夜が明けるまで


「何よぅ…冷たいわね」

渋りながらも帰ってゆく乱菊に何度も侘びを入れつつ見送ると、再び誰もいない執務室へと戻り、恋次は先ほど終わった書類をまとめ始めた。
筆や墨を引き出しに収め、書類を束ねて定位置へ。

しいんと静まり返った部屋には小さな音すら気になってしまい何度も扉を振り返る。だが当然自分以外の気配など何も無く、大した時間も掛からず片付け終わってしまった後は、また何をする事も無く自分の席へと腰を下ろした。

懐にしまっていた伝令神機の液晶画面をチェックするものの、新しいメールや着信は何も入ってはいない。

手に持ったまま、机に突っ伏す。 もう一度見ても、やはり画面に変化は無い。




「腹、減った…」

胃がぎゅっと収縮する感覚を覚えると、直後情けない音が腹から響いた。
せめて仕事中に何か食べ物をつまんでおけばよかったと後悔するものの、今は部屋を出る気にはなれなかった。
目を閉じてみても今の空腹には勝てず、ただただ腹の空き具合だけが増してゆくばかりで、この空いた時間を持て余しているだけ。
そんな事をしていると酷く惨めな気分になってくるのは仕方が無いのだが、尽きぬ不安は募る一方で。恋次は深いため息を吐いた。


「遅ぇよ…」

電話帳を開き、その人の名前を選択する。
表示される名前、その番号。
それは見えない距離を繋げてくれる確かなもの。

だけど、発信ボタンを押すわけにはいかない。
まだ仕事中の人を私情で邪魔するわけにはいかない。

通話の発信ボタンに親指をなぞらせ添えてみるが、押してはいけない。

だけど触れるだけなら。
一人きりの部屋で名を囁くだけなら。






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