結局、新幹線が駅に到着したのは売店もとっくに閉店した時間だった。
長時間座り続けた疲れなのか下車する人は皆一様に表情暗く、足取りは重い。
上り線も下り線も止まって閑散としたホームは日頃の混雑など想像も出来ないほどに静まり返っている。
それぞれが宿泊場所を求めて駅を出てゆく中、恋次は入口近くにある待合い場のベンチに腰を下ろした。

(マジでついてねぇ)

もう一度財布の中を確認し、大きく溜息を吐く。
吹き抜けの駅は暖房が点いているとはいえ外気が易々と入り込み、吹き込む風が室温をどんどん下げてゆく。
使い古した財布の中には払い戻された運賃数千円と小銭だけ。昨日まで財布に入っていたキャッシュカードが無い。
出張前、日帰りだし散財予防にとあえて財布から出して置いていったのだ。
ベット脇のローテーブルの上、ハッキリと記憶に残っているのだからもう決定的だ。
この中から明日もう一度乗る新幹線代を出さなければならず、その結果今自由になる現金は千円も無かったのである。
これではビジネスホテルどころかカラオケすら料金不足。横になれる個室を確保する事はまず不可能だろう。

別に一晩寝ないで朝まで過ごす事が耐えられないという事ではない。
24時間営業のファミレスかファーストフード店でも近くにあれば良いのだが、土地勘の無い場所に加え猛吹雪だという事が恋次の足をより重くしていた。
頼みのスマホは、地図もGPS機能も僅かだが残金のあるEdyさえも、先ほど会社に帰れないと報告した時に本体の電源が切れてしまい、今はただ黒い画面のガラクタである。
こんな時間では充電してくれそうなショップも無く、このままでは駅で1泊する事も考えなければならない。

「最悪だ…」

寒さと空腹を誤魔化すべく自販機で買ったお汁粉をすすりながら、今晩どうしようかと考える。
もう駅内には乗客どころか駅員すらおらず、清掃のおばちゃんらしき作業員が遠くで黙々と仕事をしている影だけだ。

(とりあえず、事務所にいる駅員の誰かに一晩明かせる場所を聞いてみよう。つうか、24時間営業の店なんてあるのかよ)

どの新幹線も必ず止まるような大きな駅であったなら良かったのだが、降ろされたこの駅はどう見ても田舎の駅。
各駅停車の新幹線なら止まるだろうという所で、もちろん訪れた経験も無い全くの未開の地。駅名すら聞き覚えが無い。

窓の外に広がるのはネオンきらびやかな繁華街では無く、明らかに住宅街…主に一軒家が多い。遠くの工場地帯らしき灯りがぼんやりと見えるその後ろは海か山か。
雪と暗闇ばかりで何も分からず、駅周辺に微かに見える灯りも、何なのか判別がつかない。

「はぁ〜…、どうにもなんねぇよなー…」

慣れない出張での疲れと長時間の缶詰めに疲労はピークに達している。せめて横になれたらと思うのだが、ベンチの上で寝る事には未だ抵抗があった。

(やっぱり俺、ここで野宿決定かも)

そう覚悟した時であった。
無駄に広い待合室にゆっくりとした靴音が響く。それはスニーカーや安い靴の音では無く明らかに高級そうな皮靴の音。
それが項垂れたままの自分の直ぐ傍で止まったのにも、絶望真っ只中の恋次は気が付かない。



「何をしている」

掛けられた声に、最初誰なのか分からなかった。
反射的に上げた視線の先に写ったのは、やはり知人では無い。

「…、あ、あんた…」

上質な黒いコートの上に巻かれた柔らかそうな白いマフラーが今の気象状況に対して少し寒々しく映る。
背丈の割に細みのシルエットはやはりモデルなのではないかと思う程に洗練されていて、ただ立っているだけなのに絵になるその姿は、寂れた駅には似合わない。
整い過ぎたその顔は相変わらず冷めていて、威圧感たっぷりに見下ろすものだから何故か怒られているような気になってくる。
これでもっと柔らかな表情ならばきっと清掃のおばちゃんですらメロメロになって失神する程の威力を持っているだろうに…、そんな突拍子もない事を思いつつ、恋次はただ男を見返すばかりだ。
それは確かに少し前まで隣に乗り合わせたお人だったのだ。


「貴様、まさかこのまま朝まで過ごすのではあるまいな」

驚きを含んだ声とありえないとでも言いたげな口調が、人を馬鹿にしている気がして恋次は口を噤む。
実際、互いの他は誰も居なくなった駅の中。吹雪の夜に閉鎖された駅の中で一晩過ごそうと考えているのは恋次くらいなものだった。

手持ちが無いから仕方無いのだと口に出して説明するのが情けなくて、苦い表情を浮かべたまま視線を反らす。
どうせこの男もどこか宿の充てがあるのだろう。
相手にしなければこのまま別れてさようなら。二度と会う事も無いのだから冷やかさないで放っておいてほしかった。

それなのに、長い沈黙の後に男から掛けられたのは、別れの言葉では無い。

「ついて来い」

困惑する恋次を無視したまま男は10m程歩き、止まって振り返る。
その目が早くしろと急かしている気がして恐々立ち上がった恋次は、再び歩き出した男を追いかけるようにして待合所を後にしたのだ。

「あのっ、」

声をかけようとも、前を歩き続ける相手からの反応は無い。
向かった先は大きな南側の出口とは反対の小さな北口。タクシーさえ止まっていない場所には、先程到着したばかりらしい1台の黒い車が止まっていた。
傍には運転手らしき物腰の柔らかそうな初老の男が一人佇んでいる。
駅から出てきた自分達を見るや否や深々と頭を下げる様子から、この男の迎えなのだという事が伺えた。
ねぎらいの言葉をかけられつつ恭しく開かれた後部座席。軽く頷いただけの男は当然のように乗り込む。

「………」

恋次はいよいよ困惑した。

隣に座れと言わんばかりに開けられた座席。
当然のように荷物を受け取ろうとする運転手。
乗れと云われている事は分かるのだが。問題は其処では無い。

「一体何のつもりなんスか」

手に抱えたままの鞄をぎゅっと抱きしめたまま、恋次は警戒した表情で1歩下がる。
いくらなんでも見ず知らずの車にほいほい乗るほど世間知らずでも阿呆でも無いのだ。
えらく高級そうな車と運転手。一体何処に行くというのか全く分からない上に初対面のこの男、一体何者なのか。
新幹線の中から数えたとしても、言葉を交わしたのは片手の指で足りるほど。視線を会わせたのは1度きり、それもガン見がバレてしまった時だけだ。
そんな知人でもない人間を一緒に連れてゆく理由が無い。

黙って睨み会うこと数秒。
その間にも雪は降り続いており風も強い。
乗る気が無いのだと態度で示しているのに、開けられたドアは開いたままだ。

「これも何かの縁であろう」

頑なに乗ろうとしない恋次を焦れてか、不機嫌に眉を寄せた男が沈黙を破りようやく口を開いたが、その言葉が問いに対する答えなのかどうなのか。意味が分からなかった。

「宿が無いのだろう?部屋の隅で良ければ貸してやろうと言っている」

「…いいんですか…!?」

思わず声が裏返った。
だって、まさか。そんな気持ちだ。

さぁお乗り下さいと運転手に背中を押され、腰を下ろした車の後部座席。
雪道をゆっくりと動き出した車は住宅街を縫うように走ってゆく。
余裕で足が組めるほど広くとられた座席と手触りの良い革張りのシートは座り心地も抜群であるというのに、場違い過ぎる状況から全く落ち着かない。

優雅にくつろぐ隣の男と、どんどん変わる窓の景色とを交互に眺めつつ、恋次は黙って座っている事しか出来なかった。




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