今日も何も出来ないまま、答えひとつ浮かばぬまま、ぼんやりと灯りとりの窓から差し込んでいた日が暗くなってゆくのを寝台に腰掛けたままの恋次は眺めている。

また、夜が来る。
あの人は今、執務室で仕事中だろうか。それとも既に切り上げて隊首室で寛いでいる頃だろうかと考える。きっと仕事の速いあの人の事だ、正解は後者の方であろう。
職務の失態を反省する為の拘置の筈なのだが、実際浮かんでくる事は白哉の事ばかりだ。
元々塞ぎ込む性質でもないのだが、この状況下で何を考えてもうまく纏まらず、かといって体を動かして忘れようにも行動は制限されている。

拘置が解かれるまであと指折り数えても片手で足りるほどになったというのに、恋次の気は晴れてはこなかった。
ここから出た後、白哉にどういう顔をして会えば良いのだろう。

良くて降格、悪くて除隊という事も考えたが、副隊長の地位を剥奪されたという連絡は未だ聞こえてこない。
ともすればこのまま自分を使い続ける気でいるのだろうか。
隊長自らの手を煩わせたあげく顔に泥を塗る失態をしでかした部下を、そのまま使うほど慈悲深い男とも思えなかった。
足を引っ張る未熟者は六番隊には不要だと切り捨てるだろうに、実際は他隊の任務に参加した部下を現世にまで赴き助ける真似まで。

気まぐれのように手を差し伸べて、突き放す。
その心理が、理解できない。

「えらい暇そぉやね」

唐突に寄越された呼び声にびくりと肩が跳ねた。霊圧どころか此処に来るまでの廊下を歩く足音すら分からなかった事に焦る。
振り返ると、格子の外、薄明かりの灯る廊下の壁際に見慣れた白い羽織が映った。
だが、声の主は六を背負うお人ではない。

「市丸、隊長…」

表面だけ取って貼り付けたような気味の悪い笑みに、恋次は眉間に皺を寄せた。






「元気がとりえのキミがえらい暗ぉなってもぅてあかんっちゅう話をイヅルから聞いてな」

何か用かと尋ねる前に、その狐は機嫌良くさげに話しかけた。
顔は相変わらず不気味な笑みを貼り付けたままで、本当に機嫌が良いのかは計り知れないが。

「どんな様子なんか様子でも見てみよぉ思うて」
「ハア、…」

恋次は曖昧な返事を返すしかなかった。
そもそもこの男と接点など無いに等しいのだ。死神になった時には市丸は既に三番隊隊長になっていて直接的に関わった事など殆ど無い。
雛森の前に藍染隊長に仕えた前期。吉良の今の上司。挙げるとしたらそれくらいで、自分と直接繋がるものなど何もない。
例え吉良が話題に出した所で、市丸が恋次を心配する必要性はどこにも無いのである。
ともすれば副隊長の拘置という珍しい事態を面白がっての冷かしか、暇つぶしの類だろう。そう曖昧に恋次は思った。

「随分とやつれたなァ、前はよぉ日焼けした元気な子って感じやったんに、ちゃんとご飯食べなあかんよ?」

そんなたわいも無い事をつらつらと口に出されても、恋次は不気味さが先立って生返事を返すしかできない。
大して気の利く返事をしない恋次に呆れる事なく、市丸はただ笑ってみせるだけだ。
2.3言葉をを掛けると、廊下の壁に縋っていた体を起こし、恋次の入っている牢の格子へとゆったりとした歩みで近づいた。
そっと太い格子に手をかけて、中の恋次を上から覗き込むようにすると、口元に人差し指を立てて小さな声で囁いた。

「今日来たんはちょっとキミに同情心で、面白い事教えたろぅ思うてな」

ああ、きっとこれからが本題なのだろう、恋次は小さく身構えた。


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本来ならば拘置中の者と他隊の物が会話をする事は基本的に禁じられている。
先の四番隊の隊員のように、何かの最中に2.3言くらいは暗黙で許されているが、仕事上やむを得えない場合、直属の上司などは例外としても、仮にも刑罰を受けている最中に、長々と世間話に花を咲かせられる程は甘くはない。

明らかに私的な用件で恋次を訪ねた市丸の様子に、牢の端で監視を勤める男が不審そうに見るのにも構わず、市丸は格子へ縋りつくようにして中を覗き込む。

「ボク知ってんねや。ここ最近、十二番隊に多額の資金投資があったらしいで」

思わぬ言葉に恋次は目を見張った。
最近といえば、檜佐木と共に疑惑めいた転送をされたばかりではないか。

「金額聞いてえらい驚いたんよボク。あんな金どこぞの貴族でもなけりゃボクみたいな下民なぞ用意もできひん大金や。けどな、結局その話は後々破談になってんやて。おかげで十二番隊長サン今えらい機嫌悪ぅなってしもうて」

「それって、どういう…」

「そりゃぁ、目的が果たされなかったっちゅう事やろ?」

どういう意味だ。

「九番隊の副隊長サン、えらい目に逢うて大変みたいやけど、ちょっと予定が違ぉてたら、キミがえらい目に逢ぅてたんとちゃう」


真実とも誤報とも分からない口だけの情報でも、その言葉は恋次の心を激しく揺さぶるに値した。
つまりはこうだ。
檜佐木と、恋次の立場が逆ならば、十二番隊は思惑通り莫大な資金を受け取れただろうという事。
あの場で瀕死の重傷を負わなければならなかったのは、恋次の筈では無かったのかと。
なぜ、その情報を市丸が知っているのか。なぜそれを市丸が恋次に話す必要があるのだろうか。


「ボクは、六番隊長サンって睨んどんねん」

まるで人の裏話をして盛り上がっているような話ぶりをする市丸の言葉に、恋次は背筋が冷たくなるのを感じていた。
こんな場所で信用おけない男の口から齎されても、それを真実として全て信じるほど恋次はおめでたくは無い。だが、かといって聞き流す事もできないでいた。
思い当たる節など、いくらでもあるからだ。

ちょっとおいで、そう市丸に手招きされて、恋次は床に座っていた状態からゆっくりと手をつき格子に近づいた。思考は乱され半ば無意識にだ。

「市丸隊長!お控え下さい!」

ついに監視の男が声を上げる、が。それを眼差しだけで制すると、もう男はそれだけでこれ以上注意する事も近づく事すらできなかった。
こんな面白い事に水を差すなと云わんばかりに、どっと、周囲が重圧で満たされる。

触れるまでに傍に寄った恋次に、市丸は満足した笑みを浮かた。半ば呆然とする恋次の頭を小さい子供を褒めるように撫でてやると、そのまま指を下へと滑らせる。

「もう、痕は残ってへんの?」

何の、という疑問は不要だろう。
襟元の合わせの間から少しだけ肌をなぞられて、恋次は考えるよりも先に反射的に市丸の手を払い退けた。
だが払い除けた直後、再び伸びてきた腕で胸座を掴まれ引き寄せられる。
ガシャンと、格子に肩が当り、ジンとした痛みに恋次は眉を顰めた。

「なんや、此処入ってからは無いんか」

息が触れるほど寄せられて囁かれた声音に恋次は悪寒を覚えずにはいられない。
この言葉もただの推測で話しているだけの事なのか、それとも、一体どこまで知っているだ。
つまらないと、緩く外された手を避けて、腰を引いて距離を取る頃にはもう市丸の指は下げられている。恋次の様子に満足したのか、市丸はくすくすと咽を鳴らして笑った。

「知ってはる?六番隊長サンの奥方サン、えらい養女のルキアちゃんに似てはるんよ。そりゃぁもう瓜二つ。
そんでもって、養子に入れたんも、六番隊長さん好みに教育してから後々の後妻に添える為やて」

何の話をしているのか、理解できなかった。
言葉が、出ない。

「けど君も災難やね。ルキアちゃんのせいで六番隊長サンに酷い目に逢わされて」


その言葉で恋次は確信する。
この男は、推測で話しているのではない。自分と白哉がどんな関係であるかを知っているのだ。
白哉に、職務外で何をされているのか、どんな関係なのかも。全て。
そして、それをあろう事か全く関係の無いルキアのせいだと。

「あれ、もしかしてキミとルキアちゃんて、そんな仲とちゃうんかった?」

昔一緒に暮らしていたのなら、てっきり恋仲かと。だからそれを利用して、白哉は恋次をいいように扱っているのではないのかと。そう暗に市丸は言いたいのだ。
だが、そんな事など初耳の恋次はただ驚愕の表情を浮かべるだけ。
なんや、推測の的が外れたな。
そう誤魔化すように大げさに手振りを見せた市丸は、それでもニタリと嫌な笑みを消すことは無かった。

「貴族サンて、えげつないご趣味してそうやし。キミも大変やね」

また格子の間から覗き込むように見下ろされて、白い顔が哂う。


「このままやと六番隊長さんの暇つぶしに遊ばれて、飽きられてそのうち消されてまうとちゃうん?」

思い出されるのは、自分を見下す冷たい瞳。その眼差し。


「そんななってもぅたら、死ぬ理由にしてはあんまりやろ?」

だから、同情で教えてあげよう思うて。


部屋を去るその最後の瞬間まで、市丸は笑みを崩す事は無く、ただ何も反論できないまま、恋次はその飄々とした背を見送る事しかできなかった。

思い出されるのは、白哉のあの冷たい眼差し、暗い沈黙。

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牢の閂が外され、重い扉が開く。

拘置を解かれ、久しぶりに外の土を踏みしめた恋次の心は、今日の好天の空のように晴れやかとまではいかなかった。

これから直ぐに白哉のいるだろう執務室に向かい、復帰の報告をしなければならないのだが、それも酷く気が進まない。
先の事件について市丸の言葉は本当なのか。もし真実ならば、何故裏で手を回すような事をする必要があったのか。
聞かなければならない事が、知りたい事が山のようにある。今までの事、ルキアの事、そして白哉の心理。


それを真正面から問うた所でまともに相手にしてもらえる自信は無かったが、このまま自問自答を繰り返しても埒が明かない。

けれど、その前に。

恋次の足は、執務室の方角とは全くの逆方向へと向かっていた。
対峙する前に一つだけ確かめなければならない事があるからだ。


―――六番隊長サンの奥方サン、えらいルキアちゃんに似てはるんよ。
市丸のその言葉が頭から離れず、恋次は執務室とは逆の方向へと駆け出した。


今ならば白哉はきっと執務室で仕事中、姿を見られる事は無いだろう。
人目を避けて霊圧を消し、恋次は白哉が隊の中で私用で使っている敷地内へと足を踏み入れる。
ここには必ずある筈なのだ。
決して他者が踏み入れてはいけない白哉のプライベートな空間。
仏間、が。


白哉に奥方がいたという事は風の噂程度に知っていた。病で既に無くなっているという事も。
だが、それがどんな女性だったのかまでは興味を惹かれる話題では無かったし、知る必要も無いと思っていた。だが、今はどうしようも無く知りたかった。
市丸のあの言葉が真実だとは思いたくない。だが、わざわざ獄中の自分に嘘偽りの情報を提供しに来るという必要性も感じられないし、そんな暇つぶしにもならない事をあの男がする筈も無いと思った。
どこか腹の奥底が見えない男である。同情で動くとは思えないが、今は確信を得るだけの情報が少なすぎる。




その場所は、一見普通の屋敷のように見えた。もちろん隊員ではない、朽木専属の使用人が数人ではあるが在中している。どうやら白哉が隊長になる以前から在った建物のようだ。
今は白哉が私室として利用しているのは隊首室であり、此処は寝起きをする場所ではなくなっているが、昔はこの場所も何かしら使われていたらしい。

誰にも悟られぬよう部屋を探ると、思いの他簡単にその部屋は見つかった。どうやら鍵もかけられてはいないようだ。

周囲を気にしつつその扉を開くと、開かれたそこはがらんと広かった。
一切何も無い部屋の中央に小さな開き扉がひとつあるだけの質素な部屋。
貴族のものとなれば金銀装飾を鏤めた豪勢なものを想像していたが、そこにあるのは代々の先祖を祀り上げる為の大きなものではない、ただ一人の為に誂えさせたささやかな仏壇が一つ、部屋の中心に在るだけだ。


閉ざされた小さな扉と対峙して、恋次は無意識に呼吸を止める。
遺影を暴くなど、なんと非常識な事だろう。だが、そんな事など考えていられなかった。

市丸の言っていた事など、戯言であればそれでいい。
奥方と、ルキアとの間には、何も無いのだと。
全く縁の無い無関係な存在なのだと。
そう願わずにはいられなかった。


手をかけ開くと、殆ど音を立てず動いた扉。


「…っ……」


そこに在る、儚げに笑う見慣れた写真は、間違い様もない程に。
よく見知った面影。

恋次は泣き笑いの表情を浮かべた。




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