番号が書かれた扉の前に立ちつくす。
どう声をかければ良いのだろう。顔を合わせたらまず何を話せば良いだろう。

そう思えば思うほど声を出す事が出来ず、とりあえず声をかけずに戸を叩けば直ぐに入室を許可する声が耳に入ってくる。
その声は間違いなく檜佐木の声だ。急激に胸をせり上がってくる感情に、開けようと戸に触れた指が震えた。

あれから約半月、意識が戻り一般病棟に移ったと聞いた。…今は一体どれほどまでに回復したのだろう。
どこか、後遺症や傷が残ってはいやしないだろうか。
骨折でさえ1日で治してしまう四番隊にずっと入院していなければならないほどの重傷だったのだ。
最後に見た姿を、抱え上げた時の惨状が瞼の裏に鮮やかに蘇った。
自分の衣服や肌にこびりついた彼の血液の温かさ。脱力した体の重み、血色の無い顔。そんなモノをかき消すように首を振る。
もしも市丸の言葉通り、自分の身代わりにこんな目に遭ってしまったのなら謝罪してもしきれないという後ろめたさもあるが、それはともかくだ。
意を決し、もう一度扉に手をかけようとする。

「おい、何時までも突っ立ってんじゃねぇよ」

取っ手に触れたまま勝手に開いた扉。
目の前に現れた顔が、意地悪げに笑った。

「…、檜佐木さん…」

意識とは無関係に沸き上がるものを堪えながら恋次は思った。ああ、自分はいつからこんなにも涙脆くなったのだろう。
あの時引き離されてからずっと、無事を考えなかった日は無かったのだ。

「何だぁ?その景気の悪い顔は」

湿気た面してんじゃねぇよと叩かれた頭部が思いの他痛くて、そんな軽口を吐けるほどに回復している事が嬉しくて。
ますます目尻から涙が溢れ出しそうになって、ごまかすように俯けば檜佐木が自分の体を引き寄せてくる。促されるまま肩に頭を埋めれば、言葉は無く優しく慰めるように頭を撫でられた。

大きな手が、久しぶりに感じた檜佐木の体温が、心地よい。気を抜いたら先ほど我慢してきたものが堰を切って溢れ出てしまいそうで、恋次は未だ離れようとしない檜佐木の掌を感じながらぐっと奥歯を噛みしめた。


****


「寝てなくて大丈夫なんスか?」

恋次を室内に迎え入れた檜佐木は、恋次を客人用の小さな椅子に座るよう促し、自らも寝台に腰を下ろす。
横に置いてある机には持ってこさせた仕事らしい書類が山のように積まれていて、つい今しがた目を通していたと思われる資料が寝台の上にまで散乱していた。

「まぁ、大方完治してんだけど。一応俺って副隊長だし?念には念ってヤツ?それよりもお前はどうなんだ。怪我とか、体はもう平気か?」
「俺は、大した事なかったんで」
「その割に、随分やつれたんじゃねぇの」
「そうでも無いっスよ」

軽い調子で話す檜佐木の体に包帯は無く顔色も普段と変わらないように見える。体調も万全そうだ。

「まぁ、あんな所に押し込められてたんじゃ、仕方ねぇか」
「……」

様子を伺ってくる檜佐木に真実を知られたくなくて、恋次は曖昧に笑う事で誤魔化した。
確かにずっと閉じ込められて筋力も体力も落ちている。だが、それだけが己の不調の原因かと問われればそうでは無い。白哉との関係による精神的疲労の蓄積も多いに負担になっているのだと何も知らない檜佐木に語るのは躊躇われた。

「悪い。俺も何度か上に掛け合ったんだけど…全く相手にされなかったんだ」
「いいんです。とにかく、檜佐木さんが無事で良かった」

言い渋っている恋次の不調の理由を、刑による疲労だと解釈した檜佐木は逆に申し訳なさそうにする。その言葉に真実を知られなくて良かったという安堵と、病床に伏せる身で己を気遣ってくれていたのかという感謝の念が交錯して、恋次は申し訳なく首を振った。


「それにしても、すげぇ量の資料っすね。次号の瀞霊廷通信用っすか?」

せっかくの再会なのにこれ以上しんみりした空気を作りたくなくて背後にある仕事らしき書類に視線を移す。
そうだ。全ては終わった事だ。檜佐木も無事だったし、白哉との関係も元に戻るだろう。もう何も心配しなくて良いんだと、いい加減無理矢理にでもケリを付けなければ。

「あ、ああ、まぁそうだな。」

編集中だから勝手に見るなよと釘を刺した檜佐木は、寝台の上の書類を適当にまとめて机の上へと戻す。その仕草がまるで自分に見せないように慌てて隠したような気がして恋次は首を傾げた。
普段ならば取材や何やらでプライベートな部屋に仕事の資料を持ち込む事も多い男だ。たまの修羅場中に泣きつかれて吉良と共に手伝ったりもする仲である。
いろいろなレポートの原稿や写真の類が混ざっているらしく、積みあがった書類は机の上で今にも倒壊しそうな程になっている。

「なぁ、朽木隊長には会えたのか?」
「俺が戻った時には外出されてたので、まだ…」
「…そっか」

檜佐木の問いかけに、恋次は咄嗟に嘘をついた。
実際に隊に戻った時には白哉は不在であったのだから完全に嘘という訳ではないのだが、あの時の事を誰かに話す気には到底なれない。

「どうするんだ、これから」

少しだけ言い渋るように檜佐木が続ける。
それはまだ六番隊でやっていくのかという意味だろう。同じ副隊長として同僚を心配してくれたのだろうが、それ以上に隠している筈の白哉との関係まで問われた気がして、恋次は視線を彷徨わせた。
白哉との関係は、どうなるかは分からない。だが、六番隊副隊長という立場を降ろされていない以上、復帰した自分に信頼を寄せてくれる部下達をこれ以上裏切ってはいけないとも思うのだ。

「…もう少し、頑張ってみようと思ってます」

六番隊副隊長として。
そう答えた恋次に、檜佐木は何か言いたげに口を開いたがそれは言葉になることは無く、ただ頑張れよとだけ励ますと優しく頭を撫でた。

「遅い時間にすんませんでした」
「いや、また来いよ。俺はまだ暫く此処にいるからさ、エロい雑誌とか差し入れてくれるとすげー助かる」
「ははっ、考えときます」

恋次が出て行くのを手を振って見送った檜佐木は、机の上に乱雑に積まれた書類をこれまた乱雑に寝台の上へと戻した。一番上に積まれた資料をめくり、部下からの報告書を読んでゆく。その間に、何枚か乗り切らなかった紙類がバラバラと床へと散らばった。
舌打ちをしつつそれらを拾い集める檜佐木は、とある写真に手を伸ばした所で眉間に皺を寄せて険しい顔をした。

それは、どこか料亭らしき庭園で手を取り微笑み合う男女の姿が写っている何てことない写真だった。女性の方は若く煌びやかな着物と髪飾りの出で立ちから身分の高さが窺える。
女性が何者なのかは知らないし特に興味も無い。問題はもう片方の男の方だ。
身に着けている着物は落ち着いた色合いで一見簡素に見えるが、その価値は屋敷数件分程の価値があるのだろう。貴族の証である髪留は見慣れ過ぎた程に知っている。
それは先ほど見舞いに来てくれていた可愛い後輩の上司であり、今檜佐木が部下を使って極秘に調べさせている男だった。

「こんなもん、今のアイツに見せる訳にはいかねぇもんな」

溜息を一つ吐き出してそれを拾い上げた檜佐木は、その写真を再び資料の束の間に挟み込んだ。


*****


宿舎に帰る道を歩きながら恋次は考える。
白哉の事は分からない。だが隊員達は変わらず自分を信頼してくれているし副隊長としての責任もある。まだ、六番隊で自分の居場所があるのだから、やれるだけの事はやろう。

「まぁ、なるようにしかならねぇもんな」

漸く少し前向きな気持ちになれた気がして、恋次はうんと背伸びをしつつ明日からの事を思ったのだった。




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