日記にて気まま更新。獣系注意


掛け流しの湯が檜の浴槽を伝い、密閉された室内はふわりと白んでゆく。

浴槽から沸きあがる湿気からか、はたまた腕の痛みからか、ほんのり首筋に浮かんだ汗を意識した白哉は、この事態をどう処理すべきかという事と、こんなものを押し付けていった張本人達(もちろん妹は範疇外である)を思い出し不快極まりなかった。

何故私がこんな物の相手をせねばならぬのだ…。


遠慮無しに立てられた歯はぐいぐいと皮膚へと食い込んでいく始末で、その暴力的な抵抗と裏腹に震える体を前にして、動物相手に無碍に手を上げるのもどうだろうかと考えあぐねている。

押しのけようと強く頭を掴んでいた手を緩め、もう一度名を呼んでみるが反応は皆無。
柔らかな産毛まで逆立て震えて見えるその耳をゆっくりと撫ぜると、湿気を含みいくらか艶が増したその毛並みは、しっとりとした感触と淡い光沢を返し白哉の指先に絡みついてくる。


「恋次」

ピクリと、再度発したその言葉に、やっと鈍いながらも反応を示す犬。
次第に開かれる瞳と共に弱まってくる腕の痛み。そのまま撫ぜ続けると、威嚇しピンと逆立てた耳も序所にしなりと力なく伏せられてゆく。
恐怖と敵意を剥き出していたその視線も今は複雑な気持ちと困惑の色を強め頼りなく揺れるだけだ。
そうして長い時間をかけて、犬はようやく白哉の腕からその口を放した。






パタリ、と落ちた一滴の赤い雫が床を流れ続ける湯に溶けてゆく。
口の端から指先へと伝い落ちふわりと香る鉄の匂い。
相変わらず撫ぜるだけの白哉に、恋次は戸惑いがちにその視線を合わそうと見上げ、そして白哉と同様考えあぐねていた。

本当ならば、自分が手を出した事によりもっと過剰な反応を期待していたのだ。
相手は少女とは違い隙も無い。どんな人間なのかも分からない。
だからその反応を見極めて、逃げるなり。そうしようと思っていたのに。

返ってくるのは酷く検討違いな反応であり、その一方で心地よく感じてもいる。
どうやら、自分に危害を加えてくる様な敵ではないようだ…。
そう、ようやく恋次は判断した。

「た…いちょ」

発した音も驚くほど弱々しい。
もう一度傷口に触れた犬の唇は、先ほどの暴力的な動きを微塵も感じさせないほど、ゆっくりと白哉の肌へと触れていた。

「……」

チロチロと舌を動かし溢れる血を吸い上げ、まるで慈しむように傷口に触れてくるのを、鼻を抜ける吐息が肌を擽るのを、白哉はただ黙って見下ろしていた。




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撫でていた指が頬へと首筋へと下り、そして離れてゆく。
ふいに遠ざかる指先に、恋次は一瞬白哉を見上げたが、すぐに床へと視線を落とした。
それは心地よい感触が離れてしまった事を少し名残惜しいと感じてしまっての事だ。
そして何故こんなにもそう感じてしまったのかという悔しさも半分。それは手を上げてこなかったからという単純な理由で少し気を許している自分への葛藤も含まれている。

「きゃんっ」

決してそのような可愛らしい悲鳴では無かったが、そんな声が直後浴室に響いた。
声を上げたのはもちろん犬の方で、原因は単純に白哉が浴槽から汲取った湯を犬目掛けて頭から掛けたから。
それを予測し身構える事さえ出来なかった犬は滴る湯をそのままに呆然とするだけだ。


「要らぬ手間はかけさせるな」

再び湯を汲取られる音が耳に入り、慌てて恋次は目を瞑った。顔を流れる湯を拭いたくても両手は拘束されたまま視界は非常に悪い。
それと同じく落とされた言葉は鋭く冷たく、恋次は湧き上がる湯煙にと恐怖にただ噎せ返るしかない。

ぐいと強引に顎を持ち上げられ上向かせられ、恋次は小さく唸り声を上げた。
顔に張り付く鬱陶しい髪も、湯が目に入るのも自覚しながら、恋次は強く白哉を睨み付ける。
だがやはり白哉の表情は変わらない。


白哉は思った。
やはり、躾がなっていない…。


もう一度、白哉は犬の衣服に手を掛けてみる。
今度は噛み付いて来ない犬の反応を見て取り、くたびれた帯を抜き取るとボロボロの着物の前を開く。

「…ほぅ」

現れた肌に思わず白哉は声を漏らした。
それは痛々しい傷の痕跡もあった事もあるのだが、それよりも目を奪う見事な墨。
額や首筋だけかと思われたその刺青は全身を這うように肌に張り付いている。

「恋次」

顎を掴んでいる為に動けはしないが、今にも噛み付かんばかりに威嚇する恋次に白哉は口を開く。
その赤い瞳は先ほどよりも更に複雑な色を含み未だ揺れたままだ。


「このまま私に洗われるか、それとも自ら行うか。どちらか選べ」

ふと、思ってもいない言葉に犬は僅かに警戒を解き目を見開いた。
無理やりに捻じ伏せる気だと思っていたのに当てが外れたと言った方が正しいだろう。
白哉は構わず更に続ける。

「肌に触れられるのを好まぬならば自分で致すのが道理であろう。それとも、思考まで犬そのものであるというならば人扱いなどせず首輪で繋ぐがどうか」

もともとこの犬は、犬といっても耳と尾を持つ以外、外見は人の形をしているのだ。
ただ白哉の得た情報からは知能まで人並とは行かないレベルではあるのだが。


長い沈黙の後、恋次はおずおずと口を開いた。

「……じぶん…で、」




ようやっと答えたその声に、白哉は酷く満足感を覚えた。






04 / 05 / 06



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