さぁ、顔を上げなさい。その今にも泣き出しそうな眼差しを見るのです。
反らさずに、真っ直ぐに。



そして終わらせましょう。
ここで終わらせましょう。


戯れを。



流れ落ちた涙を思わず拭ってやりたくなった、なんて。
なんと贅沢な事。


どうか、

私の戯れを、どうかお許しになって。



[鬱金香]




窓から差し込む日の明るさから、もう朝になったのかと霧がかった頭で思う。
ギシと音を立てた寝台は酷く質素なもので。暖房も無く、窓ガラスも無い嵌り格子の室内は無駄にがらんと広い。
寝付かれずに一晩を過ごしてしまった頭は未だ覚醒してはおらず、恋次はただぼんやりと天井の木目を眺めているだけ。六番隊施設の一角、普段は罪人を入れておく為の拘禁牢の中で一人、何をする事も無く寝返りを打った。

鳥達の囁きが心地よく耳に入ってくる。
普段ならばこの日の高さになればもう執務室で朝礼を行っている頃だ。
白哉に今日行う執務事項を確認し、昨日の晩に他隊から回ってきた書類に目を通し始め、一日が慌ただしく始まる。それが日常。



―…本来行うべき筈の任務を無視した単独行動、及び同行の他隊副隊長を意図的に危険に晒した責任として。
恋次はこの牢から出る事を禁じられていた。



虚の殲滅という今回の任務は、途中から加勢した白哉のおかげでなんとか殲滅という目的だけは成し遂げられはしたが、それは成功と言うには酷くお粗末なものであった。
実際に檜佐木は瀕死の重傷を追い、今も四番隊で治療中。白哉も元々この件に関わっていない立場である。
任務失敗の全ては恋次の責任とされた。

檜佐木の意識も戻らぬ間に、大した調査も終わらぬままに、驚くほど早く言いわたされた罰にもちろん恋次は不服を唱えたが、副隊長風情が隊長格の決定を覆せる事など出切る訳も無い。
恋次は半ば強制的にこの牢へ押し込まれた形になったのだ。

技術開発局が関わっている事は明白である筈なのに、十二番隊は全くの不問。全ては新米の副隊長の責任という事で処理された。
それでもこの決定は些か早急すぎると意見する者や、恋次の人となりを十分理解し疑問を持つ者もいたのだが、最終的には大人しく刑に服する事となる。

理由は簡単だ。白哉が異議を申し立てる事をしなかったからだ。

「これより二十日間の拘置を命ずる」

名前も知らない面覆いの男がそう告げに来た。
よく知るあの人のように抑揚の無い声で、同等の冷たさであくまでも事務的に。そう言いわたされた事に釈然としないにしろ、あの人からの直接の命で無い事が少しだけ救いであった。
唐突に与えられた時間は、良くも悪くもゆっくりと冷静になる思考力を恋次に取り戻させていく。
本当ならば今すぐにでも制止を振り切り檜佐木の元へ駆けて行きたい。白哉の元へ行き再度真意を問いたい。
だが後先考えず、我武者羅に走り周り自滅していたかもしれない事もまた事実で。混乱した頭を冷やすのに、他人と遮断される拘置は不本意であり、違う意味で有り難かった。

それに、禁じられているにもかかわらず、友や部下達がこっそり檜佐木の容態が安定したと知らせに来てくれた事により、とりあえず一番の心配事は無くなっている。
ともすれば、有り余る時間へいきなり放り出された恋次の頭にひたすら思い浮かぶのは、一人の人物しかいなくなっていた。

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「…おはようございます」

少し気弱な声が格子の外から聞こえて目が覚めた。

牢へ入ってから今日で6日目の朝だ。
掃除の為に定期時間になると現れる小柄な四番隊の姿に、恋次は過剰反応し勢いよく顔を上げてしまった事に後悔し少しだけ苦い顔を浮かべた。

…誰を、期待していんだ。


様子がおかしい事に気がつき、気分でも優れないのかと問うその男を曖昧な言葉で誤魔化し遠ざけるものの、逆にお前の方こそ言葉や態度に覇気が全くが無いじゃないかと頭を叩いてけし掛ける元気は無く、ただ淡々と清掃を続ける姿を目で追うだけだ。

「あの、その…、檜佐木副隊長のご容態でしたら、昨日ようやく意識が安定されてきたので、普通病棟の方へ移られましたよ」


掃除が終わる間際に、こそりと教えてくれたその言葉に、少しだけ胸が軽くなる。
思えば最初に檜佐木の意識が戻ったと教えてくれたのもこの男だ。

どうやら、以前恋次が十一番隊にいた頃に、何度か救護班として任務に参加した事があるらしく、手も口も悪い連中に混じっての中で、恋次の事を好意的に感じたらしいというとても単純な理由で、定期的に檜佐木の容態を知らせてくれている。

「そうか、すまねぇな」

そう一言礼を言うと返されるはにかんだ笑みが何となし理吉を想像させた。
騒がしく楽しかった生活が、一変したのはいつの頃だったろうか。


姿が見えなくなり、また一人の空間に取り残される。何をする事も出来ず今日もただ答えの出ない自問自答を繰り返す事が始まるのだ。

ここへ軟禁されてから、白哉とは顔を合わせてはいない。
姿も気配も、霊圧さえも、もう自分の周囲に全く感じる事が無いこの牢の中。一人、格子の向こうの空を見上げ、恋次はぽつりと誰にでも無く漏らした。


「来るワケ、ねぇし」

例えば、仮にも上司である白哉が、部下である恋次を心配して様子を伺いに来る…そんな事。

ありえない想像、悪い冗談だ。
例え話として、来る理由があるとすれば何だと考えても、やはり性処理として自分を抱きに来る事しか浮かばなかった。
普段から場所を気にしなかった白哉の事だ、その気になれば牢の中でも監視の目があろうとも関係無いだろう。
何時も白哉の気が向いた時に、好きなだけ相手をさせられて。自分の意思など無関係だったくせに。
そんな男が他人を、まして興味の無くなった自分など構う筈が無い。
自分だけが一人捨て置かれている状況に妙な腹立たしさを覚えた。


苛立つのは、白哉の心理を図りかねるからだ。
理解不能だからだ。

先日、白哉の部屋へ呼ばれたあ時の遣り取りが脳裏を過ぎる。少しだけ白哉を理解出来た気がしたのは、近づいた気がしていたのは勘違いだったのだろうか。
夜の散策に連れ出された時、檜佐木が好きかと問うた時、きっとその時だけは白哉の内側を垣間見た気がしたのに。
きっと分かり合える、そう思ったのに。


「何だってんだよ…一体」

貴様には関係の無い事だと。その一言で突き放されたのだ。
結局は振り回されるだけで、自分は何処にも動くことができない。
こんな惨めな思いをするのならば、いっその事どん底まで落としてくれたら良いのに。
何時ものように犯しに来てくれても一向に構わないとさえ恋次は思う。
手酷く扱われても、乱暴で暴力的でも、もう何でも構わない。

その瞬間だけは何も考えなくて済むのに。
何も悩まなくて済むのに。





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