神獣の呪いと鬼神の想い人について 参




夕刻時、桃太郎は注文された薬を各部署へ届ける為に閻魔庁を訪れていた。
自分を立てに3人積んで、大きく手を広げて横に5人並べたとしても易々と通れそうな程大きな門をくぐり、庁舎内に進めば部外者用の受付が目に入る。
まっすぐ行けば法廷にたどりつくのだが、それは亡者の為だけであり、仕事の要件で部外者が訪ねる時は普段ならば要件と目的をいちいち書面やら許可証を提示して手続きを取らなければならない。だが、極楽満月は閻魔庁御用達である。
定期的に何度も通っているおかげで受付担当の鬼とはもう顔なじみになっており、そのまま軽く会釈をして通り過ぎ、目的の場所へと進もうとする。
…進みたいのだが。

「…何やってんですか」
「……」

立ち止まって振り返れば、遥か後方の大きな柱に隠れるようにしているのは情けない上司の姿だ。
良く見れば胃を抑え今にも吐血しそうな程青い顔をしている。
ああもういっそ、この場で吐いてぶっ倒れてくれたならさっさと置き去りにして進んでしまうというのに…そう黒い感情が湧き上がりそうになるのは、もう仕方の無い事だと思うのだ。

「ほら、さっさと行きますよ」
「…気が進まない」
「そんな所でぐずぐずしていても仕方ないでしょう」
「そうだけどさ〜」

今日何度目かの言い訳に額に今度こそ青筋が浮かぶ。

閻魔殿の内部は広大だ。
各部署を行き来するだけでも時間が掛る上にその後は他の地獄にも配達に行かなければならないのだからサクサク進みたいのに、師匠が弟子の足を引っ張るとは何事か。
そもそも滅多に閻魔殿に顔を出さない白澤が此処まで付いて来た理由を思い出して、桃太郎は溜息を吐いた。

目が合えば暴言と暴力を挨拶代わりに行うあの鬼灯が、白澤を前にして何もしないで帰って行くという珍事を起こしてから早1ヶ月。
元々真剣に商売をしているという感じでは無かった上司の仕事が全く手に付かなくなる程に、白澤は目に見えて沈んでいた。
億が付く程生きて超が付く程ポジティブで打たれ強く回復力も半端無いこの男の事、暫くすれば持ち直すだろうと最初の頃は呑気に思っていたのだが、それから後に花街でバッタリ会った時にも同じように無視られたらしく、そこからは更に輪を掛けて酷くなった。

会うのか怖い。
たかが2回冷たくあしらわれただけでそんな事を喚く上司を前に、何の天変地異の前触れかと思う。
ろくに店に帰らずに何処で何をしているのかと云えば花街に入り浸っているらしく、届く請求書は今まで見た事も無い程の金額になっている。

今までは仕事をしないなりにも日中は必ず店におり、来客の相談に乗ったり談笑したり、分からない事があれば教えてもらえたし、弟子の教育も熱心に行っていた。
薬学についてだけは尊敬できる良い師匠と巡り合ったと思っていたのに、これでは職務怠慢も良い所だ。

一向に回復する様子が無い事に桃太郎のイライラは日々募るばかりである。
簡単なものや材料の調達だけなら自分と兎達でも何とかなる。だが、効能の優れた高価なモノとなると白澤以外に作れる者がいないのだ。
これでは納期通りに薬が作れないばかりか、このアホが先月花街で遊んだ分の請求書が支払えない。
収益の管理を任されているわけでは無いものの、このままだと来月の自分の給料は無いのではないかと危機感を覚えるには十分過ぎる程の事態で。何でこんな面倒まで見てやらなければならないのかと腹立たしくなるのも当然ではないか。
夜中にふらっと帰ってきた白澤にマジ切れしたのが昨晩の事だ。

「アンタいい加減にしろよ!!そんなに気になるなら会いに行けば良いじゃないですか!」
「嫌だよ、何で僕が行かなきゃいけないのさ!!」
「じゃあどうするんです!!このままずっと鬼灯さんから逃げて過ごすんですか?桃源郷はアンタの領域でしょうが!!」
「それは…そうだけど…」
「俺、明日閻魔庁に配達があるんです。付き添ってあげますから一緒に行きましょう。行って仲直りして下さい」
「だって…」
「人と仲直りした経験が無い訳じゃないでしょう?」
「………」

「はぁ?!アンタ白亜期から生きててそんな経験も無いのかよ!!麒麟様とか鳳凰様とか、誰でも良いから無いんですか?」
「だって僕、来る者拒まず去る者追わずだし、女の子とは怒らせたらそれで終わりって感じだったし、怒らせても百年くらい経てば大概は僕が何もしなくても許してくれたし…」

中国の頂点に居座る神獣はこれだから…。
視線を泳がせて言い訳する白澤の様子に、桃太郎はそれ以上怒る気力も無くしてしまう。

「とにかく、明日一緒に行きましょう!俺が仲介に入りますから。一度ちゃんと話し合って下さい」
「………」
「返事はハイ!!」
「………はい…」

そうやって半ば無理やり連れて来たのだ。
柱に噛り付くように動かない白澤の様子に、時期尚早だったかと諦めの境地に入ってしまいたくなる。

白澤が思っている程、鬼灯は怒っていない。そう桃太郎は思っている。
何かしらの理由で訪ねてくるペースは変わっていないし、先日訪ねて来た時だって、「白豚は今日もいないんですか」と聞いてくるのだ。
白澤が言う事が本当で、本気で無視を貫いているのならそんな事わざわざ聞いて来ないだろう。

手が出るのは早いが、話の分からない相手では無い。
じっくり話せばそれで万事解決。難しく考える必要など何もないと思うのに、一体何が怖いのだと桃太郎は理解出来ない。









何が怖いかって。
そりゃあアレだよ。気付かなくても良い事を気づいてしまいそうになる予感がするからだと桃タロー君に説明した所で理解してもらう事は難しいだろう。
自分の中ですら、まだ気持ちの整理が出来ていないのだから尚更だ。

ここ数日で、あの闇鬼神に対する”大嫌い”という感情が、ガタガタを音を立てて崩れてしまったのだ。数百年に渡って日常に組み込まれたそれがひっくり返された時の衝撃といったら失笑も良い所だ。
思い知らされただけでもダメージが大きいというのに、いざ対峙してしまったらどうなってしまうのだろうかと自分でも予測が付かない。
憎からず想っている。それは腐れ縁の悪友としてか、それとも別の何かなのか。
深く掘り下げてはいけない、考えてはならないと無理やりにでも他人に縋り酒に頼り、のらりくらりと何とか避けてきたのに。


あれから暫くの後、これ以上ゴネて本当に置いていかれても困ると漸く覚悟を決めた白澤は、先を歩く桃太郎を追いかけるようにして、ついには閻魔大王のいる法廷へとたどり着いていた。
もう亡者の姿は無く、時間帯も考えれば丁度閉廷したばかりだろうか。

「やあ、白澤君に桃太郎君。久しぶりだね」
「こんにちわ。あの、鬼灯さんは…?」
「鬼灯君なら仕事が一区切りついたから金魚草の水やりに行ってるよ。終わったら直ぐに戻ってくるみたいだけど、何か用事かい?」

先程まで厳しい顔をして判決を下していたとは思えない程人の良さそうな笑みで迎えてくれる大王はのんびりと茶を啜っていた。
大きな机の傍らに、巻物が入った手押し車と見慣れたアイツの金棒が目に入る。
直に戻るという言葉に否応にもアイツとの距離の近さを感じてしまい、そわそわと落ち着かない。
閻魔大王と弟子が談笑している話も禄に耳に入らないのだからこれは相当に重傷だ。

「閻魔大王。鬼灯さんは白澤様の事で何か言っていませんでした?」
「そうだねぇ〜、最近行っても会えないって言ってたけど…そっちも忙しいの?」
「ほら、やっぱり鬼灯さんは別に怒ってる訳じゃないんですよ」
「厳しいのはいつもの事なんだけど、特に怒ってた印象は無いけどなぁ?」
「ですよね。鬼灯さんを怒らせた事で最近おかしいのは白澤様の方ですよ」

会話の内容は席を外している朴念仁と自分との事についてだ。当人を差し置いて会話が盛り上がる外野達はあーだこーだと互いの事を暢気に述べ立てる。
二人が言う程簡単な事ならば、こちらもこんな精神状態になるまで追いつめられていないというのに。全く、第三者という立場は良い気なものだ。そのくせ仲直りをしろだ、話し合えだ勝手に連れて来ては押し付けて…良い迷惑だと何故分からないのか。

「白澤様が深く考えすぎなんですよ」
「そうだよ。白澤君の話す鬼灯君は、何だか別人みたいに聞こえるよね」


「…別人…」

ふと、聞き流していた会話の中で、何かが頭の端に引っかかった。
いやまさか。そんな事ある筈が無い。ありえない。そう思うのだが、一度引っかかったものは頭の中でどんどん大きくなってくる。
”あの鬼神は自分を嫌っている”それを前提にしてきた白澤の中で、今まで考えにも上らなかった事がふと沸き上がるのだ。

「…ねぇ、閻魔大王。アイツは僕と会えないって言ってたんだよね」
「そうだよ?」

まさか。まさか、そんな事がありえるのだろうか。

「白澤様、何処へ?」
「アイツに会いに」

その衝動に突き動かされるようにして白澤は駆けだしていた。
引き留めるように呼ぶ弟子をおざなりに、長い廊下を走り、いくつか曲がり角を過ぎて外へと続く渡り廊下に出る。

遠くから雷鳴が聞こえる薄暗い空の下、金魚草がざわざわと音を立てていた。
大量の金魚と一斉に目が合う光景というのは何度見てもおぞましいもので、こんなものを好んで育てているアイツの趣味が分からないと思う。

ホースとバケツを取り付けたお手製の釣り竿を使って水をやるその後ろ姿を視界に入れて、ゆっくりと歩いて近づいた。

「おい」

声をかけるが、反応は無い。
しばしの沈黙が続く間、鬼灯は何事も無い様子で水やりを続けている。
以前なら声をかけた時点で過剰に反応があったのだ。メンチを切られ、殴られて埋められて。だからこれは無視だと思ったのだ。そういう嫌がらせを自分に対して意図的にしているのだと思っていたのだ。
それがもし本当に聞こえていないとしたら、話が変わる。
庭へと続く階段を一歩一歩降りて、白澤は尚も近づいた。

「鬼灯」

名を呼ばれた事でちらりとこちらを振り返ったがやはり反応は薄く、目の前の金魚の群れへと戻った視線は再び向けられる事は無い。また長い沈黙。
蛇口を締めて、釣り竿とバケツを片付ける様子を黙って見る。
所定の場所へそれを納めて、ホースを巻いて蛇口の隣へと立てかけて、濡れた手を手ぬぐいで拭いて、裾に付いた汚れを祓いながらー…。

何事も無かったように隣を通り過ぎ、法廷へと戻ろうとする鬼灯の袖を掴んだ。
無理矢理こちらへと振り向かせて、何も映さない目を覗き込む。
まるでそこらの景色を眺めるみたいに焦点の定まっていない目は、息が触れるほど近づいた所でやはり自分に向けられる気配が無い。
認識、されていない。

もし、これが演技では無いとしたなら。
何かの影響でこうなっているのだとしたら。

「オマエ、僕の事が…分からないの?」
「何の事ですか」

鬼の返答に、確信する。
ぞっとしたものが背筋を這い上がった。
ああ、やっぱり。やっぱりそうなんだ。

今までの別人のような行動は全てそうなんだ。
別にコイツは怒っている訳じゃなかった。本気で嫌いになった訳じゃなかった。
それどこか、とんでもない勘違いをしていたなんて。


「お前の好きな人って、…僕?」
「………」

その瞬間、ズキンと左手の傷口が疼いた。
何処にも触れていないのに強く抉られたかのような痛みと、ゆっくりと指の間を伝う感覚。ふわりと香る血の臭いに、再び傷口が開いて出血したのだと察するが、今はそれを無視する。

「嘘、だろ…?」
「………」
「そんな素振りちっとも無かったじゃないか!何てこんな事になってるんだよ!!お前が好きなのはあの子じゃないのかよ!!」
「………」
「何でだよ。お前、僕の事嫌いだったろう?敵同士で、会っても喧嘩ばっかりで、目障りだったろう?」
「………」
「なぁ、白豚って呼べよ!駄獣でもいい!スケコマシでも!何でもいいから言ってよ!」
「………」
「僕を…、僕を呼んでよ!!!」

揺さぶって、縋り付くように叫んだ。
きっと傍から見れば異常な光景だろうが、それを気にかける余裕なんてない。
ぱち、と一つ瞬きをする合間、鬼灯の瞳孔が反応するように僅かに動いた。それなのに。


「…申し訳ありませんが、何の話をしていたのでしょうか」

ことりと首を傾けて、静かな声。
言葉の意味が分からないというよりは、そこだけ切り取って消去したかのような。

「ほ、…ずき」

今の言葉すら、話すら残らないのか。
何を言っても伝わらない。
何を訴えても残らない。
僕から発した全てが、コイツに届かない。

「…何で…」

呆然と動かなくなった白澤の横を、無関心の鬼灯が通り過ぎる。
追いすがる気力も無く、白澤は立ち尽くした。


いつからなのだろう。
アイツが僕の事を好きだったのは。
初対面は最悪だったし他者から比べられる事が多かった事でお互いの印象は限りなく悪かった。別に好意的な交流も無かったし、薬剤関係での仕事の関わりも取引先とお得意様の関係だけだ。

それなのに、姿を見かければ声をかけてきて殴られて。
徹夜する程忙しい筈なのに、大した理由も無く店を訪ねてきたりして殴られて。
何だかんだで兎を撫でながらどうでも良いような会話から、薬学に関する真面目な話までして。桃タロー君の煎れたお茶を飲んでー…。

「ああ、そうかー…」

アイツは、アイツなりに僕に歩み寄っていたんだ。
今更そんな事に気が付くなんて。こんな事にならないと気が付かなかったなんて。



ピピピピ!!
どれ程の時間だろうか。
先ほどの場所、庭へと続く階段に腰掛けたまま動けないでいた白澤の携帯が音を立てた。その音に反応したのか何匹かの金魚草が耳障りな声を上げる。
画面を開けば配達時に連絡が取れるようにと臨時に桃太郎に渡していた携帯から。あまり使用していない上に持ち歩かない事も多いが、今日は持っていたらしい。
ああ、そういえば彼を法廷に置いて来てしまった。なかなか戻らない自分を探しているのだろう。
鳴り止まない其れの通話ボタンを押して、耳元へ当てる。

「はい」
「今何処にいるんですかー!!!」

キーンと音割れする程の怒声が直に耳に響いた。
ああ、これは相当怒っている。

「…鼓膜が破れるかと思った」
「鼓膜なんてどうでも良いですよ!アンタ鬼灯さんに会いに行ったと思ってたら何処で油売ってるんですか!!」
「ごめんね」
「ちょっと待ってくださいよ!!……はい、これで」
「桃タロー君?」

突然遠くに聞こえる話声はボソボソとして聞き取りにくい。
もう一度呼んでみるが、電話越しに誰かと話しているらしい弟子からの返答は無い。
その直後だった。


「もしもし、白豚さんですか」

よく通る低い声。
その声が誰かと考えるまでもない。失礼極まりないその名で呼ぶ人物など、白澤の知る中では一人しかいない。
だが、先程どれだけ叫ぼうとも届かなかった筈だ。
何を言っても、聞こえなかったのに何故。

「ほ、…鬼灯?」
「なれなれしく呼ばないで下さい気持ち悪い」
「お前…、僕の事が分かるの?」
「は?とうとう脳味噌が腐りましたか。それはおめでとうございます」
「腐ってないよ」
「あなた、何処にいるんですか」
「…お前がさっきまでいた所」
「チッ、すれ違っていたらサンドバックにしてやったものを」

聞き慣れた言葉が酷く懐かしい。


ああ駄目だ、止まらない。
予感はあった。気付いてはいけないと危機感もあって、避けて逃げていたのに、もう駄目だ。
早鐘を打つ鼓動と、否応が無しに頬に熱が集まってくる。きっと酷くて見られたものじゃない。
震えそうになる唇を押さえて、息を吸って吐く。

「……」
「白豚さん?」

「なぁ、…前に飲んだ時さ、好きな子の事笑ってごめん」
「何ですかいきなり」
「うん、ごめん」
「気持ちが悪い」
「…うん」
「死ね」
「…死なないよ」


「あのさ、僕…しばらくお前と会えないかも」
「そうですか、顔を見られなくて清々しますね。またどこぞの女性とトラブルですか」
「違うって。薬の注文は今まで通りメールか桃タロー君にでも言付けてよ。用意しておくから」
「いつまでですか」
「なるべく早く、頑張るから」

「あなた本当におかしいですよ、どうしたんです?」
「何でもないって」

ふふっと喉で笑えば、本気でどうしたのかと問う鬼灯の声が愛おしい。

ちゃんと会いたい。
もっと話がしたい。
できれば触れ合いたい。
殴り合いじゃなくて、暴言じゃなくて。
もっと違う言葉で。違う態度で。


「それじゃ、またね」
「ちょ、白ー…」

まだ何か言いたげだった鬼灯の言葉を遮って、電話を切った。
それと同時に、聞こえてくる足音に振り返れば、開いたままの携帯を持った鬼灯が走ってくる姿が見える。
反対の手には金棒が握られていて、きっと殴りに来たのだと思えば、嬉しいと思ってしまう自分がいるのだ。
別に痛いのが平気な訳じゃないけど。気付いてもらえない事の方がもっと辛いのだと今なら分かる。

あの時も、花街で偶然見かけた時も。
あの居酒屋での会話を聞いた時の事も。
酔って寝たフリして、僕はあの鬼の事が気になって仕方なかったんだ。
好きな人がいると聞いて居てもたってもいられなかったのは、顔も知らない誰かにコイツを渡したくなかったんだ。
みっともないくらい、嫉妬していたんだ。


きょろきょろと周囲を見渡す鬼灯の姿を庭から見上げても、距離はほんの少しなのに視線は決して合わない。
僕は此処にいるよ。
そう声に出した所でアイツに届く事は無いだろう。



「鬼灯、僕も…お前の事ー…」

諦めて元の道を引き返してゆくまで見送って。
僕はアイツの事が好きだったんだと、白澤はようやく自覚した。



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