ほしいもの




お誕生日に、何が欲しいですか?

その問いに、そのお人は答えを差し出すまでにしばらくの間を置きました。
欲しいものを考えなくとも、あらかたの物など既に手に入れていた彼は、考えているフリをして正直な所何も思いつかないかったのです。
何でも良かったのです。


おずおずと差し出された贈り物を、彼は普段と同じ表情で受け取りました。もう何百回と数えたその日、けれども今回は少し違います。
そこで彼は一つだけ心の内に希望しました。


形は何でもよいのです。
けれど、願うならば。


想い人から、何かを。








[ほしいもの]






鮮やかな紅をなびかせて、大股で廊下を歩いていた恋次は、久しぶりに晴天を魅せる空を見上げて歩を止めました。
目の前は六番隊の執務室。
かける声もおざなりに戸を開き入室すると、予想通り誰もいない執務室を挙動不審ぎみにぐるりとひとまわり。

今は不在の其のお人の机の前へと立つと、大事に抱えていた包みをそっと机の上に置き、これまた丁寧にその包み紙を開いてゆきます。
何重にも守られた其の中から取り出したのは小さな湯のみ。
もちろん自分の為のものではありません。もちろん決して壊してしまった弁償でもなく、既に机の上に置いてあった湯のみを先ほどの包み紙にくるむと懐の中へ。



睦月の末日。
今はこの部屋に不在の上司へのせめてもの贈り物。


副隊長となった今でも仕事以外や、ましてやプライベートな事など面と向かって何かをする勇気も無く訊ねる事もできず。ぐしゃぐしゃの包みに入っているものが使い古した物だと言えどもたかが色の白い湯のみ。

模様のある物は好まないだろうと探した湯のみもやはり目の前にあったものと同じく真っ白で。
形状も同じ其の些細な変化に誰が気づくでしょう。


(けどこっちの方が少しばかり白ぇと思う…多分。)


完璧な自己満足。
けれども初めはこんな予定ではなかったのです。

その日の朝、多くの部下を持ち貴族という位の其のお人が多くの人に祝われるのを後ろで見せつけらた後では、タイミングも何も無く。
ほとぼりが冷め落ち着いた頃に渡そうと用意していた其れは次第に見窄らしいものに思えてきて。



(こんな事ならば昨日の仕事終わりにでも渡すべきだったよな…。)


昨日までの、期待に胸躍らせていた気持ちまでも馬鹿な事のように思えて、あろう事かこんなものを渡されても迷惑だったかもしれない等という言い訳まで浮かんでくる始末。透けるような純白の其れを眺めて恋次はまた溜め息を吐いたのです。




結局、それがその日使われる事は無く。
無言の贈り物に其の人が気がついたのは、茶を注がれた其れを初めて手にする数日後の事でした。





気付いてほしくて、気付いてほしくありませんでした。


お盆に乗せた茶菓子と湯のみを抱えて歩く恋次の心境はとても複雑です。

もう如月も半ば。
1月なぞとうに過ぎた日よりです。
出来るならばその変化にだけは気付いてほしい。けれども、その意味にまでは気付いてほしくないのです。
古い湯のみは自室の机の上。
これではまるでストーカーか何かのようだと内心毒づきながら、恋次は恐る恐る其のお人の前へ。


コトリ。
光沢の良い黒塗りの机に湯のみが置かれます。
木製の受け皿に乗せられたその器は、立ち上る湯気よりも真っ白な、あの湯のみ。
視線を書類に向けたまま動かない其のお人を一度伺って、恋次はそのまま退席しようと背を向け戸口へと歩き出します。
半ば逃げるように。
戸を閉めようと、引き戸に手を掛けた瞬間の事でした。



「恋次」

静かな声が、その足を止めたのです。







「これは、何だ」

その一言と、視線の先には色白の湯のみ。
ギクリと視線を泳がせた恋次に気が付かない筈も無く。
白哉は差し出された其れを手に取ります。
白い指を映す純白の其れはその指に一層映えて。恋次は思います。

あぁ、やはり此のお人は名の如く白が似合うのだ。

けれどもう遅いのです。 それは何でもない只の食器。



体は半分部屋の外。
今更。本当に今更。
言えません。

遅いのです。


恋次は静かに答えました。




「俺が、壊しちまったんです」






胸の奥が小さく痛むのも。
それこそ今更なのです。




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それから、後。

珍しく非番の重なったルキアに誘われて恋次は新しく開店したという甘味屋に立ち寄っておりました。

「たわけ!この馬鹿者が!」

甘い香りの立ち込める楽園に響いた声は甘い囁きではありません。
店中に響き大注目を受けた2人のうちの片方は目の前の餡蜜が揺れんばかりの怒声を発し、もう片方はしゅんとうなだれて食べかけの鯛焼きを口から放したところ。


「それで…、結局どうなったのだ」


先ほどよりは幾分抑えた声でルキアはもう一度尋ねますが、恋次は黙って首を振るだけです。
暫くの沈黙を挟んで、長い溜め息。
ルキアは溶けかけた餡蜜を木匙で掬うと次々と口へと放り込みます。
次いで恋次も冷めてしまった食べかけの鯛焼きを一口。



もうこれ以上は言えません。


ルキアは知っていたのです。
恋次がどんな気持ちで其れをを探していたか。
目の前で情けない顔をして鯛焼きを齧る恋次がどんなに後悔をしているのか。
それを見ながら食べる餡蜜がこの上なく不味く感じる事も。






「もう、いいんだよ。別に1回きりじゃねぇし。来年はちゃんとするって」

だからもうその話は終わりな。
そう乾いた笑みを浮かべた恋次自身にも、どうする術も思いつかなかったのです。




ついてしまった嘘と終わってしまった記念日。
それはもう過去の事となり、戻る事も叶いません。

机の上にぽつりと置かれた古い湯のみだけが、そこには残っておりました。



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夜、知り慣れた気配を感じて、恋次は自室へと向かっていたその足を止めました。


「恋次」

次いで響く低い声。
目の前に現れたそのお人に、恋次は小さく会釈をしました。床へと落としていた視界に風に靡く白い羽織が入ります。

顔を上げ、思いのほか近くで合わせた視線の先には凛とした黒瞳。
思わず視線を外してしまった恋次を白哉は静かに見据えています。




「何スか」


外した視線のまま問うと、言葉の変わりに差し出されたのは白い指先。
無遠慮に、けれどもそっと触れてくる冷たくい指が頬をなぞって唇へ。
ぞわりと背筋に走る甘い疼きに視線が泳ぎ、恋次は焦りました。何故ならこのまま流されるとその指は頭の後ろへと回り引き寄せられるのが常。
無表情なまま指を這わしていた白哉は口を開きました。

「…部屋に行ったのだが」

つい今し方白哉は恋次を訪ねて部屋の前まで来ておりました。 当然部屋の中に気配など無く、引き返してきた所。


「そっすか、何か…」

俺に用事でもあったんですか?そう問おうとした時、それを遮って白哉は続けます。


「返してもらおうと思うてな」



不意に離れた指が、少し持ち上げた反対側の着物の袖へと移動します。 袖の下から取り出したのは小さな器。



白い色の、湯のみ。


それは紛れもなく、使われず机の上へ置き去りにされていたあの湯のみでした。


何を言えば良いのか分からぬまま、恋次は立ち話も何だと白哉に連れられ、先ほど白哉が勝手に入り込んだ自室の畳の上に立っておりました。

謝れば良いのか。
それよりも、何故分かったのか。
どこから知っていたのか。

相変わらず散らかった部屋だと小言を言う白哉の言葉も耳に入らないほど、恋次は困惑のただ中です。

「恋次」

押し黙っている恋次を振り返り、白哉は先ほど拝借していた湯のみを元置いてあった机の上へと静かに戻しました。
コトリと其れを置く音だけが、部屋の中に響きます。

「…ぁ、の……すんません…」
「何故、謝る」
未だに恋次は白哉と視線を合わせられず俯いたまま。 その間にも、近づいてきた白哉の指が恋次の腕を捕らえます。

「私が何故怒っておるのか、お前には分かるか」


掴んだ腕も、問う声も。刺すような視線も、白哉の感情を隠す事なく相手へと伝わってくるようで、恋次は半歩ほど後退しましたが、それ以上は白哉が許しません。強い力で引き寄せられ、衣服が触れ合うほど間合いを詰められてしまいます。

「俺が、勝手に隊長の湯のみを取り替えたから…」
「違う」

「嘘を、ついた…から」
「それもあるが、違う」


じゃぁ、何なのだろうか。
分からず再び押し黙った恋次に、白哉は小さな溜息を一つ。


「期待していたのだ」

そう答えた声は先ほどとは違いひどく穏やかで。
掴んでいた指が再び頬へと戻ります。そっと触れられた感触も優しいもので。
白哉は続けました。


「何でも良いのだ。何かを、私に」


祝いの言葉と共に、贈り物を。
想い人から、心のこもった何かを。


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恋次が何かを用意していると知ってから、白哉は期待しておりました。
そして、其の日を指折り数えていたのです。



「ルキアから、茶葉を貰ったのだ。お前と買いにいったのだと楽しげに話すのを聞いていた故、どんなものなのかは察しがついておった。だからあの時何も言わず退席しようとした貴様に聞いたのだ。」

これは、何だ、と。



けれどもその期待を裏切って返ってきたのは心にもない言葉。
どんなに高価なものも、どんなに美しいものも、それに心がこもっていなければ只の器に過ぎないのです。
気持ちがこもっていなければ、意味がないのです。


「この私に強請らせる気か」
「…すんません」

ようやく理解した恋次はもう一度謝罪します。
合わせられなかった視線を上げて、真っ直ぐに其の人へ。


「あれ、隊長みてぇだなって思って、買ったんです」
「…そうか」

「隊長が普段使ってるような物には及ばねぇですけど、すげぇ悩んで…買ったんです」
「ああ」

「これからも、あれを…使ってもらえませんか」


照れ恥ずかしそうに、恋次は笑いました。
頬を撫でていた指が首の後ろへと回ります。


そっと引き寄せられ、恋次は目を閉じました。
それからも、これからも、机の上の湯のみは持ち主に返される事なく、其の部屋に置かれる事になったのです。














「そいや、何で今更怒りに来たんすか」
「この調子では、また貰えぬと思うてな」

何を?
そんな顔をする恋次に白哉は機嫌悪そうに眉をしかめます。


「…現世には、想い人に菓子を贈る習慣があるとルキアから聞いたのだ」







その後、執務室の机に運ばれたのは、とびきりの茶葉を使って入れられたお茶と真っ白な器。

茶菓子には、黒いチョコレート。


如月 十四日。
三人で囲んだ茶会は、ゆっくりと流れていったのでした。






fin...





【後書き】

白哉さんの誕生日小説、ほんっっとうに遅くなってしまって申し訳ございませんでした!
アンケートまで設けてコメントして下さった方々様、本当にありがとうございます。


さて、始めのうちは誕生日当日の話にしようと思っていたのですが、執筆が遅れてくるにつれて「じゃぁ後日談で!ついでにバレンタイン近いし」と相成りこうなりました。
なんとなく、恋次よりも白哉さんの方が記念日とかにはこだわりそうなイメージです(笑)

読んでくださってありがとうございました!!





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