この行為に意味なぞ見出せるとは思っていない。
何時までも続けていられるとも思っていない。

けれども、このまま。
出来る事ならば、このまま。




「こないな時間までお仕事なんですなぁ」

開かれたままの執務室の扉の外、暗闇の奥から妖しげな声が響いた。
あたりは夜の静けさに染まりきり虫の声さえせず、ただ生ぬるい沈黙を保っている。
仕事を続けていた白哉はそれに目をやる事も無く淡々と筆を動かしていた。

「珍しい事もあるもんなんやねぇ、六番隊長さん仕事速いて有名なんに」

無視されているのを気にもかけず、其の声は戸の隙間から室内へと入ってくる。人が一人通れるほど開けられた隙間は少し前に恋次が開けていったものだ。
結い上げらる事もされず肩から靡く緋色が逃げるように出てゆく残像が残る扉に今佇んでいるのは、同じ隊長格の証である白い羽織を肩にかけた白い男。ずけずけと許可も求めず入室してくる様子にも目をやる事も無く、白哉は未だ相変わらず残った書類を片付けている。
それを由と思ったのか、近寄る市丸は傍の屑篭に捨てられた大量の書類を見て面白げに笑った。

「えらい失敗」
そら何時まで経っても終わりませんな。

そう付け加え、未だ言葉も視線さえも寄越さない白哉に含み笑いのまま囁く。

「それとも、誰かの悪戯ですの?」

ぴくり、と白哉の眉が動く。それを逃がさなかった市丸は、ますます笑みを濃くして屑篭を覗き込んだ。
皺のついたもの。墨が零れているもの。破れているもの。
この静かな執務室の中で、書き損じて失敗したものでは有り得ない。
誰か が、悪戯に。机を乱さない限り、出来えない惨状。

確実に先ほどよりも霊圧が上がった白哉から逃げるように、2・3歩距離を取り、そういえば…と、次いで市丸は大げさに当たりを見渡してみせる。

「新しい赤毛の副隊長さん、ボクと同じ下層の出身て知ってはりました?」

白哉の筆が止まる。
背を向けていた市丸はもう一度白哉の前へ、無遠慮に机の端へその手を乗せると、書類に視線を落としていた白哉と目を合わせるように体を屈め、その細い瞼から不気味な赤い目を開けてニヤリ、と仰ぎ見た。

「嘘か誠か。耳に入ってこないワケ無いですなぁ?何でもお知りの六番隊長さん」



「何の事だ」

初めて白哉は口を開いた。
その声は低く、とても低く。同じ死神同士、同じ位に位置する同僚にかける声などでは無い。
無言の重圧。

「ボクに言わせる気ぃですか。嫌なご趣味してはる」



尚も殺気混じるほどに張り詰める部屋の空気。それさえも楽しそうに男は嗤って、ゆっくりと舐めるように囁いた。


「卑しい」
この部屋の、残り香が。
汚らしい と。



「ボクはただ忠告しに来てあげただけです」
部下を弄って遊ぶのもほどほどに。





それだけ言い残すと、市丸はゆっくりと余裕すら感じる足取りで、部屋を後にする。
今度こそ閉じられた扉。

持っていた筆を置き、白哉は書いていた書類をぐしゃりと握り潰した。



「…戯れだというのか、私が」




この想いも時が変われば消えゆき薄らいでゆくのだろうか。
離れてゆく緋色を見て募り昂るこの感情は、日ごと増すばかりだというのに。


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このままの関係では、駄目だと思ったんだ。
ならば、どんな関係なら良いのかと考えてみても、結局何も浮かばない。
俺はアンタから逃げようとは一度も考えてなかった。

結局、俺の世界をずっと支配してんのは、アンタなんだ。



「今度の現世で虚討伐の命が下ったんだ」

枕を腕の中に抱き込み、敷布の上で煙草を吹かしながら敷布から畳にまで流れる恋次の髪を遊び、そう話す檜佐木の顔は明るい。

「お前と、2人で」
「……へ…?」

布団に潜り込み睡魔に任せうとうとと重い瞼を開いたり閉じたりしていた恋次は急に出てきた自分の話題に間抜けな顔をして聞き返した。
まともに聞いていなかった恋次の頭をひとつ叩いて、檜佐木は繰り返す。

「だから、今度の任務で俺とお前で現世に行って虚退治すんだって」

九番隊を率いる隊長、東仙の指示であった。 現世のとある区域で発生した虚はとても強く。数も多い。
副隊長の檜佐木の他に、同レベルの隊員の協力が必要だろうと。先日の隊首会時に進言し、そして決まったのが恋次。

「まだ数ヶ月先の話だし、俺も今日聞いたばっかりでな。朽木隊長から明日にでも御達しが来るんじゃねぇ?」

そんな事、ついさっきまでその上司と一緒にいたというのに恋次は何も聞いていない。
そういえば会話に少しだけ檜佐木の話が上がったが、それもほんの少しだけ。
あの時にもし何故だと聞き返していたら、この話題を出すつもりだったのかもしれないが、聞けるような余裕は無かった。
こんな関係になってからというもの、情人という関係は深まるばかりだというのに、上司と部下という関係は薄れてきたかのように思えて、恋次の表情は晴れない。

「何だ、あ?そんなシケた面しやがって、大先輩と仕事すんのが嫌か?おら」
「っぃててて!違うっす!嬉しいです感激です!!」
「心が篭ってねぇよ」

何も知られず白哉の下にいたころは、その威厳に満ちた背を尊敬と信頼の眼差しで眺めていたのに。
少しでも白哉に追いつこうと、積極的に向かっていたのに。
今では背を叛け目線を下にしたまま、時折伺い見る事しかできないでいる。



「なァ?…恋次」

しばらくの沈黙の後、檜佐木は言い難いように数回頭を掻いた後、煙草の煙が消えてゆく窓の先を見つめて、ぼそりと呟いた。

「東仙隊長とも話したんだけどよ。…お前、九番隊に来ねぇか?」

目を見開いて見上げた恋次に、檜佐木は笑った。
本気なのか。

けれど何故。




暗闇の世界で、突如開けた視界。
差し伸べられた手を目の前にして、恋次は立ち止まる。




どう、すればいい。
どこへ進めばいい。




…どう、したい?











Fin...




■あとがき


蒲公英=たんぽぽ
花言葉は「軽率・別離」


市丸さん書くのすっげぇ久々で非常に楽しゅうございましたー!!
未だに市丸さんは関西弁なのか京都弁なのか迷っています。方言似非ですみません。
今後の展開に天に立つ人が出張ってくる事は考えてないので、今回ゲスト出演的な感じで。(笑)


本当に遅いのですがこの連載は執筆当初、恋次が十一から六への副隊長出世とか。副隊長になってから僅か2ヶ月くらいで一護が来た事になるとかいう話が出る前だったので、この連載は当方の希望と妄想により本編路線からだいぶズレて進んでいます。


読んで下さって、ありがとうございました。
まだまだ続きますが宜しくお願いします。




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