一晩も待てない 後


深夜の静かな閻魔庁は、明かりも最低限のものしかなくとても薄暗い。
普段慣れ親しんでいる場所の筈なのに、誰もいないこの時間帯は知らない空間のような錯覚をさせるから、少し苦手だと思うのだ。


……ドォオ…オォンー…ー…
薄暗い廊下を恐る恐る歩いていた唐瓜は、遠くから響くその不気味な音にヒイっと声を上げた。
壁を反射し何重にもエコーがかかったその残響はしばらく止むことは無く、それだけその音が大きかった事を物語っている。

手には巻物が一つ。
それを提出したら、今日の仕事は終了なのだが…。

「ああ、どうしようどうしよう死にたくない死にたくない死にたくない」

ぶつぶつと呟きながら、震える足で前へと踏み出すものの、ゆっくり進んでは立ち止まり、また数歩歩くというスローペースだ。
行き慣れぬ場所でもないのに、何故こんなにも躊躇しているのかといえば、先ほどの爆音の先ー…もとい、訪ね人のとある噂に遡るのだ。


”今の鬼灯様に声を掛けた者は生きては帰れない”

二日ほど前から獄卒の間で囁かれ始めたその噂は時間が経過する度に尾ヒレが付き、仕事を怠けていた奴が閻魔庁の壁に血まみれで吊るされたとか、トラブルを起こした亡者を一緒に同行した獄卒が目を覆いたくなる程の拷問にかけたとか、目が合っただけであまりの負のオーラに充てられて恐怖で失神した奴がいたとか。

仕事熱心で冷静沈着、厳しくも礼儀正しく部下や新卒にまでも分け隔てなくお優しい鬼灯様(大王除く)が、閻魔大王がぎっくり腰になった事で大王が溜めに溜めまくっていた仕事が発覚し、4徹を超えて何か恐ろしいバケモノに進化してしまわれたー…。
そんな嘘か誠か分からない話を今日一日だけでも何度耳にしただろう。だから、こんな夜中に訪ねる自分はきっと生きては帰れないと思うのだ。

心の支えになってくれる相棒の茄子は、別の仕事の為に側にいない。そう、たったひとり。
こんな時にこそアイツの脳天気っぷりが絶体絶命のピンチを救ってくれるというのに…。まるで、夜中に怖くてトイレに行けないから一緒に行ってくれと仲間を探す餓鬼の心境のようだ。
いや、別に餓鬼じゃないし!ちっこいけど立派に大人だ!そう自分に言い聞かせて、心細い気持ちを奮い立たせてみるものの、気休めにはならなそうだ。

第一補佐官の執務室から漏れる明かりが濃くなるにつれて速まる呼吸と心拍数を何とか押さえ込んで、唐瓜は目的の部屋を訪れた。
入り口付近の壁に鬼神愛用の金棒がぶっ刺さっているのが目に入ると、失神しそうな程震え上がる。
どれだけの力とスピードで投げれば、こんなにも綺麗に垂直に刺さるのだろう。というか、何が原因でこんな状態になったんだ。
試しに刺さっていた金棒に手をかけてみるがビクともしない。次いで陥没し亀裂の入ったその壁に触れてみるが柔らかくも無いその大理石の壁は当然のように固く、例え思い切り殴ってみた所で小鬼風情ではキズ一つ付かないだろう。
未だにパラパラと床に落ちるその破片を踏み越えて、唐瓜は覚悟を決めた。


「…ほ、…鬼灯様、いらっしゃいますかー…?」

仕事の書類や巻物、本などが机の上と云わず床にまで積み上げられた第一補佐官の修羅場。
恐る恐る室内を覗いた唐瓜の視線の先、そこには5徹目に突入しかけている鬼神もとい、バケモノがー…。

「あれ?」

予想外な光景に、唐瓜は首を傾げた。

煌々と明かりの付けられた室内。
机の上に広げられている書きかけの書類。
漂う煙草の香り。
それら全てが、つい先ほどまで尋ね人が在室だった事を窺わせていたが、肝心の神鬼の気配はまるで無かったのである。

先程遠くから聞こえた爆音は間違い無く鬼灯が壁を破壊した時の音だろうし、それから自分が此処に来るまでにそんなに時間は経っていない筈だ。何処かですれ違ったのだろうか。…いや、そんな事は無い筈だと思うのに。

「厠にでも行ってるのかな…」

もし不在の理由が厠か、もしくは床に散乱した壁の破片を片づけようと掃除用具でも取りに行っているのなら、直ぐに戻ってくるだろう。
資料庫に何か調べ物をしに行っているのだとしても、その内戻ってくる筈だ。時間がかかるようなら探し出して直接提出物を渡せば良い。
だが、もし徹夜の限界を感じて仮眠を取りに私室に戻っているのならしばらく戻って来ないだろうし、入室の許可が無い自分は入れない。
もちろん、不在の机の上に勝手に巻物を置いて帰るのは論外だ。

「どうしよう…」

とりあえず、最初の可能性に従い少し待ってみる事にした唐瓜は、壁際に置いてある椅子に腰掛けた。
少し背の高い椅子のせいで浮いてしまう両足を子供のように交互に動かしながら、持っていた巻物を広げてみる。
間違えていないかもう一度確認する事で時間をつぶす事に決めた唐瓜は、ボソボソと確認事項を口に出しつつ書類を読む事に集中し始める。
新卒は最初が肝心だ。名称の間違えや誤字は無いか、要点を簡潔にまとめられているか。
今の鬼灯様を怒らせたなら、きっと金棒が刺さるあの壁のように風穴を空けられてしまうだろう。
うわ…想像したら胃が痛くなってきた。

死にたくないから戻って来ないで欲しいという気持ちと、どうなっても良いから早く解放されたいという気持ちが交錯し複雑な気分になる。
死刑申告を待つ罪人のような極限状態からなのか、小さな物音がどこからか鳴ったのにも、彼の耳には入らなかったのである。



ガタ、カタン

小さく、本当に僅かな音が、薄暗い廊下に響く。
真剣に耳をすまさなければ気づく事はないだろうそれは、現在唐瓜が待っている第一補佐官の執務室から目と鼻の先にある一室の中からだ。
大きな音を立てれば容易に届く距離。歩数にすれば20歩も満たない。

その部屋の内装は狭く倉庫のような場所で、壁際は全て棚で埋められ乱雑に書類やら道具が納められており、若干汚く埃っぽい。
明かりも無く、積み上がった箱に半分隠れた窓から差し込んでくる外の僅かな光量が室内の様子をうっすらと浮き上がらせている程度のものだ。

「…、ッ…」

ガタ、と背に触れる棚が音を上げる。
鬼灯は、更に押しつけようと迫る目の前の男を押し戻そうと、身を捩った。

「…、…こ、のクソ豚…」
「ちょっと静かに、ね?」

会話をする為に離れた唇同士がちゅっと、音を立てて銀糸が繋ぐ。それが切れる前に、白澤は青筋を浮かべて抗議しようとする鬼の口を塞ぎ、もう一度舌を差し込んだ。

「…んぅ…っ…」

逃げ腰になるその舌を捕まえて、唾液を絡ませるように舐る。歯列をなぞり、鬼特有の鋭い八重歯の付け根も念入りに舌先で確かめ、一瞬口を放したかと思えば直ぐに角度を変えて食らいつく。止めろと肩を叩く鬼灯の意志など無関心だ。

ガリッ

鋭い痛みが走り、ようやく白澤は距離を取った。
味覚が鉄臭いものに変わった事で舌を噛み切られたのだと理解したが、それでも離れたのはそれきりで、白澤は鬼灯との口付けを尚も求めた。

「は、…っふ…」

チリチリと疼く傷口を抉るように相手が舌を這わしてくるのをはぐらかせば、嫌がったのが伝わったのか、ふっと吐き出した吐息は笑っている。
ああクソ、容赦なく噛みやがってこのサディストが。そう憎まれ口を叩きたいのをぐっと堪えて散々味わい満足してから解放してやれば、お互いの唇にうっすらと色づく紅の色。
その欲情を誘う血の色に、上気して染まった目元にぞわりとしたものが背筋を掛けあがってくる。
それなのに意識は検討違いの場所に向けられたままで、ああ本当に気に入らない。そんなにあの子が気になるのか。どれだけ仕事をすれば満足するのか、このワーカホリック。

「何だよ」
「誰か来ました」
「駄目だよ」
「仕事中です」
「僕が先だ」
「こんな所を見られるのは、あなたも嫌でしょう!」
「あぁ…唐瓜君だっけ?大丈夫だよ、あの子今は書類読むのに集中しているみたいだから、こっちには気付いては無いみたいだし」

一瞬、前髪に隠された額に大きな目玉がぎょろりと浮かび上がった気がして、鬼灯が目を見開く。全てを見通す知識の神獣。本気を出せばその真眼で壁一枚隔てた向こう側の様子を探る事も容易いのだろう。
そういえばコイツはまごう事なく神なのだと、鬼灯は舌打ちする。いや、そういう事ではない。

「来るのだと知っていたなら、何故言わないんですか」
「僕が先だって言ったろ。関係ないし、それに…」

押し返すように肩口に手を掛けた鬼灯を構う事なく、耳元へ唇を寄せた。さらりとした髪が頬を撫ぜる感触を楽しみながら、白澤は笑みを漏らす。

「こんな場所で声を殺してするのって、凄く興奮する」
「チッ…この色狂い」
「ふふっ、お前も同じだろ?」

ぐっと体を密着させて、下半身を押しつける。
己の昂りは言わずもがな。否定的な言葉とは反対に、素直に先ほどの口付けで反応を示している鬼灯のそれを服の上から上下に擦ってやれば、羞恥で目を反らすその反応が堪らない。

「後で殺す。必ず殺す。目玉全部くり貫いてミンチにしてやる」
「うん、後でね」

呪いの言葉を吐き続けながらも、背に回される腕のぬくもりが嬉しくて、笑いがこみ上げてくるのは仕方ないじゃないか。
例えそれが一刻も早く終わらせようとするが故の行動であったとしても、それでも一向に構わない。

僅かに汗ばんだ白い首筋に頬を擦り寄せれば、ごくりと唾液を飲む音が耳に響く。
男らしく張り出した喉仏から鎖骨までを舌でなぞりながら、白澤は着物の合わせに指を滑り込ませた。

柔らかな襦袢の下に隠された肌の感触は徹夜続きだというのに吸い付くように滑らかだ。もう少し明かりがあれば透けるような白肌が視覚を楽しませてくれるのだが、薄暗いこの部屋ではぼんやりとしか分からない。
鎖骨から腰にかけて無駄な贅肉など付いていないその体は逞しく、女性のようなふくらみや柔らかさは無い。
だが、筋肉の一つ一つを確かめるようにゆっくりと触れてやれば時折ひくりと反応を示すその感度の良さが好ましいのだ。
胸の突起以外に弱い部分はとうに知っている。耳、首筋、それと脇腹も少し。だが、未だにこんな場所でするのに抵抗があるらしく、反応は普段の時よりも弱い。
この場で事におよぶという事に腹は括ったらしいのに、まだ覚悟が足りないのだ。そして、その楽しみ方も。

焦ってはいけない。
白澤は先急いでしまいそうになる自分に言い聞かせる。
もっとゆっくり、じっくり時間をかけて、理性という服も全て脱がしてしまおう。
仕事をしているこの場所で、誰かに見つかってしまうかもしれないという今の状況が羞恥から快楽に変換されるまで。そうやって初めて、お互いが最高に気持ち良くなれるのだ。

顔を寄せれば接吻かと察した鬼が小さく口を開く。ちらりと見える舌に誘われるようにして、白澤は唇を合わせた。
絡ませた舌先は先ほど鬼灯が噛み切った傷も癒え、何事も無かったかのように消えている。

白澤の求めに応えながら、鬼は不服そうに眉を寄せたのだった。



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「鬼灯様遅いなー…」

ぽつりと呟いた独り言は思っていたよりも大きく耳に届く。それだけ周囲は静寂しきっていて物寂しい気分になるのは仕方ない事じゃないかと思うのだ。

確認し直した巻物の紐を結び終えて、唐瓜はうんと両手を上げて伸びをした。大きく欠伸をして目尻に溜まった涙を袖で拭う。
待ちぼうけて、どれくらい時間が経過しただろうか。

「眠い…」

もう真夜中。茄子はとっくにもう寝ているだろう。いいなぁ、羨ましいな。俺も早く布団に入って休みたいなと声に出して訴えたいのはやまやまだが、上司の鬼灯様はもう4日も寝ていない事を考えれば、まだ徹夜にもなっていない自分はぐっと我慢するしかない。

こんなに時間が経過しても戻らないという事は、最初の予想は残念ながら外れてしまったらしい。ともすれば、残る可能性は2つ。
倉庫で調べものといった少し時間の掛る用事の最中、もしくは私室で仮眠のどちらかだ。

このままこれ以上待っているよりかは、探しに行った方が会える可能性が高いのかもしれないが、すれ違いになったらどうしよう…。宛ても無く暗い閻魔庁内を鬼灯を探して彷徨わなければならない事も、動きたくない理由の一つだ。
目の前の不在の机をじぃっと眺めて、唐瓜は何度目かの溜め息を吐き出したのだった。


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「っふ…ッ……ぅ…」

両手で棚にすがりつき、声を堪えるように顔を俯ける鬼灯の背中にぴったりと体を密着させながら、白澤は胸元をまさぐっていた手を下へ下へと這わせた。
身に付けていた帯は床に落ち、履いていたステテコと下着が足下に絡まって、前だけ見れば何も隠すものが無い状態である。
本音を言えば全て脱がしてしまいたかったが、鬼灯がそれを断固拒否したので、やむなく着衣のまま行為を進めている所。

「…ぅ…あッ…」

ビクリ、と汗ばんだ鬼灯の体が跳ねた。
すがりついている棚に爪を立ててみた所で気休めにもならず、声を発してしまいそうになるのを歯を食いしばって耐える。何故こんな目に合っているのかと言えば、好き勝手動く獣の指が後ろからたくし上げた着物の下、双丘の奥まった秘所へと伸び、終始厭らしくその中を犯しているからだ。
2本の指が動く度にぐちゅっと粘着質な音が上がる。それが耳について不快極まりない。うなじから耳元、とがったその耳の先端までをねっとりと舌が這う度に、力が抜けてしまいそうになる足を何とか気力で立たせていた。
立ったまま行為に及ぶしかないこの状況は、横になって受け入れるよりも遙かに消耗が激しいのだ。5徹目なったばかりの疲労した体にはこんな行為自体辛いもので、余裕ありげに愛撫を加えてくる男には殺気しか浮かんで来ない。しかも、半分以上脱がされている自分とは対照的に後ろの獣は熱いからと白衣を脱ぎ捨てたくらいのものだ。その状況が余計に腹立たしい。

「足ガクガクじゃん、もう限界?」
「この、…さっさと…」
「待って、もうちょっと解したい」
「…く、そっ…」

ギリッと、噛みしめた歯茎が音を立てる。
もう一本と内部に入り込む気配に抗議しようと口を開いたのに、あまりの感覚に言葉にならなかった。
狭く絞まるそこを広げようと無理やり動かしているからか、時折痛みを発し熱を持つ。
声を堪えて呼吸が苦しい。棚にすがりつく指が痛い。力の入らない両足の感覚がもう無い。
いったい何時までこのねちっこい前戯に耐えなければならないのか、生理的にじわりと目じりに浮かぶ涙をもう拭き取る気力も無くなって、鬼灯は零れ落ちそうになる唾液を飲み込んだ。

「鬼灯、」

後ろから、白澤が呼びかける。もう一度、今度はゆっくりと。言い聞かせるように。
そんな声で呼ぶな。いつものちゃらんぽらんな声は何処へ行ったんだ気色悪い。罵って殴りたい、蹴り飛ばしたい衝動に駆られて、鬼灯は首を振った。

「ね、こういう時くらい、ちゃんと呼んでよ」
「何…、ッ」
「僕の名前」
「下種の名前なんて、知りま…っア…」
「白澤ってさ…呼んでよ」
「…っ…う…、ぅ…」

これ以上会話を続けているととんでもない声が出てしまいそうで、それきり鬼灯は着物の袖に食らいついた。
鼻にかかった己の声は甘ったるく、普段の自分が聞いたなら嫌悪感で鳥肌を立てるくらい耳障りな音だろう。
それなのに、いくら口を塞いでも止まらない。止める事が出来ない。ああ、腹立たしい。

「そろそろ、いい?」
「…っ…ん…」

程よく緩んだ後孔の具合に指を引き抜くと、白澤は衣服をずらして窮屈そうにしていた自身を取り出した。何度か手で扱いて完全に勃たせるとピタリと入口に宛がう。
ゆるゆるに解れて泥濘んだ其処はその先端を体温の違うそれを受け入れまいと最初はきつく収縮するが、それに構わず先端を埋めてしまえば程良い刺激となって白澤の性器を包み込んでくる。
そのままゆっくりゆっくりと奥に進めば、温かな内蔵の甘美さに鳥肌が立った。

「…ッ…ふっ…ぅ…ン…」

なるべく声を上げまいと耐える鬼灯の背が震えている。
大きく息を吐き出した白澤は、収まっているその臀部を撫ぜて満足そうな笑みを浮かべた。
ああ、顔が見たいな。きっと鬼の顔は眉間に皺を寄せて苦しげに歪んでいるのだろう。涙と唾液に濡れているだろう肌を優しく拭いてあげて、荒い呼吸を吐き出す唇にキスしたいと思うのに、背を向けて棚に縋り付く今の状態では叶わない。
腰を引いて、先端まで引き出してからもう一度奥まで刺し貫けば、引き攣った声を上げる様子から余裕の無さが伺えた。その傷一つない背中を愛でて舌を這わせたいのに、脱がす事を許さなかった着衣がそれを拒んでいるような錯覚をさせるのだ。
白澤は大きく開いた項から背骨までを軽く歯を立てて刺激しながら強く吸い上げると、うっすらと白い肌に浮かび上がる情痕。
ピリッとした痛みに、鬱血したのだと察した鬼灯が恨めしそうな視線を向けて来る。ああ、はやり苦痛に歪んだその顔が堪らなく此方を煽る。無意識な事だからこそ、性質が悪過ぎる。

「…痕を、っけ…るな…と、」
「大丈夫、此処なら普段は見えないよ」

そういう問題では無いと更に怒りを見せる鬼灯に口先だけの謝罪をして、腰の動きを徐々に早めていった。
崩れ落ちそうになる腰を抱き込んでより体を密着させれば、もう止まらない。
ずっ、ずっ、と中を抉り熱い粘膜を押し広げてやれば、次第に己の形に馴染んでくる。引けば名残惜しげに絡みつき押せば絞め返してくる鬼灯の中を存分に味わった。

「…ん、…ん、ふ…っ…」
「っ、鬼ず、ッ…はっ…」

お互いの荒い呼吸が重なって混ざる。ひとつになる。
気持ちいい。気持ちイイ。
もう少し、もう少し…蕩けそうになる程の快楽の中で、出来るだけ長く味わっていたい。
それなのに。
ふいに感じた違和感に、白澤は動きを止めた。

「はくたー…」
「ちょっと待って」
「…?…」

「あの子が、動き始めた」

あの子とは誰か。その説明は不要だろう。
男の言葉に、熱に浮かされていた鬼灯の体が一瞬で凍り付いたのだった。





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「よっ、と」

ジャンプするように椅子から飛び降りた唐瓜は、座った時に付いた着物の皺を整えながらもう一度、鬼灯の行きそうな場所を考えた。
まずは資料庫、武器庫、その他もろもろ。もしかしたら食堂で夜食を食べている可能性もあるし、気分転換に金魚草の水やりをしているのかもしれない。
いつまでも此処で待ちぼうけをしていたら本当に眠ってしまいそうだ。もう限界だ。探しに行こう。

とりあえずは、まず近い場所から。
ここからなら金魚草の庭が一番近いだろうか…。
そう考えて来た道を引き返すべく歩き出せば、明るい室内に慣れたせいかその廊下はずっと暗くよどんで見える。
途中、倉庫や来客用の部屋として使っている扉の前を幾つか通り過ぎたが、周囲はしんと静かで何の音も気配も無いのが逆に不気味なのだ。
唐瓜は巻物を胸に抱えると、その廊下を足早に駆け抜けた。







パタパタと可愛らしく響く足音が、廊下から次第に遠ざかってゆく。
完全に聞こえなくなるまで、鬼灯は着物の袖を噛みしめて呼吸までも止めて気配を殺していた。
それだけでいっぱいいっぱい、余裕が無いその仕草は普段の鬼神の姿とは異なりまるで別人のような印象を受ける。

「…っ………ー…」
「ほら、もう行ったよ。そんなに我慢しなくたってもう聞かれやしないっ…痛ってぇぇえええ!!」

目の前で体を震えさせている鬼の顔を甘ったるい心地で拝もうとしていた白澤の顔に、風を切るよりも早く飛んできた拳がクリーンヒットした。
吹っ飛んで壁際の棚もろとも破壊し大惨事とまでいかなかったのは未だに唐瓜を気にしての事だろう。それでも下半身丸出しで床へと沈む姿はなんとも惨めなものだ。

「このクソ駄豚!!こっちが動けないのをいい事に…」
「何だよ、動かないでいてやっただろ!?それにお前だってあの子が通ったタイミングでイっ痛い痛い痛い!」

これ以上言うなとばかりに更に足で踏みつけられる。
狭い倉庫に漂うのは汗と、若干の精の匂い。怒りと絶頂の余韻から肩で息をする鬼灯は、殴り足りない拳を血管が浮き上がる程握りしめた。

そう、唐瓜が二人の潜んでいる倉庫の前を通り過ぎる時、白澤は動かなかった。鬼灯の奥深く限界まで自身を押し込んだまま、動かなかった。
その代わり、強い圧迫感に耐える鬼灯を楽しむように前へと手を伸ばし、先走りを漏らす性器を両手で包み込んで上下させ始めた挙句、更には耳元で唐瓜の行動を囁くように実況しながら、弱い耳を散々舐ってやったのだ。

「やめ…、ぁ…っ、嫌…やめ…」
「ふふっ、お前だって興奮してるじゃん」
「ぁ…ーっ!…ーゃ、ぁ…!!」
「あー、凄い締まる。動かしちゃ駄目?ねぇ、駄目?」
「…、駄っ…っ、ん…」
「ほらほら、ちゃんと声我慢しとかないと唐瓜君に聞かれちゃうよ?職場でやらしい事してるのバレちゃうよ?いいの?」
「…ーぅ…、……、」

やめてくれと声を震わせるその懇願も聞かずに、鬼灯一人を性急に追い上げて、無理矢理吐精させたのだ。


「調子に乗りやがって、…今度こそぶっ殺す」

痛みで悶絶する白澤を組み敷いて、鬼灯はボキボキと指の間接を鳴らしながらマウントポジションを取った。
あー、こりゃ死んだな。そう両手で顔をガードする体制を取った白澤は、煽り過ぎたかなぁと心の中で少しだけ反省する。
だってあの時の鬼灯めっちゃエロかったんだもの!
僕だって動きたいのを必死に我慢してたんだからそれくらいいいじゃない!!イった時のあの絞まり良さったら最高だったんだよ!よく耐えられたって褒めてくれたって罰は当たらないと思うよ!
そう言い訳したいが、口に出すと揶揄では無く本当に挽肉にされるから言わないでおく。

罵声を浴びせつつ顔を重点的に5,6発だろうか。
せっかく治った口の中も再び切れてしまう程に重い制裁を食らって、白澤は涙目で許しを請うた。
鼻を啜ればどろりとしたものが喉を通り過ぎる感覚。あ、鼻血出てる。

「金輪際、職場で盛るな淫獣!!」
「はい!ごめんなさい!!もうしません!!」

完全に怒らせてしまった。ああ、勿体ないなぁ…1回くらい僕も鬼灯の中でイきたかったな…などと、そんな事ばかり考えてしまうのはもう現実逃避でしかない。
これから半殺しくらいは覚悟しなければいけないかな、と痛みに耐える頭で考えた。

「あなたに翻弄されるのは不愉快です。さっさとその粗末なモノを寄越しなさい」
「はいどうぞ!…って…ぇ?、え?」

てっきり半殺しだろうと身構えていた白澤は、予想外な鬼灯の行動に面食らった。
未だ外気に晒されてなさけない事になっている完起ちな其れを、無遠慮な鬼の手がガシリと掴んだからだ。
やめて!!白澤の白澤だけはヤメテ!!その子に罪は無いの許して!!そう必死に叫ぼうとしたが、更に予想外な展開は続く。

跨っていた腰を少し上げて未だに起立したままのソレを掴んだ鬼灯は、先ほどまで繋がり合っていた秘所に宛がうと体重をかけて一気に腰を落したのだ。
暖かな粘膜に飲み込まれた感覚に、白澤の思考が追いつかない。

「う、わ…ちょっ…鬼灯?」
「黙れ、…っ…」

苦しげに眉を顰めて大きく息を吐き出した鬼灯は、喚く豚の口を塞いで黙らせる。床に付いた片方の手に体重を乗せて覆いかぶさるような態勢で腰を上下させれば、散々解れた其処からは卑猥な音が響くのだ。

「此方の気も知らないで」

口の中で吐き出した独り言は、荒い呼吸に溶けて白澤には届かない。
未だに驚愕して固まったままの豚の耳飾りを引っ張って、気まぐれに口づける。何度か触れるだけの接吻を繰り返して唇の感触を楽しみたかったが、その触れ合いが舌の絡み合いに変わるのはいつもコイツからだ。

「…ん、…っ…ん…」

より深く味わいたいと、掌を首の後ろに回そうとする気配にさっと顔を上げれば不満そうな顔とかち合う。
これ以上優位になど立たせてやるものか。
先ほど散々好き勝手したのだから、今度は此方が楽しむ番というものだ。
服を捲り上げれば細い体に六つの目。それらを確かめるようにゆっくりと撫ぜて舌なめずりをすれば、漸く此方の意思を理解したのか先ほどまでのアホ面がまるで獲物を前にした獣のように変わっている。
ああ、可笑しい。
どちらが獲物でどちらが獣かなど解りきった事ではないか。
優越感から、ザワザワと背中を駆け上がる衝動にまかせてその喉元を噛み切ってやりたい。癒える事の無い傷を与えてやりたい。
悦に浸らせて、強請らせて懇願させて屈服させて。
足元に這い蹲らせたい。

届きそうもない程の高みで悠々と哂うこの神を自分の所まで落し込んで、そうやって初めて愛でてやれるのだ。

「もっと…」

焦れて触れてこようとする両手を床に押し付けて、ゆっくりと律動を開始させた。
熱い内壁を張り出した牡が擦り、ずるりと奥まで滑り込む。

「…ふっ…ぅ…」

中で容量と強度を増してゆく白澤に舌打ちをしつつ、無理やり体重をかけて腰を落とせば、ぴったりと余裕無く埋まるそれが前立腺を擦った。ありえない場所にありえないものを受け入れて、其処が圧迫感と異物感で不快だと訴えるのに、それと同時にぞわぞわと背筋を這い上がってくるのは紛れも無く快楽で、それらがない交ぜに体を蝕んでゆく。
鬼灯は落ち着かせるように息を吐き出すと、自らの昂りを扱きながら、白澤の上で善がる。
そうすると、まるで繋がっている其処が違う器官になったかのように勝手に意思を持ち、卑猥に奥へ奥へと誘うように蠢くのだ。

「は、そんな事、何処で覚えたの」
「どこ、でしょうね」

意識して其処を絞めてやれば、急な締め付けに白澤が息を詰める気配。そのまま前屈みに体を倒して揺さぶれば、引き絞った結合部が泡立ってゆくのが分かる。肌と肌がぶつかる度に粘着質な音が上がる。
触れてこようとする両手を取り、頭上に拘束すればもう白澤は何も出来やしない。
体を自由に動かす事も両手で抱きしめる事も触れる事も。
床に転がったまま与えられるだけの苦痛をお前も味わえば良い。

「解いてよ」
「駄目です」
「触りたい」
「駄目」
「舐めたい」
「黙れ」

触れ合う肌が汗で滑る。
固い床の上で押し付けられ、触れている肌が痛みを発していたが、擦れて皮膚が裂けようとも気にする所では無かった。

「あ、ああっ…、鬼灯っ…」

下からがむしゃらに突き上げてくる白澤の動きに合わせて腰をスライドさせれば、再び急激にせり上がってくる射精感を歯を食いしばる事で耐えさせた。
ギリギリまで引き抜いて一気に腰を落してやれば、開きっぱなしの口と悦に浸るそのだらしの無い顔が絶頂まで間もない事を知らせてくれる。

「白豚さ、ん」
「だから、名前…」
「あなたに…は、これで十分でしょう」
「は、やっぱお前、嫌いだよ」
「私も、です」

はだけた胸ぐらを掴んで食らいつくように口を合わせた。
唇に歯を立てて舌を引っ張り出し、唾液が頬を伝うのも構わずに貪り絡め合う。まるで捕食のようだと頭の隅で思えば、同じ事を考えていたらしい白澤の目も笑っていた。

「あ、あ、イ…もうイク…、出したい」

刺し貫かれているのは鬼灯の方だと云うのに、まるで白澤の方が犯されているかのような嬌声が耳に心地良い。ぐしゃぐしゃな思考回路で満たされる優越感に陶酔するのはとても気分が良かった。
イキたいと強請る豚に許可を出して手を離してやれば、すぐさま腰を掴まれて遠慮無しに揺さぶられる。楽しむ余裕も無く、ただ絶頂を求めて乱暴に抜刺を繰り返す。
先ほどまでとは比べ物にならないほど深く強く突き上げられられて、鬼灯は苦しげに呻いた。

「ああっ…あ、はっ…ぅ…はぁっ…」

ガツガツと腰をぶつけられる音と荒い呼吸、お互いの声が倉庫内に響く。もしかしたら廊下にまで自分達の声が響いているかもしれないと気に掛ける余裕はもう無い。
最奥に精を注ぎ込まれる感覚に、快楽に溺れた獣のイキ顔を堪能した鬼灯は、漸く自らも二度目の絶頂に酔ったのだった。

「は、はぁ、はぁ…っ…はー…」

このクソ遅漏が…と、低い声で文句を言った鬼灯は、激しい脱力感に倒れ込むようにして白澤の上に縋り付いた。
未だ中に残る白澤を引き抜く気力も、腹をべっとりと濡らすそれを拭き取る気力も沸いてこない。
労わるように背を撫でてくるその感触が心地良くて目を閉じれば、もう指一本動かす体力すら失せるのだ。

「ねぇ…鬼灯」

ぎゅっと強く鬼の背を掻き抱いた白澤が、譫言のように囁く。
それがあまりにとろりとした甘い声音だったからなのか、不覚にも一瞬反応が遅れてしまった。

「…ッ…」

気が付けば白澤の下、鬼灯が床の上に組み敷かれて先ほどとは逆の体勢になっている。
身構える事も出来ずに打ち付けた背が少し痛い。
不快に感じる程人肌を吸収して生温かくなった固い床の感触に、鬼灯は舌打ちした。
くそ、油断した。思った時にはもう遅かったのだ。
そのひょろりとした腕から想像もできない力で鬼灯を抑え込んだ白澤は、うっとりとした表情で目を細め呟いた。

「お前と、もっと気持ちよくなりたい」

黒髪に隠れた額の目が、ぼぅっと淡い光を放ち、神気だか妖気だか訳の分からないものが霧のように周囲を包み込む。ああ、これはやってしまった。さっさと切り上げるつもりが、神獣のヤる気スイッチ押しちゃった。

「…っ!待って下さ…!!」
「今度は僕がしてあげる」
「…あっ、…ぁ…あ…」
「任せて。もっと気持ち良くしてあげる」

問答無用で両足を持ち上げられて、慌てて蹴り飛ばそうしたのに、捕んだ腕は鬼神の力でもぴくりとも動かない。
吐き出された白濁で濡れそぼりはくはくと収縮を繰り返す蕾に再び太い楔が打ち込まれ、息を詰めた鬼灯の脳裏にやり掛けた書類の山と唐瓜の姿が現れては消えてゆく。
仕事に戻れるのはどれ程後になるかを考えて、鬼灯は声を上げまいと耐える合間に深い溜息を吐き出したのだった。






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「ったく、こんな固い床でなど最悪です」
「ちょっと、僕の服で拭かないでよ!」
「黙れ白豚。豚は豚らしく悪臭を撒き散らして帰ればいい」

手近にあった白澤の白衣と三角巾で肌に付着した汚れを容赦無く拭い取った鬼灯は、薄着で抗議する白澤に向かって投げ捨てるように返すと、着物を整えて帯びを締め直した。
固い床のせいで体中が痛い上に、襦袢が汗を吸って気持ち悪いが仕方ない。袖口に鼻を近づけて臭いが付いていないかを確かめる。

「ねぇ、次の休みっていつだよ」
「教えてやる義理などありません」
「…けち」
「……」

さっさと衣服を正した姿は、普段の冷徹な鬼の姿だ。
鬼灯は自分を置いてさっさと仕事に戻るだろうし、する事が終われば甘い余韻も何も無いセフレの関係。それが当たり前といえばそうなのだが。

次にこんな関係を持てるのは、一体いつになるだろうかと白澤は焦がれるのだ。
恋しいとは思わないけれど、情が無い訳でも無い。
今日だって、出来ればこんな埃っぽい倉庫の床の上ではなく柔らかい寝台が良かったし、終わったらはいさようならではなく、朝まで触れ合って抱き合って眠りたかった。

しょぼくれた白澤を見限って、鬼灯は倉庫の扉を開く。顔だけ出して周囲を伺えば、誰の気配も無いようだ。
あれからどれ程時間が経過しただろうか。散々待たせてしまった哀れな部下を探しに行かなくてはならないし、この豚のせいで消費した時間を早く取り戻さなければならない。机の上に積み上がった書類を思い出して、少々げんなりする。

一歩、廊下に踏み出して後ろを振り返ると、未だに床に座ったままの白澤の姿が目に入った。
未だに衣服もそのままの姿に冷たい視線を向ければ、情交の余韻も浸れないのかこの朴念仁とでも言いたげな不満たらたらな表情を返してくる。
何を期待しているのか。そもそも愛の言葉なんて無い、体だけの関係だ。…それだけだった筈だ。

「白澤さん」
「…何」

視線もあわせず頬を膨らませた白澤に、鬼灯は溜息を吐いた。

「私、明日の夜は薬膳鍋が食べたいです」
「え、…え?」

それきりパタン、と扉が閉じられて、鬼が遠ざかる気配。
茫然とそれを見送った白澤は、疑問形の顔で未だ固まっていた。今何て言った?食べたい?明日の夜?
「明日…来るの…?」

薬は持ってきたのだから、鬼灯が桃源郷に行く用事は無くなった。次の薬の依頼も無いし、それ以外で訪ねてくる理由など無い。それなのに、だ。

これは、都合の良いように解釈して良いという事なのだろうかと白澤は汚れた白衣を抱きしめる。
酒はあったろうか、いや、いざとなれば2次会的な感じで養老の滝に行ってもいい。
白米好きのアイツの為に、桃タロー君にご飯を炊いてもらこう。鬼の底なしの胃袋が満足する程大量に食材を用意して。甘いものも沢山。あと布団も干して…それから、それから。


「材料、仕入れておかなきゃ…」

誰もいない倉庫に一人残された白澤は、緩んでしまいそうになる顔を両手で隠してもう一度堅い床に転がったのだった。












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「唐瓜さん、唐瓜さん」

トントンと肩を叩かれて、唐瓜は瞼を上げた。
虚ろな思考で声の先を見れば、待ちわびた上司の姿がある。なんでこんなに頭上にいるんだろう…。なんで俺、こんな所にいるんだろう。何してたんだっけ。
それをぼんやり考えて、ようやく唐瓜は鬼灯の私室の扉にもたれ掛るようにして座ったまま、眠ってしまったのだと気が付いたのだ。
慌てて起き上がれば、座り込んでいた足が痺れて痛い。

「もっ、申し訳ありません!!」

直角に折れる程に頭を下げて謝罪する律儀な姿に、鬼灯の頬が緩む。
あれから、この部下はずっと自分を探し続けてくれていたのだ。最後は私室しかないだろうと此処までやってきたのに、寝ているかもしれない自分を気遣って、ずっと部屋の前で待ってくれていた。それが何ともくすぐったい気持ちになる。

「風邪をひいてしまいますよ」

腰を屈めて小さな子供をあやすように頭を撫でてやれば、唐瓜の顔が真っ赤に染まる。それは子供扱いされて怒っているというのではなく、恥ずかしさによるものだろう。
ぎこちない動作で、おずおずと握り占めた巻物を差し出してくる姿が気の毒な程だ。

「あの、これ。遅くなってすみませんでした」
「いえ、遅くまでご苦労様です」

何度も確認した内容を、鬼灯がざっと目を通す。
問題ありませんねと告げる上司の様子に、唐瓜はほっと胸を撫で下ろした。

ああ、誰がバケモノなんて噂流したんだ。
鬼灯様は何日徹夜が続こうともこんなにも優しいじゃないか。それどころか、何というか…何だろう。ちょっと汗ばんだ肌に髪の毛が貼りついている所とか。徹夜続きで充血した眼とか。疲れて気怠くなってる雰囲気とか。擦れた声とか。
…あんな顔で見つめられたら心臓に悪い。何だか分からないけどこれ以上見ちゃいけない気がする。

「あ、あの、鬼灯様、まだお仕事は終わらないんですか」
「そうですね。あと、もう少しなんですけど」
「俺っ、俺に出来る事があればっ!何でもやります!」
「いえ、もう峠は越えていますし、明日大王の復帰を確認したら私も休みます。だから唐瓜さんも早くお帰りなさい」
「はい…それじゃ、お疲れ様でした!!」

首を傾けて大丈夫と云う上司は心なしか微笑んでいる気がして、更に心臓が高鳴ってしまう。このままでは破裂してしまいそうだと、唐瓜は一礼すると逃げるように駆けだした。
後ろから「廊下は走らない!!」と怒られて、すみませんと叫ぶ。
なんだ、やっぱり普段の鬼灯様じゃないか。そうほっとしたのは何故だろう。

「まぁ、…いっか」

分からない事は、気にしないに限るのだ。
それよりもやっと布団の上で寝れる。ぐっすり寝れる。
さぁ明日からも仕事頑張ろう。

清々しい気持ちで、帰り道を急く。
長かった唐瓜の一日が、ようやく終わったのだった。




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