じめじめとした湿気が肌にねっとりと纏わりつく向夏の砌(みぎり) は、何かと天気も気まぐれなもの。
炎夏の如く肌を焼く日もあれば、たちまち厚い雲が覆ってゆく。そんな気候につられ、人の心情までも気まぐれに変化してゆくのだ。



[ 孟夏 ]






「…マジかよ…」

まだ障子すら開けられてもいない閉め切った部屋の中。
外部から聞こえてくる耳障りな音により強制的に起床させられた恋次は、庭のある方角の障子を眺め憎らしげに呟いた。

夜の暗闇に覆われていた空は、日の昇りにつれゆっくりとその色を黒から白に変える時間帯。まだ朝と呼ぶには少し早く、普段ならばしんとした静けさを保ち心地よい眠りのひと時を提供してくれる筈なのに、今日に限っては違っていた。

ずるずると乱れた着物のまま部屋の隅へと這ってゆくと、恋次は庭へと続くその障子に手をかけ一気に開く。
いつもならスパンと軽快な音を立て勢い良く開く障子が今日はえらく滑りが悪い。
ザアザアと耳に届く音はぼそりと呟いたその声音さえも掻き消すほど。庭に植えられた木々は力なく撓り、砂利が敷き詰められた枯山水はまるで池のように水の底へ沈んでいる。

目の前に広がっていたのは、樽の水をひっくり返したような土砂降りの光景であった。




「信じらんねぇ」


予想するまでもなく分かっていたのだが、それでも突きつけられた現実に恋次は再度力無く呟くと、がっくりと畳に手をつき項垂れる。

「まるで童だな」
「…ほっといて下さい」

天候で一喜一憂するなどまるで休みの日の子供そのものだなと、背後から掛けられた声にも恋次はほとんど投げやりな気持ちで答えた。
だって、と。
こんなにも落ち込むのにはちゃんとした理由があったのだ。

なかなか貰えない非番の日。
なかなか買いにいけないグラサンを買いに銀蜻蛉に行く日。
同僚に教えてもらった隠れ家的甘味屋に行く日。
仕事の事など忘れてのんびりぶらぶら町を散策する日。

そして、

滅多に休みの合わない白哉と2人で過ごす貴重な日。
そんな日であれば、起床一番にどん底まで落ち込むのも無理は無いと理解してほしい。


相変わらず雨音は止む事を知らず、大粒の雨は暗い雲から延々と滝のように落ちてくる。
恋次と同じく煩い雨音に起こされた白哉はその長い髪を鬱陶しげに掻き上げながら、上半身を床から起こした。

「これでは外出はできぬな」

開かれた障子の向こうの庭に視線を向けて一言ぽつりと漏らした声は恋次とは対照的に冷めている。
まぁ雨ならしょうがない。そんな日に外出などしたくない。そんな風に聞こえ、恋次は恨めしく白哉の方へと顔を向けた。
その顔にはありありと未練という言葉が書かれていて、朝っぱらからそんな顔を此方に向けてくれるなと白哉はジロリと睨み返す。

「眼鏡が欲しくば、また次の休みにでも行けば良かろう」
「そうゆう問題じゃねぇんだよ」

言われなくたって分かっている。そんな事など百も承知で、それでも恋次は悲壮感を露にした。
だって今日の非番は普段の休みとは違うのだ。
恋人と示し合わせて一緒に取る休みなど、年にそう何度も取れるものではない。現に休みを合わせる為に片付けた仕事がどれだけ大変だったか。
昨日までの地獄のように忙しい日々は、全ては今日という日を迎える為に耐えて抜いた筈だ。
苦手な書類作成も進んでやった。虚退治も最初からクライマックスなくらい頑張った。
コツコツ貯めた貯金だって今日使うつもりで貯めていた。
昨日から泊り込んで、朝になったらお気に入りの着物で出かける予定だったのに。
それもこれも全部中止なんてあんまりじゃないか。
全てはアンタと一緒に丸々1日のデートの為。
一緒に銀蜻蛉行って2人でお揃いを買ってみたり。甘味屋行って「はい、あーん」とかしてみたり。ぶらぶら町を歩くついでに手とか握って歩いてみたり。
…現実的に隊長がそんな事してくれるかなんて事は考えちゃいけない。願う事が大切なんだ。
ささやかで良いから、小さな幸せを体全体で感じたかったのに。

「……」

憎い雨はそんな恋次をあざ笑うが如く雨足を強めてゆくばかり。
遠くから雷鳴すら聞こえる始末で、もういっそこの雨の下飛び出してずぶ濡れになりながら走りたい衝動に駆られてしまう。
そうだ。もうどうにでもなってしまえ。

「下らぬ事は止めろ」
「…うー」

犬の心情など飼い主には手に取るように分かるようで、恋次は悔しげに唸る。
来い来いと手招きすれば四つんばいで床に戻ってくる恋次の姿が本当に犬のようで、白哉は呆れたように口元を緩めた。
手を広げて受け入れの態勢を取ってやれば腰に抱きついてくる大きな犬。

「何をそんなに拗ねる事がある」

そう言いつつ気まぐれに湿気でバサバサに広がった髪を梳いてやれば、絡まった髪が指にひっかかり痛いと拗ねた様に苦情を漏らすだけ。
文句は言うくせに離れようとしない恋次を甘やかすように何度も頭を撫でてやれば、伏せていた顔をようやく上げた恋次は悔しそうな、それでいて恥ずかしそうな微妙な表情で。そのまま白哉の膝の上へと頭を預けると慣れない膝枕に照れたように目尻を赤く染めた。

「…楽しみに、してたんだ」

庭の外へと視線を向けて、ぽつりと漏らした声は普段とは比べ物にならない程小さく覇気が無い。
元々、アグレッシブに休日を過ごしたいと考える性格だ。このまま何をする事も無くぼーっと部屋で過ごすよりも、外に出て体を動かす方がよほど性に合っている。
加えて今日は前々から色々と計画を練っていた分、落ち込み具合も激く、まるで今のじめじめとした気候のように沈んでいる。

そんな様子の恋次に、白哉は苦笑を漏らした。
ほんの気まぐれで、休みを共に申請しようかと言ってやった時の嬉しさを隠し切れぬ何とも言えない顔を思い出す。
どんなにこの日を楽しみにしていたのかなど、言葉には出さなくとも、ここ数日の張り切り具合を隣でずっと見ていたのだ。分からぬ訳がなく、昨晩など無意識だろうが上機嫌過ぎて終始笑いっぱなしであった。
それが、たかが雨で外出できなくなったという理由でこの変わりよう。


「……隊長、」
「なんだ」

髪を梳いていた手で耳を、鼻を、頬を順に撫でてやると擽ったそうに身を捩りながらようやく視線を白哉へと向けた恋次は、その感触に酔うように深く息を吐き出した。だが自分から言い出したくせに、その後の言葉が続かない。
何かと問うたくせに、なんでもないと首を振るだけで、恋次はただ白哉を見上げている。肩に添えられていた白哉の手を取り、指に自分の指を絡めてみたり。軽い手遊びをするだけだ。


「すんません、俺…大人げねぇ…つうか…」

ようやく諦めがついたのか、その言葉を吐き出すのには随分後になってからの事だ。
この言葉を言うのにどれ程待たされたか、何を迷っていたのかと思えばそんな事か。白哉は小さく溜息を吐く。
ぐっと肩を掴まれて、引き寄せられるように力を込められたのを感じ、恋次は息を詰めた。

「私は、共に過ごせればそれで良い」

僅かに身構える恋次の耳元で、白哉は静かに口を開いた。
そのまま、腕に手を回し力任せに引き上げると、近くなったその額へと口付けをひとつ。
サラリと艶のある黒髪が自分の顔へと落ちてくる様子に、恋次は吐息だけで笑った。
愛しい者となら、たとえ何処でだって構わないのだと言う白哉に対し、やはり自分はまだまだ子供だと恥ずかしくなる一方、それを知っていて尚まだ甘やかしてくれるのなら、もう少し我侭を言っておけばよかったとも思う。

再び近くなる顔を自ら引き寄せるように、腕を上げ首の後ろへと回し、恋次は目をゆっくりと閉じていった。

「……、…俺だって」

俺だって、そうですよ。
そう答えたそれは雨の音に掻き消される前に、頭上の男の唇に塞がれて声になる事はなく、雨水の跳ねる音に混じり、口合わせの湿った音だけが、朝の部屋に小さく響いた。





END



■あとがき

炎潤様から戴いたイラストのお礼として書かせていただきました。
ちょうど梅雨時期なので、季節ネタです。炎潤様のサイトは甘ーい白恋が多いので、お礼の白恋も出来るだけ甘く!!という気持ちで兄にはめいっぱい恋次を甘やかしてもらい、ラブラブ寝起きの触れ合いタイムなお話でした(笑)
炎潤様、もらってやって下さると嬉しいです。本当にありがとうございました!!

2009/06/29


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