それはゆっくりと

確実に

私の世界を侵食していく

―狂わせる。




「狂い桜」





十一番隊に、変わり者がいると、どこかの隊の隊員が話しているのを通りすがり偶然耳にしたのはまだ桜が花を付ける少し前。


―オイ、あいつだよ。あの赤い髪の。
あの有名な、貴族の。あの朽木隊長より強くなりたいとか言った奴だろ。

あんな貴族様を目標にするより、自分の隊長、更木剣八を目標にしたって言う方がよっぽど納得できるのによ。
全く、世の中には変わり者もいたもんだ。


変わり者しかいないあの隊で、変わっていると言われるくらいの変わり者。


―同じ隊長っつっても、浮竹隊長や藍染隊長ならもっと気楽にできそうなのに。
やっぱ四大貴族様は世界が違うんだよな。



世界が違う


その私の世界に、その「赤い髪の変わり者」が入ってきたのは、青々とした桜の葉が、その姿を赤茶色に変え、ハラハラと冷たい風を受けて地面へ落ちる秋の頃だった。






「失礼しますっ」

声の方を振り返ると真っ先に目に入る、真紅の髪。
黒い刺青。
新しく六番隊に入隊した、阿散井恋次。
十一番隊では四席まで登りつめ、六番隊に配属されてからは先日六席になったばかり。

「これ、十番隊から預かってきました。この前の報告書です。」

持ってきたのは山ほどの書類。それを両手いっぱいに抱えられるだけ抱えてきたような、そんな姿は本当に危なっかしいものがある。
よく落とさずに持ってきたなと飽きれるほどの書籍と紙の束。
それを乱雑に机の上へと置くと、その中から数枚の紙を取りだして、私の前へ。

「あと日番谷隊長からのです。来月までに返答をお願いしますとの事でした。」
「…ああ。」

書類を受け取ったにも関わらず、未だにまだ自分へとある視線を感じ、顔を上げると、その男はひどく満足そう。
「隊長、風邪…治ったんスね」
近頃顔色が悪かったんで、良かったっス。

そう邪気の無い笑顔で。

思わず、目を見開く。


「用が無いのなら、下がれ。」
「あ、はい」
失礼しましたと一礼し、部屋を出て行く。

その間、それ以外に会話などしていない。
ここ数日の間も、一日に数えるほどしか顔を合わせていないはずだ。勿論会話だって覚えは無い。
良く知る昔からの知人でもない、入りたての部下。
言葉使いも雑、出身だって流魂街。論外だ。

そんな人間に言われた一言に、内心ひどく動揺した。


誰にも悟られなかった体調の崩れを、…どうして。


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いつかの噂を思い出す。
本当に変わり者だ。こやつは。

顔を合わせば近寄ってくる。
目を合わせれば笑い返してくる。
こちらが何も話さずとも、相手にせずとも、おかまいなしで。

慣れ慣れしいと思うが、図々しい訳ではなく。
口ばかりじゃない実力も備えていて。
またたく間に席を上げ。
いつの間にか、私の世界に溶け込んでいた。


「隊長、今日残業なんスか」
「先日の報告書に訂正があったのでな」
「今夜は冷えるらしいっスよ?あ、火鉢に火を入れておきましたから、寒かったら使って下さい」
「ああ」
茶を持って来たついでの、何でも無い雑談。
気が付けば弾んでいる会話。

それが普通になっていた。

「それじゃ、お先に失礼します」

そう言い残し阿散井が執務室を後にしたのは他の隊員達が仕事を終わらせて帰りだし、2人きりになって暫くしてからの事。

今夜はたまたま急ぎの書類があり、珍しく遅くまで仕事をした。
普段ならばこんなにも遅くなる事は滅多に無い。
だが、今夜はたまたま。

執務室の灯りを消し、廊下に僅かに灯る明かりを頼りに隊首室に戻ろうと歩きだした頃には夜も深けこみ人の気配さえ無く、冬の冷気がしぃんとした廊下に染みわたっているだけだった。




今夜は冷える。

そう男の台詞を思い出し、肩にかけていただけの羽織りをきちんと着直そうと足を止めた時。
ふと、向かいから近づいてくる人の気配。
それは頼り無く、人目をしのぶような足音で…。

かがり火の灯りを受けて浮かび上がったソレを目で確認し、私が目を見開いたのと、ソレが私を視界に捕らえたのはほぼ同時だった。


「た…たいちょ…」

この冷える夜に。
いつも一まとめに高い位置で縛っている髪は流れ、まるで寝起きのようにだらしなく肩や顔にかかったまま。
身に付けているのは薄い着物一枚だけで。手にはくしゃくしゃに丸めた羽織らしき布。
足袋さえ履いていない、素足のままで。
体を引きずるような足取りで、ひどく狼狽した表情で。
こんな夜中に。

「何をしている」

「すんません。寝汗かいちまったもんですから」
慌てて一礼した阿散井は、ぎこちない顔で風呂だと答えた。
冷えきったように青白い肌。

風呂に。
そんな風には、見えなかった。




その夜はそれきり。
翌朝には阿散井は普段と何ひとつ変わらず普段のまま。
向こうも何も語ろうとはしなかったから、私も何も言わなかった。
別に詮索する気など無かったし、その必要も無いと思っていたが、ただ一つ目に付いた。
体に残った、妙なアザのような…そんな痕。
きっと鍛錬中に付いたものだろうと、その時は尋ねなかったが。




後日私は偶然に、その意味を知る事になる。


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その夜は、屋根や地面にしんしんと降り積もった綿雪が、月明かりを反射して夜の暗闇に青白く光り浮かび上がる。
やけに明るい夜だった。

ふと、真夜中に目が覚めて。
何げなく外に出たのに理由など無い。
その道を通ったのにも、意味は無い。



カタ。

―ガタン…。


使われていない筈の部屋からの物音に、ふと足を止めた。
話し声からして数人。
こんな夜中に、灯りも付けず。
不審に思い、扉に手をかけ引き開けると、そこに広がっていたのは。
―異様な光景。

「!!」

突然扉が開いた事に驚き、こちらを見た者達に見覚えは無い。
おそらく他の隊の者だろう。
ただ、その者達に囲まれるようにして床に伏せてこちらを見ない一人は、私のよく知る人物で。

髪は乱れて肩に流れ。
着物はかろうじて腕に引っかかっている状態で全裸に近く。
手足は力なく床に投げ出され。
その下半身は別の男の腰の辺りへ。


部屋に充満した、精液の臭い。



「…恋次」

その声に反応してゆっくりと顔を持ち上げたソレは。
いつかの夜の顔をしていた。



あの場にいた者達は、後日申し出るよう言いつけて、恋次を隊首室に引きずるようにして連れ帰った。
もしあの時、斬魄刀を持ち合わせていたなら、迷いなくその場で切り殺していただろう。
恋次に止められるまで、私は怒りのまま無意識に霊圧を解放し、その場の一人を即倒させた。
いや、殺す気でいた。

何故、止めたのだ。
何故、助けを求めないのだ。

何故。


火鉢で湯を沸かし、絞ったタオルを渡すと、「すんません」と一言返すだけで、恋次はまだぼうっと、私の方ではない別の場所を見つめている。
まだ話す気力も戻っていないのだろう。
業を煮やしてタオルを奪うと、顔から順に拭いてゆく。
恋次も始めはビクリと萎縮したものの、素直に私の介護を受け入れている。

思っていたより柔らかな髪。
蝋燭の灯りを受けて真紅は燃えるように鮮やかで。
伏せがちの頬に長い睫毛が影を作る。
不謹慎だとは思いつつも、その普段無い妖艶な姿に、見入ってしまう。

痕跡を残さぬように。
何度もタオルを絞り、念入りに拭いてやった。


口の端に残った精液の痕。
体についた暴行の痕。
下半身のー…。

「あの。隊長、もういいっスよ…」

「良いわけがなかろう。このような事、六番隊の席官としてあってはならぬ事だ。」
「…すいません」

恋次の顔が曇る。
非難したわけでは無いが、どう言葉をかけて良いのか分からない。
浮竹ならば、藍染ならば、きっと相手を気遣うような慰め方を知っているのだろうが、そんな方法など私は知らない。
ただ、沈黙。


「…隊長」
「なんだ」
「さっきの連中の…あれ、見なかった事にして黙っててくれませんか」

何故だ。
そう聞き返そうとして見た恋次の表情に、何も言えなくなる。

確かに同性の男に暴行されたなどという事、誰にも知られたくない恥ずべき事なのかもしれない。
だが、この行為は先ほどの一度だけでは無いだろう。
少なくとも、風呂だと嘘を付いて言い逃れをした直前も。その後も、今までずっと。


何故、あんな連中をかばうのか。
何故、何も言わないのか。
何故、私を頼らないのか。

何故。

私の世界にお前は入ってきたのに。
お前の世界に私はいないのか。

―許せぬ。

沸きあがったのは…「苛立ち」
どす黒い感情。






01 / 02 / 雪の下



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