「隊長、あの…これ…」

夜も更けた時間帯、既に湯も済ませこれから甘い甘い蜜事を致す気満々で恋人を膝に載せた朽木白哉は、おもむろに袖の下から取り出した甘ったるい香りを漂わす其の箱を見せ、おずおずと言葉を紡ぐ恋次の様子に、今日一日の出来事を思い出し、極端に表情をひきつらせた。

「手作り、なんです」

恥ずかしそうに頬を染めて、へらりと笑うこの男が憎らしい。


2月14日。
バレンタインデー。
それは現世の菓子メーカーが世に広めた恋する者の為のイベントである。



*-*-*-*-*


甘い極上の香り漂う、掌にすっぽりと収まる小さな箱。
スイート、生クリームたっぷりの、乳茶褐色の粒。

甘い、甘い、スイートな

チョコレィト。



【プリィズ・ギブミィ】





嫌いな食べ物に「甘いもの」と挙げる白哉にとって、その日は試練の日と云えた。


「朽木隊長!!あの!これ受け取って下さい!!」

おさげの可愛らしい小柄な隊員の一声から、一日が始まった。
部屋から出れば呼び止められ、廊下を歩けば手渡され、仕事中でも休憩中でもお構い無し。朝から晩まで自分の隊だけではなく、はては顔を合わせるのも初めてらしい他の隊員からも。
一人という場合もあれば連れ立って複数という事もあるし、一度受け取れば次から次へと沸いて出るようで。
あげく預かったと言っては満面の笑みで大量の菓子箱を運んでくる己の副官に軽い殺意を覚えた程に、彼の機嫌は宜しくない。

今日は2月14日。乙女的イベントの日であり、白哉の悩みはその日一日に受け取らなければならない大量の菓子にあった。



けれども彼は貴族である。簡単には他人に顔色など伺わせない鉄壁の無表情を纏う男であり、その並外れた精神力で山のように運ばれてくる菓子を全て黙って受け入れていた。
だが、部屋中に漂う香りに耐えかねて2月の寒い時期だと言うのに執務室の窓は終始閉じられる事無く全開にされ、寒いから絞めましょうと何度も提案する副官の意見も却下した白哉は、表面上、涼しい表情で職務を行いつつも、この日が1秒でも早く終わる事を心内に切に願ったのも事実である。


「今年は逆チョコが現世での流行らしいぞ!」

そう浮竹から聞いたのは昼過ぎの事。
どうやら瀞霊廷通信に現世特集として上げられたらしく、実際白哉に渡しにチョコを贈るのは女も多かったのだがそれに加え男も多かったのだ。

逆チョコとはつまりは男から女へと渡す事が一般的な解釈であろうに、唐突に広まった流行を少し勘違いする者も多かったらしく、結局のところ、男女問わず菓子を送ろうという菓子メーカーの策略に皆が乗った形で、男女共からのアプローチに例年に無い程の両を受け取らなければならなかった白哉の機嫌は昼過ぎにして既に眉間に皺が寄るほど悪かった。

「いらぬ」

きっぱりと断りを入れた所で浮竹が諦める筈も無いのは解りきった事であったのに、それでも拒否した白哉の声は普段よりも3割増低い。

これでは、「日ごろ親しくしている礼」として例えてお歳暮やお中元、もしくは暑中見舞いや年賀状などと目的としては何ら変わらないではないかと内心毒づきながらも、この世の終わりを予感させる程に緊張した表情をひきつらせながら手渡しに来る者達をいちいち断るのも面倒であり、加えて白哉は比較的よく出来た上司であったので、赤毛の副官の様に部下の好意に感激して機嫌良く喜ぶという事は無くとも、無碍に断ったり突き放して傷つけることは無かったのである。

どうせ皆、受け取れば満足するのだ。
それから後の菓子の末路など気に止める者など誰もいないであろう。執務室に積み上げられた菓子も朽木の使用人に引き取らせた後は、家の者に全て横流ししている事を非難する者は存在しない。
貰う事すら迷惑と内心思う白哉がホワイトデーに何かお返しを等と思う筈も無く、護廷十三隊の中で抜きん出て女性隊士の熱い視線を受ける彼にとっては、2月14日という日は至って何も無い平凡極まりない日であり、こんな甘いだけの菓子を食べる必要性など理解に苦しむ行事のひとつだったのだ。



「今年は男からもチョコを贈るのが流行りらしくてな!」

今目の前にいる浮竹も、その意味を履き違えている。
結局無理やり渡された菓子箱と共に、年に数回あるお菓子イベントに浮き足立って配りまくる浮竹の背中を白哉は黙って見送った後、手に持っていたものは黙って屑籠に投げた。
大きな袋を肩に担ぐその姿は2ヶ月前のプレゼントを配っていた時に扮していた赤い服の白髭の老人の姿を想像させる。
やがてその袋が届けられるだろう十番隊の少年隊長を思い出し、白哉は滅多に顔を合わせる事の無い日番谷に軽く同情した。



*-*-*-*-*


その日の夜、ふいに訪ねてきた客人を、就寝前だった白哉は着流しのまま迎え入れた。
相手も湯を済ませた後なのだろう。着流しに羽織、普段はきっちりと括られている髪も未だ生乾きの上、緩く纏めただけのその出で立ちに、白哉は無意識に目を細めた。
そして思う、こんな日でなければもっと良い日であったろうに…。


「…だから、その。…今日、バレンタインっつう日で、こ…恋人に、菓子を送る日なんです」

膝に乗った恋次が申し訳なさげに呟く。
頬を赤らめ恥らうその姿を可愛らしいと思う余裕は今の白哉には無く、開けられた箱の中身から目を反らす事ができなかった。

「乱椈さんが一緒に作ろうって誘ってくれたんで、ちいと歪っすけど甘さは控えたつもりです」

つもり、では困るのだ。甘党の「控えめ」は、あくまでも甘いのだ。
現に今、恋次の手のひらに乗る菓子の色合いに白哉は危機感を覚えずには要られない。それはカカオの強い大人の味付けでは決して無い、クリームたっぷりミルキーブラウン。
軽く上に振り掛けてあるのは粉砂糖のようだ。

「………」

これの何処が「甘さ控えめ」なのか白哉には理解できない。
どう見てもこれは白哉好みなどでは無く、恋次が自分で食べる用のマイチョコの色だ。
再度言おう、白哉は「甘いもの」が苦手である。
例えそれが愛しい恋人からの贈り物であった所で、甘いものを克服できるほどに味覚は都合良く出来てはおらず、舌は正確に甘いものは甘いと脳へと伝達される。
もし逆の例で例えるとしたならば、「辛いもの」が苦手な恋次が白哉から送られた「白哉にとって辛さ控えめなキムチ」を食べろと言われても、結局は辛い事に変わりないそのキムチを完食する事など恋次にはどだい無理な話なのである。


「えーと、…どうぞ?」

小さな一粒を恋次が摘んで白哉の前へと差し出した。鼻腔をくすぐる甘い香りに白哉の眉がぴくりと動く。
俗に言う「あーん、して下さい」という体制で、普段ならばとても良いシチュエーションの筈なのだが、白哉は口を開こうとはしなかった。
というよりも体が動いてくれないのだ。
四大貴族ともあろう男が一粒の甘い菓子如きに怖気づいているのだ。
それはとても不名誉であり、そして一番その事実を知られてはいけないのが恋次である。
加えて手作りとなれば、食べない訳にはいかない。


白哉は内心とても困っていた。これが例えばキムチなどならば、進んで口を開けただろう。
去年は苦めの抹茶で流し込んだのだが、今は暢気に茶など飲める体制ではなく、むしろ膝に乗らせた事で逃げ道は残されてはいない。

「隊長?」


これを越えての甘い一夜の為に、可愛い恋人の為に。


「…、戴こう」


白哉は覚悟を決めた。





■あとがき

情けない兄がテーマ(笑)
食べ物は粗末にしちゃいけませんね。
読んでくださってありがとうございました!



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