ようやく一息付けたのは、日が沈み部下達も帰った後であった。
そんなタイミングを見計らったように、次の変化は訪れる。


ポンッ!!
「にゃぅっ!!」

そんな軽い音と情けない声が部屋に響き、白哉は少々げんなりした気分で筆を置いた。
今度は書き損じる事も無かった書類を処理済の束へと重ね、音の方向に目をやると、声の主は唐突に再びやってきた体の変化と衝撃に耳の毛まで逆立てて肩を数センチ跳ねさせたままの状態で硬直していた。

「…今度は何だ」

その声でようやく正気に戻った恋次は勢いよく椅子から立ち上がる。
今度はどうなったかと頭を触り顔に触れ、両手を確認。若干爪が伸びている気がしたがそれは昨日もそうだったから関係ない。両足もちゃんと人の形で二本足で立っている。
一周ぐるっと自分の姿を確認した所で、恋次はその新しい変化にもう一度硬直し、白哉は嫌なものでも見たようにふいと目を反らした。

先ほどの爆発で少し破れたらしい袴の間から現れていたのは、長いふさふさの尻尾。
大型犬のように毛長い太いものではなく、すらりと細長い其れは、耳と声と尻尾と合わせれば、立派に猫のコスプレ(としか言い様がない)であり、恋次は今度こそ泣きたくなった。





《俺、このまま猫にまっちまうんでしょうか》


紙に書かれた文字は感情の乱れなのか、若干歪んで読みづらい。
此方に聞いた所で専門外だと思う白哉には、縋る様な視線を向けながら紙をかかげる恋次を励ましてやれるような言葉は思い当たらず、ただ曖昧に首を振るだけであった。

事実、あれからきちんと四番隊に駆け込んだり、もう一度技術開発局にお伺いを立ててみたりもしてみたのだ。
だが、両者とも「様子を見ましょう」もしくは「そんなに気になるようなら切断するヨ」という希望の持てない結果で。
そんな状況を踏まえて安易に恋次を安心させる言葉をかけてやれるほど白哉は無責任な性格でも無く、二人して微妙な空気のままの沈黙が続いていた。

恋次は思う。
この忙しい日でも言葉の不自由な自分に付き添って色々と手を尽くしてくれたが、白哉は今の自分の状態に呆れて嫌気がさしているのではないか。
白哉は犬か猫かと言われれば犬が好きだろう。夜一の件もあり猫を毛嫌いするふしがあるのは事実で。
もし、明日になって完全に猫の姿になったとしたならば、白哉は自分に見向きもしなくなるのではないか。
あっさり捨てられるのではないか。
それが不安でたまらなかった。

「にゃー」

隊長、そう呼んでいるのに、音になるのは言葉ではない。
呼びなれた名を呼んでいるのに、伝えたいのに。
例えば感謝の言葉だったり、もっと大事な言葉だったり。

《もし、俺が猫になっちまったら、隊長は…》

俺を、飼ってくれますか?
半紙に滑らせていた筆がピタリと止まる。そう続けようとして、思わず恋次は書いていた紙をぐしゃぐしゃに握り潰していた。
何だよ「飼う」って。そんな事。
そんな事。あっさり捨てられた方がまだマシだ。
背中を追いかける事もできず、手合わせを願う事もできず、言葉も情も交し合えない、そんな状態で違う者が自分の位置に来るのを見続けるなど、そんな事。

ふいに頭に何かが触れる気がして視線を見上げれば、いつのまに近くまで来たのか、白哉が自分の頭を撫でていた。
頭の耳を押さえるように撫でるものだから少し痛いと思うのだけれど。

「恋次」

その声が優しくて。
再びうつむいた恋次はもう顔を上げられない。
目じりから落ちそうになる水滴を誤魔化すように、半ば衝動的に、恋次は立ち上がると白哉に縋りついていた。

「にゃう、にゃーっ、にゃーぉ」

勢い良くすがり付いてきた体を抱きしめて、何かしら鳴き続ける恋次の頭を撫でてやりながら白哉はその変化しつつある姿を見下ろした。
普段ならば恋次の方が背も体格もあるというのに、腕の中に納まった体は、身長と共に随分縮んでいる。
声が変わり、姿が変わり、小さくなっている。
ゆっくりと確実に見た目が変わっている事に、少なからず衝撃を受けている事を自覚して白哉は苦笑した。

《俺が猫になっちまったら》

握りつぶされた紙屑には、書きかけの言葉。
赤い瞳を潤ませて鳴く猫の頬をそっと上げさせると、濡れた頬に口付けを落とす。

「貴様が猫になったとて、飼うてはやらぬ」

そっと唇をはんで、舌を差し込むとビクリと跳ねる体。
白哉の言葉はいつも大事な事が欠けている。その言葉を悪い方に捕らえたのか、悲しげな顔をする恋次に白哉は喉の奥で笑った。
言葉を使ったとて正しく伝わるものでも無く、例え言葉を使わずとも正しく伝わる事など沢山あるというのに。
捨てないでと鳴く猫が今どんな事を思っているのか白哉には手に取る様に解るのに、たった一言の言葉で落ち込む恋次には、白哉の心情など解る筈も無い。

もっと深く触れ合えば伝い合えるような気がして、白哉は腕の中から逃げようとする猫を捕まえるべく、より力を込めて抱き締めた。





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