正月


1月になった途端に多忙を極めた閻魔殿には、今日も今日とて亡者で溢れかえっていた。
ひと昔のような凍死や餓死といった案件は減ったものの、最近は餅による窒息やおちゃめなうっかりさんがうっかり騒いだ挙げ句の自業自得や高齢化の波、年度替わりの自殺者などが上位を締めており、それも含めた年明けの忙しさが毎年の恒例行事の如く地獄を襲うのだ。

だから獄卒達はそんな繁忙期に負けないように毎年気合いを入れて年明けを迎えている。
それはもう気合いを入れるのだ。それは最強と呼ばれる第一補佐官としても例外では無く、抵抗する亡者を連れて広い閻魔殿を何往復しても良いように滋養のあるものを大量に腹に入れ、何日徹夜してもへこたれないように丸々1日寝まくって俗に云う寝貯めをし。心がささくれないようにモフモフチャージをして。
そうして体力気力精神力をMAXにして、さぁ来るなら来い!と仁王立ちして構えるのだ。


遅い時間だというのに煌々と明かりが灯る長い廊下をふらふらとした足取りで歩く鬼灯は、それはそれは疲弊していた。
つい今しがた閻魔や周りの獄卒から強制的に取らされた休憩30分という時間を有効的に使う為、自室へ続く長い道のりを歩く。
背筋を延ばして歩く気にもなれない猫背具合と、だらんと垂れ下げた両手には愛用の金棒がかろうじてひっかかっているだけで、歩く速度に合わせて引きずられた其れが大理石の床をガリガリ削る音だけが響いている。

「……」

疲れた。そう呟く事すら億劫だ。アドレナリンが出まくっている頭とは反対に限界を訴える肉体は、きっと横になったなら秒速で寝れるくらい。寝るという行為というよりは気絶のレベルで爆睡してしまう。
本音を言えばもうそろそろ限界だ…だがそんな暇など無いと、鬼灯は首を振った。
あんなにあった元気は何処に行ってしまったのだろう。
大量に接種した美味しいご飯のカロリーは。1日寝まくってダラダラした体力は。シロさんを筆頭に兎さんや白豚を心ゆくまでモフモフしまくったアニマルセラピー効果は…。

身構えていた繁忙期は予想以上に体力を削っていたようで、体力ゲージというものがあるならばきっと残量は1だ。始まりの村で遭遇する雑魚敵1発でゲームオーバーだ。
手元の回復アイテムは愛用の煙管だけ…こんなものでは足りやしないが、無いよりはマシだろうかとぼんやり考える。
とりあえず、部屋でシャワーを浴びて一服すれば少しは持ち直すだろうか。
鬼灯の絵柄が懐かしい我が部屋へあと数歩、もう少し…もう少し。


「回来了(おかえり)」

自室の扉を開けたその瞬間我が者顔で出迎えた男に、鬼灯は頭の中の「たたかう・にげる」のコマンドを全く無視して渾身の力で目の前の標的に向かい金棒を降り下ろしていた。
あ、なけなしの体力1を使っちゃった。
男と共に床に転がった金棒が大きな音を立てるが、それをもう一度拾い上げる気力が無い。だが気合いだ。最後は気合いで何とかなる。鬼灯はふらつく体に舌打ちして叫んだ。

「こいつでゲームオーバーなど御免です!!」
「はあ?何の事だよ痛ってぇな!!」
「今直ぐ出て行け偶蹄類!此処は家畜小屋ではありませんよ」
「偶蹄類じゃなくて神獣!!つうか昼間メールしたろ!」
「見る暇など無いので知りません!」

床に沈んだ白澤は先ほどの一撃の後遺症も無く立ち上がると、汚れた白衣の裾を払った。
無限回復の豚野郎など分が悪すぎる。今一番会いたくなかったのに、よりにもよってコイツが部屋で待っているなんて。そう吐いた溜息は深い。

「ちょっと、何処行くんだよ」
「仕事に戻ります」
「はあ?部屋に用があって戻ったんじゃないの?」
「忘れました」
「おい、待てって!」

もう1秒だってコイツと同じ空間にいたくない。今まさに何日か振りに部屋へと戻ってきたというのに再び出ていこうとする鬼灯の腕を取り引き留めた白澤は、何か察したかのように慌てて顔を近づけた。

「…お前、何日寝てない?」

睡眠不足で充血した目が、隈で縁取られた目尻が、青白い顔色が、そして何よりも反応が鈍すぎる。
そっと頬を撫でた手を振り払おうとするその仕草すら弱々しくて、思わず白澤は囚えて腕を力任せに引き寄せていた。

「離せ」

肩に触れる他人の体温。もう体力は尽きて振り払う力も無い上に、急に真剣味を増した神獣の視線が痛くて鬼灯は顔を伏せる。
職業柄妙な所で過保護なこの男は、自分が体を壊すギリギリまで無理を課す事をあまり良く思っていない。忙しさを優先して自己を省みようとしない鬼灯を心配しているのは閻魔大王や獄卒達も同じだが、この男はその比では無かった。

「僕が処方した栄養剤は」
「…あんなもの、とっくに無くなりました」
「疲れてるからといって乱用するなとあれ程言ったろ、飲み過ぎた副作用と睡眠不足と過労だな。酷ぇ顔色」
「煩い。とにかく今は忙しいんです…何の用だ白豚」
「お前と姫はじめ」
「死ね!!」
「こんな状態のお前なら、簡単に閨事に持ち込めそうだし。お前はもう休むべきだ」
「なっ…!!このクソ豚!!」

まるで荷物を担ぎ上げるようにして軽々と自分の体を抱え上げた白澤に、鬼灯は慌てて声を上げた。
背丈は同じとしても体格差は格段に此方の方が有利である筈なのに、そんな事おかまい無し。数歩先にある寝台までしっかりとした足取りで進んだ白澤は、いささか乱暴な扱いで担いでいた鬼灯を布団の上へ押し倒した。

起きあがる間も与えず両手を押さえつけられて、それを振り払う事が出来ない。足をバタつかせても蹴り上げる事が叶わない。
全身の体重をかけて乗りかかられて、喉元に食らいつかれる。

「やめっ…ん!…ぃ、…!!」

首の薄い皮膚に歯を立てられて両足の間に体を捻じ込まれて、鬼灯はビクリと体を跳ねさせた。
まさか、本当に?コイツは本気で今から…?混乱する頭で逃れる術を考えても、疲労困憊の体と頭は思うようには動かない。こんなに忙しい時なのに、大変な時なのに。

視線だけで殺せるのではないかという程殺気をみなぎらせて見上げる鬼灯の様子に白澤は苦笑を零す。きっとこのまま口づけたなら唇ごと噛み千切るくらいこの鬼はやりかねないだろう。
荒くなった呼吸で胸が上下し、乱れた襟元には先ほど付けたばかりの自分の歯型がくっきりと赤く色づいて、汗に濡れた白い肌によく映える様子が目に毒だ。

「…冗談だよ。お前が今抜けると大変な事になるくらい。僕だって…」

ふいに緩んだ拘束に、鬼灯はすかさず頭突きをかましていた。
額の角が相手の額に向かって容赦なく突き刺さり何か言おうとした白澤が悲鳴を上げて悶絶するが、構う事は無い。

「ああもう最後まで聞けよ!!」
「最低の色魔め、地獄に落ちろ!!」
「冗談だって言ったろ!!」
「これが冗談で済まされるか!!」
「僕だってお前が心配なんだよ!!」
「襲ってきておいてよくそんな言葉が言えるな、この強姦魔!!」
「こうでもしなきゃお前休まないだろ!!」
「今は休んでいる暇などありません!!」

寝台の上で男が2人声を張り上げて言い合いを繰り返す事、数回。
先に折れたのは、鬼灯の方であった。

「…もういいです。帰ってください」
「お前…」
「仕事に戻らければなりません。…お引き取りください」

力なくそう呟いてそれきり何も喋らなくなってしまった鬼灯の様子に、次は何を言い返してくるかと身構えていた白澤も押し黙る。
これ以上押し問答を繰り返しても意味がない。さっさと出て行けと無言で訴えるその様子は、普段の傲慢な鬼の態度とはかけ離れたものだ。

「…分かったよ。…帰るから」
「………」
「だから少しでいい…休んでよ。このままじゃ本当に倒れるぞ」
「………」

鬼は答えない。そしてこの無言は了承では無い事も白澤は分かっている。
ふらふらになった体で後何日徹夜するつもりでいるだろう。何故もっと自分の体を大事にしないのか。
頑なな態度を崩さないその鬼神を前に白澤は奥歯を噛みしめる。

「僕が今日来たのは、お前が何日も連絡をよこさないから…。きっとこうなってるだろうと思って、…持ってきたんだ」

白衣のポケットから出されたのは小さな瓶だった。大きさは掌の中に丁度収まるくらいのもので、蓋には術らしき封紙が貼られている。

「僕の特別製」

それは一見して彼の店で販売している栄養剤を入れる為の薬瓶のようにも見えた。だが、それは店で売っているどの薬にも当てはまらないものだ。

「これ、欲しい?」
「…頼んだ覚えはありません」
「今のお前じゃ刺激が強いかもしれないけれど、このまま仕事を続けるならお前はこれに頼らなければならない。…分かってる筈だ」
「………」

それは白澤が特別に作った回復薬。
摂取すれば、まるで体をそっくり新しいものに取り替えたと錯覚させられる程に凄まじい回復効果があるという事を、この疲弊した鬼神はよく知っていた。
その回復力も、その副作用も。

「ふふ」

否定しないその態度と僅かに目の色を変えたその様子に、白澤は満足げに微笑んで小瓶の封を切った。少しだけ白濁しているその液体が透明な瓶の中でゆっくりと動く。
首を傾け全て口に含んだ白澤は再び鬼灯へと乗りかかり、引き結ばれた小さな唇へとそれを重ね合わせも今度は殴られない。

「…っ、…」

頬を取られ口を開くよう促す男の強引さがどんなに腹立たしくても、鬼灯は大人しくそれを受け入れた。
唇を動かした途端に隙間から入りこむ舌先、同時にとろりと口内に入り込むその液体はひたすらに甘く、まるで煮詰めたシロップのような。…いや、甘いと錯覚しているだけで味など最初から無いのかもしれない。

「んっ…ぅ…」

口の端からこぼれた其れも、指先で掬い取られて口の中へ捻じ込まれる。無遠慮に入り込むそれらも舌を絡めて舐め取った。

「…甘過ぎ、ます…」
「そう?僕は感じないや」

それは紛れも無く、この男の神気と云われるものだ。
スケコマシが例えるなら軽々しく愛情とでも言うのだろうが、そんな曖昧なものでは無い。
何もかも浄化してしまうような煌々しい神の呪いにも似たおぞましい何か…が、身の内へと入ってくる。
ゴクリと喉が鳴る…入ってくる。その感覚に、疲弊した身体がザワリと浮き立った。

「このまま続きをしたいけど、お前の大好きな地獄の為に我慢しておいてやるよ」
「…獣め」
「だから、もうちょっとだけ…ご褒美ちょうだい」
「……」

角度を変えて何度も食らいつかれて、舌と舌が絡まり吹い上げられればゾクリと首筋が震えた。
たかがこんな事で張りつめていた糸が意図も容易く切られてしまう。だから会いたくなかったのに。触れたくなかったのに。

「鬼灯」

ああクソ。この男が不快でたまらない。
指に絡まる細い指が、遠慮なく股を割ってくる足が、カサついた己の唇が。上辺だけの気遣いが不快だ。ほんのりとこの男から香る桃の香りも…何もかもが不快だ。

「これの効果は5日がせいぜいだ。それまでに仕事にキリをつけろ」
「努力は…します」
「これのお代もその時にたっぷりと利子付けて請求するから、覚悟しててね」
「死ね」

にっこりと微笑む白澤の様子に、鬼灯は舌打ちを一つ。
尚も口づけを繰り返す呼吸の合間、鬼灯は神気が徐々に浸透していく感覚とそれと同じくして戻りつつある体力に…恨めしく男の背に爪を立てた。






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★白澤さんの特別製についての説明

白澤さんの神気が鬼灯様の中に入ると、白澤さんの神獣パワーで悪い所(過労とか睡眠不足)が劇的に回復します。
けど、鬼である鬼灯様の中の鬼火と神様の気は相性が悪くて、長時間一緒に入れとくとお互い反発しちゃいます。
それを、白澤さんは特別製のお薬という加工を施して鬼灯様に摂取させ、数日間くらいなら共存OKの状態にしています。
だけど効果は数日間。それ以上続くと神気の方が鬼火に勝っちゃうので、鬼灯様の命が危険にさらされます。
だから鬼灯様は、白澤さんの申告した日数以内に摂取した神気を再び取り出してもらいに白澤さんの元に行かないといけません。

危険だから白澤さんは表面上はあんまり摂取をオススメしていないんだけど、最終的には鬼火を全部自分の神気に置き換えて、永遠に鬼灯様を自分の番にしちゃおうって計画もあったりで。
そんな計画を鬼灯様もうすうす感じてるんだけど、絶妙なタイミングを見計らって白澤さんが誘惑してくるので駄目だと思いつつもついつい自分の首を絞めてる感じ。


っていう、よくあるご都合設定でした。



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