バレンタイン


「金魚草の苗木を幾つか購入したいんだけど、何処で買えばいいの?」

何の脈絡も無く、そうあの駄獣が訊ねてきたのは昨年の秋の事だった。
確か、いつも薬を取りに行って待ちぼうけを食らっている最中のたわいの無い会話の一つだったと思う。

「地獄の花屋に行けば売っています。愛好家も多いですから、そういった方に分けてもらうとか」
「じゃあお前でいいや、まだ花が付いてない若い苗木が欲しいんだけど、幾ら?」
「そんなものどうするんです」
「どうするって…育てるんだよ」
「桃源郷では金魚草の飼育は難しいと思いますよ。高温多湿でなければなりませんし、日差しにも弱い。天国のような場所では不向きですし、初心者にはお勧めしません」
「やってみないと分からないだろ」

自分の描いた呪いの猫の事は棚に上げて気持ち悪い植物だと前に言っていたくせに、一体何の目的があっての事だろうかと、その時はちょっとした口論になったのだ。

「幾ら?乾燥した粉末の1kg分くらい?」
「そこまで値は張りません。苗木なら沢山ありますし、取りに来るなら差し上げますけど」
「お前に貸し作るなんてごめんだね。購入するよ」
「せっかくこちらが好意を示してやっているのにムカつく言い方ですね。…では1株、粉末の1kg分で」
「はあ?!お前さっきそこまで値は張らないって!!」
「金魚草コンテスト殿堂入りの私から購入するというなら、それなりに値は張るというものですよ」
「ちぇっ…じゃあそれでいいよ。今度取りにいくから用意しといて」

野生から鑑賞用に交配させた金魚草は、地獄なら何処でも手に入るポピュラーな植物だ。
乾燥させれば滋養強壮に効果のある薬草となるが、加工や乾燥にも手間がかかり、売り物の為というよりはもっぱら育てる課程を楽しんだり生で食べたりするものである。

もちろん極楽満月でも薬の材料として乾燥した粉末を仕入れる事があるが、原料の金魚草に興味があり育ててみたいと言い出すなど珍しい事もあったものだと、その時はその行動の心理を何も考えていなかったのだ。
どうせまた何か暇つぶしか探究心の一環か、そんな所だろう。理由は何であれ自分の好きなものに興味を持たれるのは悪い気はしない。
後日、約束通り訊ねてきた白澤に金魚草の苗木を10株、粉末10kg分という法外な代金で売ったのだ。
ちなみにそこらの花屋で購入しようと思ったら、粉末1kg分の値段で200株ほど買う事ができるのだが、それは言わないお約束だ。


****


「うーん…やっぱりこっちで育てるのは難しいのかなぁ、全然大きくならないし、最初の頃より弱った気がする」

年末前の繁忙期になる前、しばらく取りに行けないからと大量に注文した薬を取りに行った時の事。
険しい顔をして表情を曇らせる白澤の様子に、ああやはり、と思う。
桃源郷は地獄とは全く気候が違うのだ。ぬるま湯のような常春の気候は人にとっては快適でも金魚草にとっては寒いだろう。
涼しげな風よりも熱風の方が合っているし、土壌にしても薬草の栽培には適しているだろうが、有りすぎる栄養が逆に毒になったりもする。
何より、直射日光にはとても弱いのだ。

「葉が日焼けしていますね。それに水のやり過ぎ、それと…」
「よく分かるな」

店の裏にある日当たりの悪い場所に植えられたそれらはみすぼらしい姿に成り果てて、今にも枯れてしまいそうな程に悪い状態だったのだ。
手渡した時のような青々とした葉は所々が黄色く爛れ、太くしっかりとしていた茎も細く曲がってしまっている。所々に蕾を付けてはいるが、これでは花を咲かせる前に全滅だろう。

「一度、地獄へ戻して養生させましょう」
「いや、いい」
「このままだと長くは持ちませんよ」
「うん…だけど、もう少し頑張ってみたいんだ」

いつになく真剣に言うものだから、本当に何なのかと思う。
そして年が変わって年明けの忙しさも終わり、また薬を受け取りに行った時の事だ。

「今年もオマエの所はアレやるの?木の実投げるやつ」
「カカオ撒き、やりますよ。前回もとても好評でしたので」
「うえぇ、じゃあ僕が行ったら酷い事になるじゃん。普通のチョコがいい」
「歓迎しますよ、そしてボコボコにされてしまえ」
「僕はチョコがいい」
「カカオなら大量に投げて差し上げますよ」
「ねぇ、僕ら付き合ってるんだよね?」
「…何の事でしょう」
「チョコ、欲しい」

甘い物は苦手のくせして、こういうイベント事にはとても敏感なこの駄獣は、去年も貰ったチョコの数を張り合ってきたりと煩くて仕方ない。
だが、欲しいと言われてはいどうぞと素直に用意してやるのも癪なのだ。

「当日は忙しいですし無理です」
「じゃあ前日でも次の日でもいいからさ」
「カカオなら」
「それはヤダ」
「そもそも女性のイベントでしょう。男の私に強請るのは筋違いというものです」
「だって、好きな子から貰うのがバレンタインだろ?」

よくもまぁそんな台詞をホイホイ口に出せるなと、怒りを通り越して呆れてくる。
どうせ、他の女性達にも言って回っているのだろう。
もしも用意してやったとしても、当日貰い受ける沢山のチョコに紛れて埋もれてしまうのだ。




そして2月14日、当日の朝だ。
事前に用意した何万個のカカオが閻魔殿内を一斉に飛び交う姿はまさに圧巻。誰しもが日々の想いを発散させようと鬼気迫る勢いでカカオを投げている風景はとても良いものだ。
もしここに白豚が来たならば思う存分カカオを投げよう。ストレス発散しよう。
そう内心わくわくしながら待ちかまえていた鬼灯であったが、その日のイベントが終了するまでに白澤は現れなかった。
あれほどチョコが欲しいと言っておきながら、あれほどイベントに敏感な男が恋人の前に現れなかったのだ。

「鬼灯君、なんか怖い顔してるよ?」
「別に」

法廷中に散らばったカカオの残骸を皆で片づけながら、鬼灯はやり場の無い怒りにまかせて手に持っていた箒の枝を握り潰した。
来たら思い切り投げつけようと思って、選びぬいたカカオが未だ左の袖に入っている。
恋人だと言い張るならば、きっと来ると…そう内心思っていたのに。

「次に会ったら頭を潰す…」

呪詛のような言葉をブツブツと吐きながら掃除を終え、今日分の仕事を済まそうと執務室に戻った。
机の上には、鬼灯に直接渡す事が出来なかった女性達からの大量のチョコが山のように積み上げられている。
どれも可愛らしいラッピングにリボンが巻かれ、とメッセージカードまで添えているものもある。
それらを避けるようにして一つだけ場違いなものがある事に、鬼灯は気づいた。

一つだけ、チョコとは違うもの。
それは、小さな鉢植え。

「ぉ…おぎゃ…ぉ…」

それはぶるぶると震えながら弱々しく鳴いていた。小さな小さな金魚草。
葉は日焼けして黄色く変色しているし、茎も弱々しく花も小さい。色も悪いし鳴き声だって力強くも無ければ元気でも無い。
こんなにも弱ってしまったものは、鑑賞にも商品にも向かない粗悪な花でしかないのに。

「あら、鬼灯様も白澤様にいただいたんですの?」

後ろから声をかけてきたのはお香だ。
手にはリボンをかけた可愛らしい花が一輪。

「お香さん、それは…」
「今年はフラワーバレンタインが流行なんですって?」


鬼灯は金魚草の鉢植えを持ったまま外へ飛び出していた。








------------------------------

★ワンライに参加した時に書いたものです。
時間が足りなかったので中途半端ですがここまで。後日修正するかもしれません。




【 戻る 】

Fペシア