無かった事になどさせない。
忘れられる事など耐えられない。

例え、其にとってはコレが恐怖と憎悪しか生まなくとも。
望んでいなくとも。




構わないのだ。
弱ってゆく運命と分かっていて。

それでも、捕らえたのは私の意思。








[ 一輪草 ]






ゆっくりと扉を開くと、そこは外と同じように冷たい部屋だった。
敷居をまたいで入室すると、身を屈め膝を付きいつものように礼儀良く静かに扉を閉じる。
恋次は立ち上がり視線を上げると、敷かれた布団と背を向けたままの白哉を伺い、立ち尽くした。


数日と飽けず繰り返している事なのに、未だにこの部屋へ来る事に慣れないのだろうか。
それとも只、躊躇しているだけなのか。
その様子に白哉は構う事無く、只、読んでいた書物の頁を1枚めくるだけで、振り返る事すらしない。



このまま立っていても、それは終わる時間を引き伸ばすだけに過ぎず。
どうすれば良いかなど。

この部屋から再び出てゆく為に、すべき事など嫌なほど分かりきっていて。
尚も怖気づき、躊躇している事に恋次は心の中で舌打ちをした。



今更だ。




そう意を決し、しゅるりと腰帯を解く。
白い帯を抜き、袴を固定していた紐を解くと、そのまま足元に其れは落ちてゆく。
それを勤めて目に入れないようにした。
春が近いとはいえ、まだまだ夜は冬の厳しい冷気に包まれていて。それが窓の隙間から入り込み足に絡みつくようで酷く寒い。

次に上着を脱ぎ捨てようと、襟の合わせに手をかける。




「…!」

直後、その動きが硬直した。


その腕を掴んだのは、先ほどまで背を向け読書を続けていた筈の白哉で。
異常な緊張から、白哉がいつ立ちあがったのかも、いつ近づいてきたのかも、気配さえも感じられずに驚いて、その身を硬直させたのは恋次で。


言葉は無く、そのまま腕を引かれる。
白哉は恋次に視線を向ける事はなく、恋次も抵抗する事は無くそれについて歩き、辿り着いたのは布団の上。

掴んでいた腕が肩へと移動する。
向かい合う形になったものの、恋次は一向に視線を上げないままで。
軽く力を加えられ、その身体は足元の柔らかな敷布の上へと、簡単に崩れた。


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横になった恋次に覆い被さるようにして、白哉は身体を重ねた。


視線を合わせないように首を反らし瞼をきつく閉じた恋次の、その恐怖から反った喉元に白哉はゆっくりと指を這わしてゆく。
自分の体温とは違う冷たい指の感触に、思わず身体が跳ね、息が詰まる。


抵抗してはいけない。



まるで品を確かめるかのように、ゆっくりと喉から耳へ薄く弱い皮膚の上を指が伝い、身に着けている着衣を開かれる様を、できれば身体ごと横に反らして逃げたいと思っても。
氷のように冷たい指が触れる度、ぞわりと産毛が逆立つ感覚に襲われて、情けなく身体が震えても。


抵抗してはいけない。
恋次がそれを学び、つとめて無抵抗で受け入れるよう努力し始めてからは、白哉も力任せに貫く事はなくなった。
だが、その苦しみに取って変わるように恋次を戸惑わせ続けるのは、以前と対極なほどの過剰な愛撫。


「…っん…」

撫でていた指が耳から首へ、下へと移動してくるのを感じ薄く目を開くと、すぐに指の這った痕へ唇を這わされた。
鎖骨を軽く噛まれ、ジンとした痛みが走ったかと思うと、次は同じ箇所をねっとりと舌が吸い上げる。
音が立つほど強く吸い上げ性痕を付けられる度、痛みか緊張からなのか、小刻みに繰り返す呼吸の間から微かな声が漏れた。



始めの頃、半ばやけのように白哉を睨みつけた目は、今となっては開く事は無い。
不安が、恐怖が閉じたままの瞼を開かせてくれないのだ。
どうしても引きつってしまう表情はできるだけ首を横に反らし、手で隠して見えないようにした。


「ん…ぅん…っ」

指先が、たどり着いた胸の突起を撫でる。
親指と中指の腹で、ゆっくりと捏ねるように弄られて、思わず口を押さえた。


緊張から力の入ってしまう自分の身体に舌打ちし、ゆっくりと息を吐く事で必要以上体に力を込めてしまわないよう、意識する。

これから何時間も耐えなきゃいけねぇんだ。
いちいち気にしていたら肉体よりも精神の方が参ってしまい、明日の職務に差し支える。そう諦め、恋次は力を抜くように大きく息を吐いた。

ほどなく芯を持った胸から冷たい指が離れると、白哉の薄く整った唇に含まれる。


「…あぁっ…」

先端を軽く甘噛みされ、思わず押さえていた筈の口から声が漏れた。
その媚を含んだ声に、嫌悪する。

あれだけ屈しないと誓った夜から、まだ数えるほどしか関係を持ってはいないのに。

最初の頃はただ滑った舌の感触が不快でしかなかった逸れが、今ではまるで悦ぶように跳ね、口からは誘うような声が上がる。
他の連中相手では、湧き上がらなかったその感覚が、どんどん自分の中を埋めてゆく。


最悪だ。
もう、先を期待しているのか。


じわりと、下腹に集まりつつある熱に、それを止められる術も知らず落ち続ける身体に。



情けなくて、泣きたくなった。



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不意に散々弄っていた胸から白哉の口が離れるのを感じ、恋次はふと瞳を開いた。


生理的にか、嫌悪からか、目じりの周辺に溜まっていた涙のせいで視界がぼやけて映る。
流れ落ちてしまいそうになるソレを乱雑に拭ってしまいたかったが、自分の顔に掛かるほど近づいてきた長い黒髪と白い肌のおかげで、白哉の顔が自分に近づいたのだと知り、それは適わなかった。


息が触れるまで接近されれば、する事は一つ。


それを察して、恋次は少しだけ首を擡げ、近づく白哉の唇に己の口を合わせた。
緩く閉じていた唇は、すぐに進入してくる舌に押し開かれる。いつもの事だ。

そう諦め、また瞳を閉じ己の舌を差し出す。


「…っ…」


ふと蘇る、尽きる事の無い疑問。
何故、この人はこんな事を俺にさせるのだろうか。


「んっ…ぅ…っ」


先ほどの指や、顔にかかる髪はこんなにも冷たいというのに、何故こんなにも舌だけは熱を持っているのだろうか。


「…ふ、っ…」


吸われ動く唇から発せられる小さな音が耳に響く。
舌を絡め捕られ、裏側を嬲られると、溜まらず背筋に旋律が走った。

「…ぁ…、は…っ」


これは、想い合う者達が愛を育む為に行う事ではないのか?




分からない。




「た…ぃ…ちょう…」



どうして俺なんですか?
何で俺なんですか?

あの日あの夜に、あんな俺を抱いたのも。
強制的に俺を抱き続けるのも。

何故?



長く貪っていた唇を離されると、恋次がその疑問を問おうとする前に、片方の肩を掴まれうつ伏せになるよう促された。


身体を起こしてその指示に従う前に、すがるような視線で白哉に視線を合わせたが、やはり何の言葉も無く。
その顔色を、表情を変える事も無く。



体制を変え終わった恋次は、眼前に広がる柔らかな敷布の上へ顔を埋めた。




01 / 02 / 紫陽花の香



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