「今宵は月が美しい」

そう誘われて、夜の散策に連れ出されたのは秋から冬へと変わる頃。
断る事など出来る筈も無い恋次は黙って前を歩く白哉の後を追って歩いていた。
どうやら灯りは持たない主義の白哉は、恋次に気を掛ける事なく芒のたなびく草原をどんどん先へと進んでゆく。
仕事以外で理由無く共に歩くという行為に慣れない恋次は美しい月や満天の星空、情緒ある秋の風情を楽しむ余裕もなく、絶えず緊張したまま白哉の背を眺めたままで。
共に言葉は無く秋虫の羽音と乾草を踏みしめる足音だけが耳に響き、それがむしろ忌々しくさえ感じた。

「……」

何か、話しかけた方が良いのだろうか。
そう何度か考えてはいるものの、何と切り出して良いのか結局は浮かばず、先ほどからずっと無言の散策が続いている。
間が持たないというレベルではない。息苦しさに窒息しそうだ。

「あの…隊長…」

何か。言わなければ。
明日の仕事の事とか、これが終わった後の事とか、…本当に何で自分なのかとか、東仙隊長に誘われている事とか…。

「…ルキアとは、こんな感じに歩いたり…するんすか」

思わず出た言葉に直後後悔した。
この名を、ルキアを話題に出すつもりは無かった恋次は苦い顔をする。…出すつもりはなかったのに。
その名は云わば互いの間に在るしるべのようなものだ。自分がこの男を、この男が自分を挙げるならば真っ先に出てくる名で。だが、互いの間に挟んで良い存在で無いのも確かで。
その言葉にこの夜初めて足を止めた白哉に恋次は更に狼狽した。
横目で恋次を振り返った白哉が静かに口を開く。

「否」

返答は只、それだけ。
また歩き出した白哉とは裏腹に、恋次は追いかける事なく立ち尽くした。

冷たい人だと、思う。

言い放たれた言葉は、妹としての愛情の欠片も無いほどに温度の無い声だった。血は繋がっていなくとも肉親として迎え入れたのは白哉の方。多少の情もあるだろうに、まるで自分には関係の無い存在の人間の話だと返されたようで腹立たしい。

「気に、なるか」

だから、付いて来ない恋次に気づき白哉が振り返った時、咄嗟に感情のままの表情で睨んでしまった。それを見られ興味深げな顔をした白哉がそう問うたのにも答えなかった。

「お前達は、共に暮らした事があったのだったな」
「…、餓鬼の頃の話です」

今は目の前のこの男の元、姿を見る事も会話する事すら躊躇わなければならない存在になっている彼女を想う。お互い40年という時を重ね心身共に成長しているのに、自分の中のルキアの姿は未だ院生時代から成長する事がない。


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押し黙ってしまった恋次に、白哉は先ほど問われた義妹の姿を重ねて眺めていた。

「在れは、お前の前ではよく笑うのか」

ふいに発せられた問いに何の話なのか分からなかった。
まだ怒り交じりで睨み返した恋次を咎める事はせず、白哉はそのまま話を続けるようだ。

「私は、在れが笑うのを見た事がない」


在れとは、恐らくルキアの事だ。 そう感じた恋次は単純に驚いた。
自分の話に白哉があわせてくれた事も、ルキアの話をしてくれた事もなにもかも。
彼女が養子へと引き取られてから、ずっと近づく事すら出来なかった。
頭の中ではこれで幸せになれるのだと安堵し感謝した反面、彼女の全てを奪われたような嫉妬に駆られる事もあったのに。
その相手が、そんな話を自分にしてくるなんて。
自分の中で思い出される彼女の姿は共に笑い、怒り、悲しみさえも共有し、表情豊かに思い出せるのに。



「…よく、笑う奴ですよ」
「そうか」

何と言っていいのか分からず、それだけ答えた。
40年と共に暮らした白哉は、その思い出が無いのだ。
どんな気分なのだろう。やはり普通の人と同じく、白哉も寂しく思う感情があるのだろうか。




「隊長は、誰かとこんな風に散策に出る事は、あるんすか」

「…昔は、」

そこで言葉が止まる。
何かを思い出すように視線が自分から外れ、そしてまた戻る。 高く伸びる芒がさわさわと音を立て、一瞬強く吹きぬけた風が足元の枯葉を暗い夜空へと舞い上げた。
その様を眺め、ぽつりと囁いた声は恋次に向けてもものでは無く、その言葉は誰にも向けられないささやかなものだった。

「このように共に誰かと歩くのは、久しいな。本当に」

その様子にまたも恋次が見入る。錯覚だったのかもしれないが、その時の白哉の横顔は酷く優く、そして儚げに目に映った気がしたからだ。
普段の近寄りがたい、冷たい温度の無い気配とは違う。その望郷を思い出すかのような柔らかな眼差しのまま、自分へと向けられる視線に恋次は戸惑った。
こんな顔など知らない。


ふいに白哉が此方を向き、微笑んだ気がした。
それは笑うという表現で表すには到底足りないほど変化の乏しいものだったけれど。

すっと伸びてきた掌が最近の不調と寝不足のせいで肉の減った頬を撫ぜる。その冷たい感触が普段は悪寒を感じるほどに嫌な筈なのに。

「痩せたな」

頬から首筋へとその感触を確かめるように白哉の指が動く。


「無理をさせている」


夜冬の空気に晒されたその手は冷たく冷え切っている筈なのに。
触れた箇所がじんと熱を帯びたように感じられたのは白哉の指か温かだったからか、それとも己の頬か。
先ほどよりも僅かに苦笑いを顔に浮かべた白哉の表情を見るからに、自分はさぞかし酷い顔か、はたまた困り果てた顔をしていたのだろう。
そのまま指が離れた後も、恋次はどうして良いのか分からずに視線を彷徨わせるだけであった。

また歩き出した白哉に、慌てて恋次も歩き始める。 流石に隣り合ってという訳にもいかず、少し遅れて付き添って。けれども、距離は驚くほど近く。何よりも心が。




もしかすると、この人は本当は寂しい人なのかもしれない。
もしかすると、自分は白哉にとって何か意味のある存在になれるのかもしれない。




「また、誘う」


帰り際、白哉からのその言葉に自然と笑みがこぼれた。

「…俺で、良ければ」

この人にこんな風に笑うのは本当に久しぶりのような気がして、妙に可笑くて、そのまま背中を見送った。
今はまだその溝は埋まらないけれど、それでも少しづつその距離を縮めていければ…。



一人部屋へ戻った恋次は冷え切った体で布団にもぐりこむ。
胸の奥が、何か温かいもので満たされてゆくのを感じて、先ほどまでの事を思い出し目を閉じた。


序々に訪れる眠りに任せて、その夜視た夢は遠い昔忘れてしまった淡い情景。
不思議と、深く眠れた気がした。


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暗い冥い回廊。 どこまで、墜ちる。


「白哉様、頃来よくない御噂を耳にいたしましたが、誠でございましょうか」

久しぶりに戻った朽木の屋敷、白哉はもの静かな家老からの言葉に眉を顰めた。何も告げずその場を去ろうとしたが、今度は強い声音で名を呼ばれる。

「…ただの噂だ」
「火のない所に煙は立たぬと申しますぞ。それもただの御噂にしてはたちが悪を御座います」
朽木の名を汚しかねる悪い報。貴方様はご当主としての御自覚をお持ちなされませ。

それは白哉が生まれる以前よりも家に仕えている家老だった。 何百年と月を重ね年老い杖をつき腰が曲がり小さくなろうとも、まっすぐと白哉を射る眼差しは鋭い。
灯りの蝋燭がゆっくりと溶けてゆく間、両者はただ無言のままで。先に折れたのは白哉の方であった。
そのまま止めたままの足を動かし、去ろうと背を向け歩き出す。その様子に家老は可笑げに笑い声を上げた。



「まぁご安心くだされませ。…この御噂もじきに無くなりましょう」

その声に再び白哉の足が止まる。

「何の事だ」

「これまた御噂ですが…その者、他隊への配属願いを希望されているとか」


所詮下賤の者。替えは幾らでもおりましょうぞ。
そう含み笑いを浮かべ告げた家老に目を見開く。そのまま音もなく奥へと引き下がり消えた老人を、白哉はしばらくの間鋭い眼差しで睨み付けていた。





あの夜の散策の日、久しぶりに自分に向けられたものは、確かに真実だった。
自ら手折った罪として、諦めていたその笑みが。脅えや畏ればかりで常に俯いていた眼差しがようやく真っ直ぐ自分へと向けられるようになった筈なのに。


それほどまでに。あの男は拒絶していたのだろうか。



「……恋次」



白哉は音の無い屋敷の中で、ひとり。掌に爪を立てた。





fin...




■あとがき


雛罌粟=ひなげし
花言葉は「慰め・いたわり」



ようやく起承転結の「承」から「転」くらいに来た感じです。 次回はぐぐっと動かします。願わくば昼ドラ的展開を(あくまで希望)
がんばれ私。



最後に出てきた家老さんですが、これは清家さんとは違う方と考えてくださいませ。朽木家って貴族という名で塗り固まった内面社会のどんよりどろどろな家のイメージがありますので、唯一清家さんは白哉さんの味方であってほしいなーという希望から、別の人設定でお願いします。。

鰤に一番最初にハマったカップリングが白緋でしたので、朽木家の闇の部分は割りと自分の中では重要です。

緋真さんが死ぬ原因になったのは体が弱かったとかもあるけど、一番の原因はイビリや嫉妬や妬みとかの巣窟屋敷のせいじゃねぇのかと思っております。
ほら、源氏物語の桐壺とかアレだよね。
んでルキアは紫の上とかな設定にきゅんときます。んで恋次は朝顔の姫君とかだったりしたら尚好!(妄想万歳!)
話がだいぶズレましたが、読んでくださってありがとうございました。


進みの遅い連載ですが、次回も読んでくださると嬉しいです。





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