おはようから、おやすみまで
欠けた月が淡い光を放ちながらぼんやりと夜空に浮かんでいるのが山の隙間から見える。
三日月よりも細い月夜では夜目に慣れていない者ならば灯り無しでは歩くのも難しいだろう。
何処からか時折聞こえてくる梟の鳴き声がしんと静まる空間に響き、やがて闇に溶けてゆく。
静かな夜だ。
寝る前に少しだけ仕事を済ませておこうと小さな提灯を片手に裏の畑へと赴いていた桃太郎は、僅かな気配と何かが動くような物音を感じて体を起こした。
手には採取したばかりの薬草が握られており、それを籠の中へと仕舞いこみながら気配のした方向へと目を凝らす。
「……?」
籠の中に入っているのは開花したばかりの花弁だ。
夜の間だけ咲くそれは朝には枯れてしまう為、面倒でも夜中に摘み取らなければならないと師匠である白澤から教わっていたもので、乾燥させて粉末状に加工したものが胃腸改善に効果があるのだという。
最初、その気配は師匠かと思ったのだが、微妙な歌唱力の鼻歌が時折風に乗って店の反対側から聞こえていた。どうやら入浴の真っ最中らしい。
ではこんな夜中に店の周辺を彷徨くのは迷い込んだ獣か、それとも遅い来客だろうか。
音のした方向へと目を凝らしてみるが、それきり気配も物音もしなくなった事に桃太郎は首を傾げる。
それは店の角…丁度白澤の寝室がある辺り。木が邪魔をしてよく見えないが、近くまで行ってみても特に何か変わった様子は無い。
「…気のせいか…」
確かに何か居たと思ったのに。
桃源郷に不審者などいる筈も無く、やはり気のせいだろうと結論づけた桃太郎は収穫した花弁を持って店へと戻っていった。
それから数時間後の事だ。
真夜中の桃源郷の広大な土地にぽつんと建つ一軒家から、突如強烈な爆音が轟いた。
そこはうさぎ漢方、極楽満月。
店主の神獣と弟子の人間が一人、その他のうさぎ十数羽が慎ましく暮らしている薬局兼住宅である。
薬を作るとっても現代の髄を凝らした科学ではなく漢方薬であるのだから、現世の病院のような設備は無い。薬を作るも切ったり干したり潰したり煮たりといった人力まかせのアナログ作業が多く、大がかりな装置も無い。
電話やパソコンといった生活に必要な電化製品はそれなりに置いてあるが、それらは決して爆音を響かせる存在では無かった筈だ。
それなのにこの音は何だ。まるで敵襲を知らせるサイレン、もしくは警報。
低音が腹に来る上に五月蠅いを通り越して鼓膜が痛い。
危機感を覚える程の音に飛び起きた桃太郎は、手で耳を塞ぎながら慌てて部屋を飛び出した。
「白澤様!!!」
慌てて師匠の部屋の扉を開けると、桃太郎と同じく寝間着姿の白澤が何故か寝台を持ち上げようとしている所。
そして部屋中に響く爆音。それは桃太郎の部屋で聞いた音とはレベルが違っており、恐らく此処が発信元。
例えるとすれば何になるだろう。こんな中にいては命に関わる。まず此処を離れるべきだと錯乱する頭で考えるのに、白澤は逃げるどころか寝台にかじりついたまま離れようとはしない。
「桃タロー君!手伝って!!」
「白澤様!どうしたんですか!!この音は?」
「いいから!これ手伝ってよ!!」
「何ですか!?全然聞こえないです!!」
「早く!手伝ってってば!!」
「はあ?何言ってんですか!!この音は何なんですか!!」
至近距離で会話しているというのに、この音の中ではお互い何を言っているのか全く聞こえやしない。おろおろと狼狽えるだけの桃太郎にじれた白澤は気合いの限り重たい寝台をひっくり返した。その拍子に棚や照明までもが巻き添えを食らって床へと倒れるが、気にかけている余裕は無い。
木製の寝台は眠る為だけに造られたもので、マットレスと布団が敷かれたその裏面は一枚板の筈だ。
「あった!!」
それなのに、何故かひっくり返した裏面にあったのは巨大なスピーカーらしきもの。そして中央には赤いスイッチが貼り付いている。
「ああもう五月蠅いっ!!!」
そのスイッチめがけて叩き壊す勢いで白澤は拳を振り下ろす。その瞬間、鼓膜を破る勢いで鳴っていた音がピタリと止まったのだ。
「…え…?」
一体なにが起こった。
桃太郎は疑問符を頭に沢山浮かべたまま未だ部屋の入り口で未だ呆然と立ち尽くしている事しか出来ない。
「ふー…、あー、やれやれ。鼓膜が裂けるかと思った」
「何…ですか…それ」
「さあ?ろくでもない物なのは確かだよね」
此処見てよ、と指さした場所は先程の赤いスイッチ。
寝台の裏側の丁度中央に設置されたそのスイッチはまるで押してくださいと云わんばかりに主張している。
その赤く塗られた中央に描かれている、見覚えのある鬼灯紋。
「え、…これって」
鬼灯紋を使用する者など、桃太郎が知る中では一人しかいない。
一体何が目的で?そう問おうと白澤の方を向けば、携帯を取り出して電話をかけている真っ最中。
「オイ!!クソ鬼神!!」
「はあ?…何だって?聞こえねぇよ朴念仁!!」
声を張り上げて電話をする相手は言わずもがな。
先ほどまでの爆音のせいなのか、音が聞き取りにくくなっている師匠は携帯の音量をMAXにした挙げ句ステレオ通話に切り替える。
「もしもし、白豚さん聞こえますか」
「聞こえてるよ!!」
「おはようございます、白豚さん」
「………」
「おや、家畜は元気がありませんね」
「何時だと思ってんだ。何だよコレ」
「おはようございます、それはウチの獄卒が開発した目覚まし時計です。時間通りに起動したようで安心しました」
「だから何でそれがウチにあるんだって」
「白澤さん」
「あ?!」
「おはようございます」
「………おはよ」
「それでは私は今から寝ます。おやすみなさい」
「はあ?ちょっ…オイ!切るな!」
プッ、ツー、ツー、ツー
「何だったんですか…本当に」
通話の終了した携帯に向かって暴言を吐き続ける白澤を眺めながら、桃太郎は相変わらず見守るしか出来ない。
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同時刻 日本地獄にて
「あれ?お前まだ仕事中?」
「ええ、ですがもう休みます」
薄暗くなった閻魔殿内、個人的な趣味に没頭する為残っていた鳥頭は、呆れ顔で古馴染みの友に声をかけた。
とっくに休んでいるかと思った友は広げた書類を片づけている最中らしく、長い巻物を器用にくるくると巻き戻している。
「あまり遅くまで趣味に没頭するのは良い傾向ではありませんね」
「俺は明日休みだからいいんだよ。それよりお前、明日も朝から仕事なんだろ?」
「この時間までと決めていましたから大丈夫ですよ。問題ありません」
仕事中なら上下の立場をわきまえなければならないが、お互い職務時間外ならば余計な敬語は無用だ。
趣味で今まで起きていた自分とは違い、鬼灯は朝から今まで仕事をしていたのだという。お前も相変わらず仕事中毒だなぁと憎まれ口をたたいても、彼が怒る事が無いのは気心が知れている友人だからこそだ。
「そういえば、先日作っていただいた目覚まし時計は失敗でした」
「え、そうなのか?」
「音が大きすぎると苦情が来まして」
「あー…そっか、じゃぁもう少し改良してみねぇとなぁ」
他愛も無い立ち話しを何度か繰り返し、片づけが終わったらしい鬼灯がおやすみなさいと会釈して法廷を後にする。
その後ろ姿を見送った鳥頭もそろそろ寝るかと大きな欠伸をかみ殺した。
「それにしても…あんなロクでもないもの、誰に使わせたんだろ」
どんなに寝起きの悪い者でも一瞬で起こせる目覚まし時計を作ってほしいと飲みの席で頼まれたのが1ヶ月前。
亡者の拷問用に作っていた装置と組み合わせて作ったのを手渡したのが数日前の事だ。
大きな獣でも起こせる最強に強烈な物が良いと言っていたから、きっと龍旋処の恐竜かヤマタノオロチあたりにでも使わせるのだろうと予想して、ありとあらゆる騒音や不快な音を混ぜて作ったそれは、冬眠中の熊すら一発で飛び起きる程強力な出来だ。
人や鬼が使う用にではなく、もっと体の大きな動物でも効くように音量も最大に設定済み。
「そういえばアイツ、変な事言ってたなー…」
聞いてもはぐらかされるだけで結局一体誰に渡したのかは分からなかったが、一言だけ妙な事を言っていたのを思いだす。
「一日の終わりに好きな方から電話がかかってきたら、嬉しいと思いませんか?」
それが今回の目覚まし時計と何か関連があるのだろうか。
考えても埒が明かないと、烏頭はそれきり考えるのを止めた。
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