時計を見やればちょうど終業時間だ。白哉はまだ戻らない。
京楽と話しついでに食事処にでも行っているのかもしれないし、待つように言われてもいないなら、もうこのまま帰ってしまってもさしつかえないだろう。
ゆっくりと片付けをしていると、懐に入れて置いた伝令神機が着信を知らせるように鳴り響いた。

発信者は朽木隊長だろうか。
つい今しがた声を想像しながら自慰に耽っていた手前、電話越しでも声を聞く事が後ろめたくなる。やはり遅くなるという連絡か、それとも今から戻るという知らせだろうか。
そう考えつつ画面を開けば着信画面に表示されたのはその人の名では無かった。

「はい」
「おう、仕事は終わったか?」
「終わりっスよ」
「飯食った後でいいからこっち来れるか?」

電話の相手は入院中の檜佐木だ。
傷がほぼ回復した彼は数日後の退院がようやく決まった所で、時折退屈だと連絡を寄越してくれていた。
用件はどこぞの菓子を買って来いやら、誰それに借りたものを返して来いなど主にパシリのようなお使い事を頼んでくる用件がほどんどだったが、彼曰く部下に個人的な頼み事をするのは格好悪いらしい。

「別に用も無いから行けますけど…もうエロ本の返却は勘弁して下さいよ。この前のアレ中身がちょっと見えてて返す時にすげー気まずかったっス。よくもあんなマニアックなタイトルをあの人が…」
「オイ変な事言うなよ!誰かに聞かれてたらどうすんだ!!」
「大丈夫っス。今俺しかいませんから」

それじゃあまた後で。笑いながら電話を切る。
もう後片付けも終わったし、部下が来る事も白哉が戻る事も無い。ならばもう帰ってしまっても差し支えないだろう。

今晩は何を食べようか。
食堂には何のメニューがあるだろうかと考えつつ、恋次は執務室を後にした。


****


また個人的なお使いか何かだろう。
そう深く考えずに病室を訪ねた恋次は、いつになく真剣な顔をして出迎えた檜佐木の様子に首を傾げた。

「これ、どうせ知る事になるなら早い方が良いかと思ってさ」

差し出されたのは不揃いな紙の束を強引に雑誌の形にまとめたような本とも呼べないものだった。
タイトルには定期的に発売されている瀞霊廷通信の見慣れた文字。これから発行する予定のチェック用の見本誌あたりだろうか。
だが、そんなものをいきなり差し出されても、部外者の自分にどうしろというのだ。

「何スか?俺、発行日まで待ちますよ?」
「いいから、そこ開け」

1枚だけ付箋が貼られたページを開くように促されて何の疑いも無く開けば、大きな写真が掲載されている見開きの記事だった。
よくある熱愛報道のスクープ。男女が手と手を取り合って微笑む姿が映っているなんてこと無い写真。物陰から撮影した為なのか少々ぼやけて見えづらいが、そこに映っている人物に恋次の目は釘付けになった。

「…朽木、隊長…?」

それは朽木白哉が若い女性と映っている写真だ。
何処だかの貴族のご令嬢だと大きな見出しが書いてあるその相手は小柄で可愛らしく、とてもお似合いのカップルといった風に見える。
その下にはスクープの大きな見出しと共に、白昼お忍びデート!ビッグカップル誕生か!?の文字と、お互いの素性や家柄が詳しく掲載されていた。

「何だよ…これ…」

日付を見れば見覚えがある。それは丁度恋次が拘置を解かれた日。つまり、これはあの仏間で別れた直ぐ後に撮られた写真という事になる。

「お前の拘置が終わった日、だよな」
「………」
「コレはこのまま発行する。けど、お前には先に知らせておこうと思って」
「俺はただの副官っすよ。別に隊長が何処でどうしてようが、俺は別に…」
「偽んな」

無理して笑い誤魔化そうとする恋次を、檜佐木が強い口調で遮った。
ビクリと揺れる肩と動揺を隠せていない目。不規則に揺れる視線が雑誌の写真から此方へと移動するのを待って、檜佐木はその雑誌を取り上げて傍に投げ捨てる。

「なぁ恋次、…俺さ、知ってるんだ」
「…え…?」
「だから、もうあの人との事はもう忘れちまえ」

床に落ちた雑誌の音と檜佐木の声だけが、静かな部屋に響いていた。





****




最初に俺がその噂を耳にしたのは、恋次が六番隊副隊長に任命された直後の事だ。

あまり関わりが無いからか、俺にとってあの人といえば貴族だとか雲の上の人だとか、そんな世間一般で聞く印象しか無い。
顔を合わせる事も無いし会話した記憶すら無い上に、元々口数も少なく興味の無い事は全くの無関心で、どちらかというと気難しそうだとか、冷たそうだという印象が強かったと思う。
まぁ隊長なんて皆個性的過ぎてバケモンみたいなものだ。それを補佐する立場として戦闘力はもちろんその他もろもろの実力を認められての任命(一部例外はある)だというのにそれを気に入らない連中はどこの隊でも必ずいるもので、根も歯も無い噂話が流れる事もよくある事。
だから体で取り入ったなんて噂話など、三番隊の吉良みたいに白くて細くてっていうなら…まぁ気持ちも分からなくは無いが、あんなガタイの良い恋次に限ってそんな馬鹿な話があるかと気にも留めていなかった。

それがあながち嘘では無かったのだと分かったのは、六番隊の資料庫に用があった時。誰もいない廊下で、苦しそうにえづいている恋次の姿を見た時だ。
咄嗟に酔っ払いを介抱するフリをして近づいたけれど、あの時の恋次は酒の匂いなんてさせていなかったし、ついさっきまで執務室にいて仕事中だって事も知っていた。だが蒼白な顔で助けを求められたら真相を問い正すなんて事、出来はしないじゃないか。
俺が裏であの人の事を調べ始めるようになったのはそれがキッカケだった。
まぁその結果、とんでもない任務に巻き込まれて散々な目に遭ってまったのだが…。


それは俺の意識が完全に戻り、一般病棟へと移って暫くした頃の事だ。
内側の傷も大方塞がり、そろそろリハビリもかねて身体を動かしても良いとお許しが出たその夜に、再びあの人がやって来たんだ。
あの時の朝みたいに周囲は誰もおらず気配も無くて、今考えれば人払いをしていたのかもしれない。
変な形の饅頭が入った菓子折りを手に見舞いに来る姿が似合わないものだと場違いな事を考えてしまうくらい、緊張感と威圧感で嫌な心地になる。

「あの時はありがとうございました」
「何の事だ」
「目が覚めた時…あんま覚えてないですけど、四番隊の隊員を呼んでくれたのは朽木隊長だって聞いたんで」
「……」
「それで、朽木隊長は俺に何か御用ですか?」

虚勢を張って知らぬフリをしてみるが、内心は心臓のバクバクした音で気絶しちまうんじゃないかってくらいだった。手汗は酷いし、もしかしたら殺されちまうんじゃないかって恐怖もあったし。

「回復経過は順調か」
「ええ、まあ」
「完全に回復するまでは安静させるようにと卯ノ隊長にも申し伝えた故、ゆっくり療養するが良い」
「それはどうも」
「…何だ」
「六番隊の隊長である朽木隊長が俺みたいな者の気遣いをして下さるとは、思っていませんでしたので」

「………すまぬ」
「何がです」
「この度は、そなたを巻き込んでしまった」
「どういう意味ですか」
「……」
「俺に謝罪していただけるのでしたら、部下を助けてやったらどうですか。貴方は仮にも恋次の直属の上司だ。…それなのに貴方の行動は理解出来ません」

別にこの人は上っ面の世間話などしに来た訳では無いだろう。
恋次は悪く無いのだと散々訴えたのが通らなかったのも、全ては直属の上司であるこの男が首を縦に振らなかったからだという事は分かっている。自分の部下を牢に入れてしまう事すら厭わない男だ。
こんな所に見舞いに来るよりも、恋次を気遣う素振りくらいしないのかと思うのは当然だろう。

「随分と、私の近辺を調べているようだな」
「まぁ、…スクープには弱いですし、色々と興味がありましたので。ご迷惑でしたか」
「別に構わぬ」

言葉を交わすその間の沈黙が重たく伸し掛かってくるような重圧に息苦しさまで感じてしまいそうだった。まだ此方だって全てを調べた訳でもない上に、目の前のこの人が善か悪かの判断すら掴めかねている。状況も立場も圧倒的に此方が不利。そんな中で虚勢を張る事がどれほど危険な事か分からないほど愚かでは無いが、それでも引き下がる訳にはいかない理由が此方にもある。

「随分と恋次を気にかけているのだな」
「俺にとっては可愛い後輩です」
「邪な考えは無いと?」
「…それは貴方でしょう」

この人が恋次に何をしていたのか、それを知っているのだと匂わせれば何か反応があるかと鎌を掛けた俺の予想は見事に当たったようで、あの人の表情の読めない顔が少しだけ変化した気がしたが、それが何だったのかは分からない。
もう余計な詮索はするなと脅されるか、それとも開き直って認めるのか。…それからあの人が口を開くまで暫く続いた沈黙は、酷く長いものに感じられた。

「…私が訪ねたのは、スクープとやらを提供する為だ」
「へぇ…それはどうも」
「5日後の午後、人と会う。それを記事にして掲載しろ」
「は?」
「要件はそれだけだ」
「えっ?その日は恋次の…ちょっと、待ってください!!」

あの時はその意味が全く分からなかったし、話を逸らして逃げたのかとも思った。さっさと退室してしまったその唐突さに面食らって部屋を出たその人を追いかける事もしなかったのだ。



****



明らかに動揺を見せる恋次の様子に、複雑な感情が湧き上がってくる。
この写真を撮らせて記事にさせ、それを公表させる…それあの人の目的だ。それがどんな意味なのか、どんな意図が含まれているのかを全部分かった上で、俺はコイツに残酷な事をしている。
どうせ今見せなくとも発行してしまえばあっという間に広まるだろうし、恋次の目にも入る日だってそう遠くは無い。だがあえて今この時、コイツを呼び出して見せる事を俺は選んだんだ。

「大丈夫か?」

あの人は、コイツが今どんな顔をしているのか知らないだろう。
これがあの人なりの優しさだとでも云いたいのか。恋次を守る為だと云いたいのか。
この記事が広まれば、きっとここ数日の内に起こった奇妙な事件は終結する。恋次の副隊長としての地位もそのまま、少しの拘置という罰だけで早々に。
肝心なコイツの想いを置き去りにして、何も知らせないまま全て無かった事にしようとしているなんて、なんて残酷な人だろう。
そのくせ自分からこんな写真まで撮らせたくせに、恋次を本気で突き放す気なんかさらさら無いその根性が理解できない。

俺ならもっと違う方法でコイツを守ってみせるのに。こんな方法しか取る事が出来なかったあの人の事が俺は嫌いだ。
だから、あの人がコイツの事をどれだけ大事に想っているかなんて、今更伝えてやる義理なんて無いんだ。




動かない肩を掴んで引き寄せて、そのまま両手を回す。
何で?そう困惑した顔をする恋次の体を、先程よりも強い力で抱きしめた。

「俺が、いるから」


そんな顔すんじゃねぇよ。
いつもみたいに、笑ってくれ。






fin...






■あとがき


加籃菜=カランコエ
花言葉「あなたを守ります」




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