断りも無く帰った事に機嫌を損ねさせてはないだろうか。
換えの服や体を拭いてくれた事に対して礼を言うべきだろうか。

そんな心配をよそに、恋次の目に移る白哉は普段の通りだった。必要以上の事は何も言わないし、近づいても来ない。

何も変わらないから、結局執務室で顔を合わせても何も言わなかった。
まるで当事者である恋次さえも、昨晩は客人も何も無く好きな散歩と読書を楽しんだ後に、ゆっくりと床に就いたのだろうかと有り得ない錯覚をしそうな程。


今の自分と余にも対照的な翌朝の光景は、始めて関係を持ったあの夜から変わらず繰り返されているものだ。
それを意識すればする程に自分と白哉の間には、体の繋がり以外にはやはり何も無いのだと思い知らされるようで腹立たしい。
悲しいといった感情では無く只、あれほど体を酷使され強制され翌日こんなにも披露困憊させられている自分と比べ、白哉はあまりにも変化が見られない事に対する単純な怒りだけが湧き上がる。


「隊長、先日の報告書です」
「ああ」

ふと、書類を受け取る手が目に入る。

手甲の下に守られた白く長い指。細い関節。
摩擦で出来た掌の豆を潰し角質が堅くなり、ゴツゴツと強張った自分のものと比べる事すら無礼だと言わんばかりの美しい曲線と肌質の手に、恋次は朝のあの光景を思い出していた。
だが見た目とは違い、あの手は易々と自分の両腕を拘束し、押さえ付ける力を持っている。

遠すぎるんだ。
まだ、全然近づいてやしねぇんだ、俺は。


「どうした、何を呆けておる」
「…いえ、…この書類を提出してきますんで…失礼しました」

不審げな顔をした白哉を誤魔化すように用を作り部屋を出ると、廊下を歩きながら出るのは大きな溜息。



戻りたいと、思った。
何時部屋に呼ばれるかとビクビクするのではなくて。

あの夜の前に。
がむしゃらに白哉を追いかけていた頃に。
その為には、こんな関係ではいけない。


そして、その為のチャンスが訪れるのは思ったよりも早く、そして唐突にやって来る。



------------------------------

「え…」

今し方耳に入ってきた言葉を、恋次は一瞬理解できなかった。
日が沈んだ静かな執務室には恋次と白哉の2人だけ。
空気取りに開けられた窓から緩く流れてくる風で傍にあった灯りが揺れ。それと共に戸口に立つ男の影もゆらゆらと動き、ひどく恐ろしく感じられる。

「何度も言わせるな」
苛立ちを含んだ声に、びくりと体が震えた。
聞こえていなかった訳ではない。理解するのに時間が掛かっただけだ。
今夜も、来いと。数秒前の言葉が頭を何度も駆け巡る。
まさか、昨晩あれほど致したというのにまだ足りないとでも言うのだろうか。

恋次の普段無い反応に、白哉も更に苛立ちを隠さず眉間に皺を寄せたまま佇んでいる。反動的に何時ものように「はい」と答えようと開いた口を、咄嗟に手で押さえた。
その様子に白哉の顔がみるみる険しくなる。
間に流れる沈黙は重く、いっそ何時ものように了承すれば良いのだが。それでは何も変わらない。
俺は、あんたと こんな事したいわけじゃ無くて。
こんな関係をいつまでも続けたいわけじゃ無くて。

本当は…。



変わらなければ。
変えなければ。






「もう俺は…、行きません」


口の中がカラカラに乾き、しゃがれて消え入りそうな声を意識して大きく、震えないようにゆっくりと、一音一音声にした。

白哉の部屋へ行けばどうなるかは分かりきっている。
蹂躙され、女の変わりをさせられて。
今朝のあんな惨めな気持ちは二度と味わいたくなかった。
夢から覚めて思い知らされるのが、嫌だった。

「…恋次」


目を合わせる事はできず視線は床を向いていたのに。
次の瞬間には体が痛いほどの緊張で動けなかった。
前を見るなと頭の中で叫ぶ声が耳に煩いがどうしようも無く、操られたように視線を上げ。

目が合った刹那。先程の遣り取りなど無かったかのように。
考えるよりも先に、口から声を発していた。




「ぃ…今、から。此処では…いけませんか」






囚われたのはもう体だけでは無いのだと。
恋次は今さらながらに理解した。



------------------------------


「ぅ…っ…げぇ…げほっ…」

帰り道、咽の奥から込み上げて来たものを堪えきれずに床に吐いた。それはさっき飲み込んだばっかりの精液と、少量の胃液。
強い酸の悪臭にまた催したが、空っぽの胃からは何も出る事も無く派手に咳き込みながら酸素だけを吐き出し続け息が出来ない。
そいや、腹痛くて今日まともに何も食ってねぇや。


俺からの言い訳じみた誘いに隊長は少し驚いてたみてぇだけど、結局何も言わなかった。
そのまま勢いで、その気の無いあの人の袴を寛げて、萎えてた亀頭を口に咥えて舐め上げて。反応してデカくなったのを良い事にそのまま追い立て、出た物全部飲んで。


触れてこようとした手をかわして、そのままあの人を置き去りに、逃げるように執務室を出た。
あの手が優しく撫でてくれようと伸ばされたのも知ってるし、汚ぇ精液に濡れた口にキスしてくれるんたって分かってて。

それが堪らなく嫌だから。





「…っは……ぁ…」

しゃがみこんで床に這ったまま荒い息を整える。
惨めったらしい感傷のまま泣く事ができるならば涙と共に少しはマシになりそうなのに。だが肝心な時に都合良く泣ける程器用でもないし、自分から誘った事実は変わらない。
自業自得だ、泣ける筈が無い。

どうすればいい?
どうしたら戻れる?









「おい!この酔っ払い」

ふいに背中から聞こえた怒声に振り返り、恋次は目を見開いた。
肩を露出させた独特の死覇装。バサバサの短い黒髪。顔面に掘られた派手な刺青。
紛れも無く。


何故、こんな所に。



「…何で」


「あ?言ってなかったか?六番隊の資料庫で調べもんがあって今まで残業…って大丈夫かお前すげぇ顔してんぞ」

手にした書類を肩に載せながら馬鹿にするような笑みを浮かべて声をかけた檜佐木は、きっと吐くほど酒を飲んだ結果酔いが回り過ぎ起き上がれないのだと思ったのだろう。
人気の無い廊下で何気なく居合わせてしまった酔っ払いは遠くからでも分かる程の紅い髪。
その特徴的な風貌に、無視して通り過ぎる事はせず声をかけたのは全くの偶然に過ぎなかったのだが。










「っ…ー先輩」
「ぉわっ」


気が付いたら、俺は檜佐木先輩に縋りついていて。
気が付いたら、先輩の部屋で。



がむしゃらに手を伸ばす事しか出来ない俺は、きっと誰でも良かったんだ。

こんな状況から逃げたくて。
こんな事はもう嫌で。


けど、どうする術も見つからなくて。


分からなくて。





只ー…。
俺はあの人を追いかけたい。



それが、今している事があの人の逆鱗に触れる事になろうとも。









fin...



■あとがき


紫陽花=あじさい
花言葉は「耐える愛・移り気」


ちょっと初めに公開してたモノに修正を加えてあります。
今回…恋次の負け犬っぷりと、あくまで白→恋な関係が少しでも伝わればいいな、と思います。
なかなか両思いの道は遠い…。

前回ちょっくら先輩出した時から最後のあのシーンは入れたかったんですが、汚い表現申し訳ありません。

読んで下さって、ありがとうございました。
まだまだ続きますが宜しくお願いします。




01 / 02 / 蒲公英



【 戻る 】

Fペシア