばれて触れられる事などもう絶対に無いのだというのに。なんて都合の良い夢だ。

(鬼灯、僕の名を呼んで)

耳元で呼ぶ声に振り返る。
ふわりと笑うその表情が好きだと言っても、きっと信じてもらえないだろう。
他者に向けられるその笑みを目にする度に、胸が苦しいのだとどう説明すれば伝わるだろうか。
悪意の込められたあの黒猫のぬいぐるみですら、捨てられずに部屋の隅に保管しているのだ。
いつか、伝えられる機会があればと思いつつ、いざ目の前にすれば手や足が先に出てしまうのはもう生活の一部というよりは条件反射になってしまったのだ。そして、その関係でも仕方なしと満足してしまっているのも事実なのだ。

(鬼灯)

ああ、何を勘違いしていたのだろう。
髪は白かった、透けるような白だ。
後に中国の漢服だと知るのだが、その衣装は夕日のような赤い襟のある真っ黒い衣装で。
耳から垂れ下がる特徴的な耳飾りがー…。

私が恋い焦がれた唯一の神様。
黒い神獣。

「…白澤さん…」




ゆっくりと目を開けると、そこは自分の部屋。
時計を見ればいつも起床している時間よりは少し早めの朝だ。
書物が枕元に読みかけのまま残っている。
読んでいる最中にうっかり寝入ってしまったのかと体を起こせば、うつ伏せの態勢だった為か、寝違えたらしい首が少々痛い。

ああ、嫌な夢を見た。
寝癖の付いた頭を掻いて、立ち上がる。

きっと久々にあの豚と電話で話したからだ。
最近女遊びが激しくなったと桃太郎から聞いてから、腹立たしさで胸クソ悪かったせいだ。
しばらく会えないと聞かされたからだ

駄獣を最後に殴ったのはいつだっただろうか。
行けども行けども店にいないあの豚を金棒でフルスイングしたのは何日前だったろうか。
指を折ったのは、顔を殴ったのは、胴体を蹴ったのは、穴を掘って落したのは…。

机の上に置いていた薬を取り出して、水と一緒に胃に流し込む。
ああ、本当に苦い薬だ。そう顔を顰める。
もう少し甘くならないものかと思うが、飲み慣れてしまった味。残り少なくなった”いつもの薬”
次に行った時には店にいるだろうか。会えるだろうか。


身支度を終えると、壁に立てかけてあった金棒を手に取る。
片手で構えると素振りを一つ。ブン、と風を切った金棒が良い音を上げる。

「まずは頭を潰して、胴体に一発…」

あのへらへらとした顔に思い切り降り下ろして、白い髪を掴んで床に叩きつけて沈めればきっとスカっとするだろう。


出勤の為に私室の扉に鍵を掛けた鬼灯は、法廷へと続く廊下を歩き始める。
さあ、今日も大王の尻を叩きつつ書類を片付けて、楽しく呵責しよう。
そしてもしも時間が空いたなら、冷やかしに行ってみるのも悪くない。



今日も普段通り一日が始まろうとしていた。



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