春
晴天の空、流れてゆく雲を眺めていた。
窓から差し込む光の暖かさに、一瞬今日が非番ではない事を忘れてしまいそうになる。
桜も今はもう見頃を過ぎ、青々とした葉が桃色の花びらの間から伸び始め、寒々しい冬から本格的な春へと変わろうとしていた。
紙の上を滑らせていたと思っていた筆の先が、紙の枠を超え机の上にまで到達し、ありえない線を描いているのをぼんやりと目で追った。
ああ、これではまた書き直さなくてはならないなと他人事の様に思った後、十分に時間をかけて、恋次は自分が転寝をしている事に気がついた。
「良い身分だな、貴様」
此方を見ようともしない上司の呆れを含んだ冷めた声に、慌てて口の端から零れ落ちそうになっていた唾液を飲み込むと、咎めた上司に対し上手い言い訳は何も思いつかず、ただ頭を掻きながら苦笑いを浮かべるしかない。
最近はこれといった激務でもなく、体を動かせる任務も無く、ただただ机について書類をめくる日々であったせいもあり、加えて晴天続きの穏やかな気候。暖かな陽光に上昇する気温。美しい花々も揃って開花し虫や鳥の楽しげな音が耳に入るこの春の季候で、ぼんやりとした、緩やかな気分になってしまい、ついつい睡眠の誘惑に誘われてしまうのも無理はなかったのだ。
「実戦でのやる気の僅かでも書類を片付ける事に回してくれれば、私の気苦労も少しは和らぐのだが」
「人には得意不得意っつうもんがあるんスよ」
上司のお小言を受け流す事も今はもう慣れたもの。
恋次は椅子に座ったままうんと大きく腕を上げて体を伸ばし、こり固まっていた肩や首を左右に動かしてやる。
寝ていた為か、ゴキリと派手な音立てて鳴った首の音に、白哉の眉間の皺が深くなったが、恋次は知らぬふりをした。
そういう白哉の机の上、今書いている書類も、実は先ほどから一向に進んでいない事に恋次は気づいているのだ。
一つ違いがあるとすれば、まだまだ未処理の書類が大量に脇に控えている恋次と比べて、白哉はもう先の先までの書類が終わり、今ある書類は、専ら隊対抗の園遊会やら、祭り事に関する案件などぶっちゃけ特に白哉にとって重要でないものばかりが数枚残っているだけという違いくらいだが。
「恋次」
「あ、はい」
茶を入れて来いとの催促に、急いで執務室を出た。
やる気の無い部下につられてついに自分までも気が削がれたのか、恋次が戻って来た時も白哉は恋次が出て行った時のまま筆を置き窓の外を眺めていた。
いつのまにか手首を覆う甲手布も取り外して脇へと丁寧に重ねられている。
このまま長めの休憩とするようだ。
開けられた窓から時折入る風はまだ冷たいと思えるほどに冬の気配を残していたが、差し込む陽は暑めとも思える程に暖かく、僅かに枝に残っていた桜の花びらがさらさらと流れ散り、それを見る白哉の肩にかかる髪までもゆらゆらと揺さぶってゆく。
恋次は思った。きっと今一番春の陽気に浸っているのは自分では無く、白哉の方なのではないのかと。
転寝を始めた部下が起きるまで律儀に待っていてくれたり、小言からお説教に変わる事も無い。
まぁ、これ以上調子に乗ってはいけない事くらいは自覚しているが。それでも普段の職場での白哉を想像してみても、この穏やかさは実に貴重であった。
自分の机に戻り、職務を再開しようと再び筆を取った恋次は一人納得する。
それもこれも、全ては春のせいなのだ。
だから自分がうっかり寝てしまったのも、それも春のせいなのだ。
のんびりと茶を啜る上司の穏やかな様子を横目に、恋次は書き損じた紙を丸め屑箱へと投げ入れた。
カサリという紙屑が箱の中で跳ねる音だけが、控えめに部屋に響いていた。
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「ちょっ…ちょっと待った!」
畳に転がされた恋次は、体の上へと覆いかぶさろうとする白哉の肩を慌てて制すると、抗議の声を上げた。
何故こんな状況になったのかと言えば、遡ること数刻前。まだ陽の高かった執務室での事だ。
「今夜、花見でもせぬか。屋敷にある遅咲きが見頃だ」
休憩中に白哉がそんな事を言うものだから、二つ返事で了承した事により今に至る。
花見と言えば隊長格のみで行う厳粛なものから、六番隊総出の大掛かりなもの。仲間内での集まりなど、この桜シーズンは毎週のように花と称しては酒盛りを繰り返していた恋次だったが、そういえばと思い出せば白哉と二人きりで花見をするという事は無かったのだ。
白哉の方が忙しかった分、恋次から誘うという事はなかったし、かといって白哉からこの日にという話も無かった。
隊行事での花見も終えているし、毎日のように顔をあわせている為か、そういった事を特別に二人きりで行うという必要性をあまり感じなくなっていたからかもしれない。だが当然誘われれば嬉しいもの、恋次は喜んで頷いた。
隊舎の桜はもう葉ばかりで、見る影も無いが、きっと二人きりで花でも愛でながら、ちょっとの酒と肴でゆっくりと情緒を味わった後にしっぽりと…。そんな下心も一応はあったし、当然そういう流れにはなるだろうと思っていた。
けれども、名目は「桜を愛でながら二人で酒を飲む」そう考え、恋次は残りの書類を大急ぎで片付けて、先に屋敷に戻った白哉を訪ねたのに。
部屋に通された直後押し倒されてしまっては、何の為に来たのか分かったものではない。
「何だ、不満か」
「不満も何も花見に来いって言ったのはアンタじゃねぇか!」
「あれほど毎日のように花見と称して出かけておった貴様が、まだ花見とは」
会話の間にも攻防は続く。
ぶっちゃけ花よりは団子の方が好きな恋次でも、これではせっかくの叙情的な気分だ台無しだ。興ざめだ。
ムードも何もありはしない。
「遅咲きと言えど、見頃などとうに過ぎた事など少し考えれば分かりそうであるがな」
ムキになって暴れる恋次を押さえつける白哉の口調は楽しげにも聞こえ、尚の事気に食わない。
それなのに、白哉はさっさと解いた帯で暴れる恋次の両腕を縛り上げてしまった。
ますますありえない状況に追い込まれ、恐る恐る見上げると、楽しげだと思われた白哉の顔は一つも楽しげに見えない事に気づく。
そのまま腰に乗り上げられ、顔を寄せた白哉はそっと耳元で囁いた。
「恋次、私は怒っておるのだぞ」
甘い声と共に軽く耳朶を噛まれ、不覚にも小さく声を上げてしまった恋次の反応に、白哉は吐息だけで笑った。
「えー…と、」
何か怒らせる事をしただろうか。
恋次は至近距離にある白哉の顔をまじまじと見上げるしかない。
今日だってうっかり寝ちゃったりしてしまったが、嫌味は言われても咎められる事はなかったし、それが原因ならばその時その場でお叱りを受けている筈。
「何か…俺、やっちまいました?」
聞いた所で教えてくれるとは思えなかったが、考えても何も浮かんではこない。
怒ったというのに対し笑って誤魔化せばいいのか深刻に受け取って良いものか分からずに、微妙な半笑いの表情のまま聞き返した恋次に、白哉が素直に教えてくれる筈も無い。
無言のまま、着物の合わせに手を差し込み膝裏から抱え上げ大きく足を開かせると、白哉はその間へと体を割り込ませる。
今はお互いに死覇装のような袴姿ではない。
容易く開かれた着物の下、内腿や下帯までもが白哉の眼前に露になり、羞恥でそまった頬も何もかも隠す事ができない恋次はどうにかして腕の拘束を解こうと身を捩るが、それも空しい結果に終わってしまう。
「そうだな、これは仕置きと思え。」
緩やかな動きで下帯の膨らみを撫でられて、恋次は訳も分からず唐突に始まった行為に、ぎゅっと目を閉じる事しかできなかった。
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畳と背に挟まれた両腕がじんわりと痛みを訴えている。
せめて横に体をずらす事ができたなら、それも軽減するのだろうが、完全に下半身を押さえられて、僅かに身じろぐ程度が限界だ。
それにー…。
「何の真似っすか」
睨み上げたつもりでも、白哉がどう自分を見ているのかさえ分からないほどの闇が目の前に広がっている。
瞼が痛いほどにきつく視界を遮るべく結ばれた布が今は恋次から一切の視野と色彩を奪っていた。
陽が沈んだ室内でも不便にならないくらいの明かりが室内には灯っていたが、それさえも今は役には立たず、大声を上げたくなるのを抑え意識して低い声で問うてみても、誰もいない空間に声を上げているような感覚に囚われる。
「たまにはこのような趣向も良いと思わぬか」
「変態の道に引きずり込まねぇでくれませんかね」
両腕が自由ならば直ぐにでも目隠しの布を取ってしまいたかったが、完全な支配下に置かれた今の状況では無理な話だった。
解かれて床に散らばった髪が動くたびに畳の上をパラパラと散る音と、絹すれの音。首筋から胸へと下ってゆく白哉の口付けの音だけがやけに大きく耳へと届いて、ますます恋次は居た堪れない気持ちになってくる。
何故怒っているのかも結局は有耶無耶に流れてしまい、仕置きと言われて始まった行為はちょっとしたSMちっくな拘束プレイ。
一体何をして白哉を怒らせてしまい、何を思ってこのような趣向に走ったのか。やはり分からない。
「…、ひゃうっ…」
不意に胸の突起を指先で抓まれて、体が大きくしなった。
真っ暗な部屋でも夜目に慣れてくればそれなりに輪郭や触れ合う気配で何となし相手の行動が分かるものなのだが、予測して身構える事さえ出来ない状況では些細な刺激さえ過剰に反応してしまうのだ。
それに先の行動が予測できない事により、逃れたいと思っていても全く動く事ができない。されるがまま、与えられる刺激に声を上げるだけで精一杯だ。
素直過ぎる反応を見せる恋次の耳に低い笑い声が届く。きっと白哉はさぞかし満足げな表情を浮かべ、この状態を楽しんでいる事だろう。
どんな顔をしているのか見えずとも手に取るように分かる様で腹が立った。
「あっ…、ぁ…ちょっ、隊長…っ」
「なかなか悪くないな、まるで年端もいかぬ生娘のようではないか」
「ふざ…け、この変っ…ぃ」
楽しげな声音でそんな事まで白哉が言いだすものだから始末に終えない。
時折、口が悪い事への仕置きだと言わんばかりに予想していない所を強く引っかかれたり、甘噛みされたり。
その時ばかりは抵抗を見せるものの、直にその強気な抵抗も弱々しいものになってゆく。
むしろ恋次にとって白哉は好意や恋情を抱く相手である。むやみに嫌がって見せた所でそれは本心ではないのだ。
しっとりとした肌に触れられる度に、体の奥底から熱が燻りだし、やがては内に溜まるものを吐き出したいと願わずにはいられない。
下帯を完全に解かれ、恋次自身へと白哉が指を絡める頃には、その反抗的な態度は無くなっていた。
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