「おめでとうございます。」

ふいに恋次が発した言葉に、衣服を整え終わった白哉は何の事かと眉を顰めた。



[待雪の溜息]




何も脈絡も無く、もちろん礼を言われる事などしてはいない。むしろ先ほどまで行っていた行為はこの男にとって屈辱的な行為でしかない筈。不審な顔をした上司に苦笑いを浮かべた恋次は、壁に立て掛けてあった時計に目をやりながら答えた。


「あんたの誕生日、ですよ。日が変わっちまってたんで」

未だに髪もだらしなく乱したまま、腕に引っかかっていただけの着物を腰に巻きつつ、ゆっくりと帰り支度を始めた今は今日から明日をまたいだ時間帯、日付は1月の末日。

降り出した雪が今も止む事無く降り続いており、肌にまとわり付く汗が直ぐに温度を失ってゆき酷く肌寒い。それが嫌なのか、恋次はろくに上着の着物紐も締めないまま手早く袴を履き帯を結んだ。
肌に水を吸った布が張り付き余計に鬱陶しく思うが気にしない事にして立ち上がる。

「まぁ隊長くらいにまでなると数えるのも面倒になるかもしれませんけど、明日はあんたへの贈り物でこの部屋いっぱいになりそうっすね。去年の浮竹隊長のは凄ぇ大きかったし。今年も技術開発局に何か依頼してるって話っすよ」

「そうか」

さして興味が無いのか、視線を合わせる事も無く残った執務を再開させてしまった白哉を横目に、恋次はそのまま座り手櫛で乱れ落ち首に張り付く髪を纏め上げる。


「明日は、屋敷の方に戻られるんで?」
「ああ」

「じゃぁ俺は明日は遅くまで残らなくても良いって事すかね」

「…」

見上げた白哉に恋次はニヤリと作り笑いを浮かべて見せた。
アンタがいないんなら久しぶりにゆっくりと夜を過ごせそうだとでも言いたげなその顔に白哉は一瞬眉を寄せたが、直ぐに普段の無表情に戻り、そしてその視線も再び手元へと戻る。その話題に触れる事は無い。
何か言い返してくれた方が気が楽だというのに、そう恋次は内心思った。
軽蔑なり、差別なり、そんな台詞を吐いてくれたなら喜んでその喧嘩を買ってやろうと思うのに。
そして下等な自分を不快に思ってくれたなら。そう、思うのに。
何も、無いのだ。

------------------------------

「お先に失礼します」

頭を下げて帰宅を告げ、そのまま扉へと向かおうと背を向ける。
普段ならばこれで職務も終わり。それからは声を掛けられる事などないのに、珍しく白哉は仕事中の筆を置き、背を向ける恋次に向かって口を開いた。


「明日、我が邸に来ぬか」

その言葉に足を止めたものの、振り返りはしない。
しまった。何故足を止めてしまったのだろう。聞かなかった事にして部屋から出てしまえば無かった事にできたのに。

「アンタの屋敷に行く用なんかねぇっすよ」
「…」

朽木の屋敷に行くという事は全くの私用だ。職務でも命令でも無い。
ならば、何故この日に行かなければならなねぇんだ。

「それともアレっすか、祝いにアンタの屋敷でイロイロサービスしろって意味すか」
「…」

否定しねぇのかよ。

「は、あんた正気か」
「…ルキアも現世での任務から一時戻る事になっておる。」

「なん…」
「会いたくは、無いのか」


呼吸が詰まる感じがした。
何が言いたい。

会わせると、言いたいのか。
ルキア、に。

「…俺、は…」

どんな顔をしてルキアの前に立てばいい。
上司に抱かれて副官になった姿をルキアに見せろと?
それとも晒し者にでもする気ですか。
ルキアがいるアンタの屋敷で、売女みてぇな俺を抱くってか?
何のつもりだ。

血が逆流する感覚を、呼吸する事で押さえ込んだ。
息と一緒に吐き出した声は自分でも驚くほどに低い。

「すんません、…俺、貴族のお屋敷って聞くとそれだけでアガっちまって気分乗らないんスよ」
「…恋次」
「どうしてもってんなら、…此処が、良いです。それじゃ、駄目っすか」

無茶苦茶だ。
何を口走っているのか自分でも分からない。今は声を冷静に繕う事だけで精一杯で、言葉を選ぶ余裕など無いのに、こんな時に限って饒舌なのはやはり自分自身が卑しいからなのだろう。 そう思えて妙に可笑く、実際笑える所なんてこれっぽっちも無いのに笑顔を作っていられるのは自分の神経がとっくにイカレちまったから。


「下がれ」


笑いや怒りなんて感情を通り越して悲しかった。ああ、何でアンタは何も言わない。
何時から、俺はこんな台詞を吐けるようになるまでに墜ちたのだろう。


「…失礼、しました」


外はもう一面の銀世界。
月も雲に隠れたままだというのに、その白が浮き立ち周囲を僅かだが明るく見せる。
いっそのこと月さえも星さえも見えない一面の闇ならば良かったのに、その白が自分の姿を嫌でも明るく照らし出す。

忌々しい。

------------------------------

「朽木隊長、おめでとうございます」
「おめでとうございます」


その台詞は朝から時間を問わず聞こえてくる。
日ごろ声を掛けたくても掛けられない若い女隊士や、白哉と関わりのある者達。交流のある隊員や隊長などー…。

それを何時もの態度で受け流す白哉の横、付き従っている恋次は仕事どころではなかった。
六番隊はおろか他隊まで、男女問わず次から次へとやってくる客人の対応だけで手一杯。持ち込まれる贈り物の多さに面食らいながらも次々と部屋の奥へ押し遣り、広い筈の執務室はいつの間にか物置小屋に変わりつつある中で、普段のように仕事をしている上司を横目で見て恋次は疲労から溜息を一つ。


「…、恋次」
「っはい」

「何を呆けておる。気を散らすな」
「すんません」




慌てて筆を止めていた手を動かし職務に集中しだした恋次を見て、白哉は昨晩の事を考えていた。

来いと言ったのは、決して軽んじて扱う為などでは決して無いし、義妹の事も以前話題に上がったからこそ誘ったというのに。
あの瞬時に変わった眼差しと奥底の感情を隠すようにして貼り付けられた微笑を向けられると、何を取り繕っても無駄のような気がしてしまうのだ。
屋敷に呼んで何もしないという気も無く、無言で返したのは否定肯定どちらに捉えても構わなかったからだが、恋次が言う事を望んでいた訳では決して無い。

だがもう今更何をどうしようとも遅すぎており、自らの手で手折ったその感情を、元に戻すことなど出来はしないのだ。





「私は屋敷へ戻らねばならぬ故、後の事は任せる」
「はい」




珍しく定時に帰宅する白哉を見送り、恋次はほっと息をつく。
この忙しい1日の中できっちりと普段と変わらぬ量の仕事を仕上げた上司に脱帽。やはり育ちが違うのだ。
常に注目され見られ慣れているからこそ白哉は貴族であり、人の上に立つ存在なのだと痛感する。
反対に自分はと言えば、一日中仕事外の作業に費やされまともに職務に向き合えなかった結果机の上には未処理の紙が大量に積まれていたが、なんとなしする気にもなれず、結局今日中にしなければならないものだけ片付けて明日に回す事にした。


「帰っても、いいんだよな…」


大量にあった贈り物も先ほど朽木の使用人達があらかた引き取っていき、執務室は普段と変わらずがらんとした広さと静けさを保っており、帰り支度をしながら一人呟くものの、回答はどこからも望めない。

昨日の誘いを誤魔化してから、結局白哉はその話を蒸し返す事はしなかった。
あの答え方で返したのなら当然行ける訳がないとも理解しているのに、する事も無くなった今浮かんでくるのは白哉の事ばかりだ。
今頃はきっと貴族やら何やら大勢押しかけて大騒ぎになっている屋敷に戻っている頃。


「くくっ…」

静かな場を好むあの寡黙な人が大勢の客人に囲まれて祝われる様を想像して可笑しくなった。
似合わないし、らしくもないが、しかしそれも勤めだと言い切るのだろう。
今日だって昼を過ぎる頃には時折疲れたような、うんざりした顔を影で作っていたのを知っている。
誰にも見せていないし、悟らせていないあの人の表情が少しずつでも変化し、それに気がつくようになってきた自分は随分と慣れてきたのかもしれない。

今頃は白哉と共に、ルキアも屋敷にいるのだろうか。

少しだけ後悔しているのを自覚して誤魔化すように頭を掻いた。

ルキアに会えなかった事の後悔なのか。
それとも白哉の誘いを感情のまま無碍に断った事への後悔か。
あの人が憎くて仕方が無いのに、心の底から拒めないでいる。



窓の外を見ると、また降り始めたのか、白い綿毛がゆっくりと窓枠の淵を横切った。


また明日の朝も全てが一面真白に染まるのだろう。







fin...



■あとがき

連載の白恋設定で兄誕祝いを書いてみよう!
と思いついたまでは良いのですが、ちっとも祝わない兄誕になってしまいました(汗)
オメデタイ兄誕に何てものを!!と怒らないで下さいすみません。祝う気持ちはいっぱいあるんですがこの設定だとなかなか2人とも譲歩してくれなくて(土下座)

ともかく遅くなりましたが兄様オメデトウ!の気持ちを込めて。
読んでくださってありがとうございました。



【 戻る 】

Fペシア