日記にて気まま更新。獣系注意


縛道を解かれた犬が自ら身体を洗うのを、入り口の戸に背を預ける程に距離を取った白哉は、他に何をするでもなくその様子をただ淡々と眺めていた。
男が男の湯を浴びる様を見守るなど、何と妙な光景だろう。

本当ならば、今頃は静かに自室で読書を楽しんでいた筈なのだ。
多忙な日々を少しだけ忘れゆっくりと流れる時を、休養と教養を高める事に贅沢に時間を割ける貴重な休みの日。何故自分は妙な生物を前にしてこのような使用人まがいの事をせねばならないという事に、地位や家柄から普段は全く逆の立場の白哉は不快極まりなかった。
噛まれた腕がズキリと痛んだ事も不快の要因の一つではあるが、だがそれでも白哉が浴室から出ないのは、不快以上に率先して湧き上がる興味の方が勝っていたからだ。

人前で肌を晒すのに慣れぬのか恥ずかしそうに背を向ける犬の腰骨よりも更に下、双丘の少し上から伸びるのは水を含み草臥れた箒のような犬の尾。
耳や髪と同様に紅いその尾は時折ゆらりと動くものの、基本的にはしなりと床に垂れ下っているだけの其れが時折動き、耳と同じように感情を表す事にも興味を引かれた。
人の髪とは若干違うその感触にも、時折見せる強い眼差しも。


人でもあり犬でもある。本当に可笑しなものが自分の元へ転がり込んできたものだ。
白哉は先ほどまでの犬との遣り取りを思い出し、少しだけ口元を綻ばせた。
観察する事に満足したのかそのまま黙々と洗い続ける犬を後ろに浴室を出ると、外はもう昼の晴れやかな空色が夕暮れ時のオレンジへと変わろうとしている時間帯。
犬が浴室を出る頃には、もう空は一面赤に染まり、建物の影へと落ちてゆく日が足元の影を伸ばし消えてゆく頃であった。



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着替えにと置いておいた着物を着て部屋へと戻ってきた犬は、白哉が意外だと目を見張るほどに整っていた。
整うというのは、見た目の事だ。
洗ったといっても所詮は野良犬。きっと髪もそのまま、着物もだらしなく身につけ、もしや濡れたまま戻るかと内心思っていた白哉は、本当に意外にも驚いたのだ。
水気を取り櫛の通された髪は艶やかさを増し、どこからか見つけた紐で高い位置でしっかりと束ねられている。
着物も、襟元を乱す事なく綺麗に身につけているその姿は、一時前の薄汚れた犬の姿など面影も無い。

「風呂嫌いだと聞いていたが」

思わずルキアの手紙の事を思い出したが、犬は緩く首を横に振った。どうやら不潔というワケではないらしい。
視線を反らし、頬を赤らめる犬は恥ずかしげに答える。

「一緒に、入ろうと…する…から」


可愛い妹がこの犬と共に混浴する様がリアルに頭に浮かんだ白哉は目に見えて嫌な顔をした。
犬が羞恥から散々に拒否を重ね実現には至っていないという事実でも、不愉快極まりない。
相手が本当の犬の形をしていたのならば、このような感情を持つ事も無いのだが。事実、この犬は、形からして犬では無い。

妹との様子を想像しげんなりとした白哉は再び思った。
何故私がこんな物の相手をせねばならぬのだ…。

そのまま犬から視線を外し、犬を待つ間読んでいた書物を再び開いた白哉には、先ほどまで前向きに沸き上がっていた興味も無くなっていた。むしろ何故かこんなにも憎らしく思えるのか白哉自身も自覚してはいない。
先ほどの傷がまたズキリと疼くのも、白哉は無視する事にした。



「……」


そんな白哉の心情など伝わる筈も無く、突然気配の変わった男に犬は戸惑っていた。
優しい素振りをされたと思ったら急に突き放される。
だが男が部屋を追い出すような事をするという事も無く、自分も他に行く宛てが無い。

部屋の隅に座った犬は、黙々と書物を読む主人の姿をただ静かに眺めるしかなく。
空は、もう暗く翳り始めていた。






05 / 06 / 07



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