日常的 非 日常





アンタが、俺を 好きだと  言った。









十二番隊、技術開発局のとある一室。

口に咥えていた煙草の灰が卓上にボトリと落ちるのも気にならず、巨大な機械のモニターを凝視していた阿近は、ジジジと耳障りな音を立て印刷機から流れ出てくるロール紙を手に取ると、面倒臭げに灰の落ちた机を払い、記号ばかりが羅列された紙を広げて苦い顔をした。

葉を詰めた部分が口に咥える為のフィルターよりも短くなっていたのに気づくと、僅かに煙を上げるソレを大きくひと吸い。酸素を取り込んだ赤い炎が命短しと燃え上がる。
味わうようにゆっくりと口から煙を吐き出すと、山のように吸殻が刺さる灰皿へと小さな炎を押し潰した。
容量を超えた灰が数時間前に吸い終わった吸殻と共に溢れてバラバラと机に落ちるのもやはり気にせず、また一本。と白衣の懐から安物のライターを取り出し、傍に置いていた愛用の煙草ケースに手を伸ばす。
持ち上げた箱は思いの他軽く、振れども音は無い。嫌な予感のまま開けた中にはやはり何も無く、逆さまにしても僅かに底に溜まった粕が寂しく落ちるだけ。
トントンと必要の無くなったライターをリズムよく机に当てながら溜息を一つ、立ち上がる。

確か以前買ったストックをこの辺りに置いていた筈。

部屋の隅に置かれ誰も使用していない机の上、山のように積み上げられた資料や本を掻き分けると書類とファイルの隙間、少し潰れてはいるが、見慣れた箱を発見。

 ガシャン

床に落ちた何かがガラス音を立てた。
こりゃぁ壊れたな。
とりあえず1本、と見つけた煙草の外装を破り、中から無造作に取り出した煙草を口に咥えながら、慌てる事も無くこれまた無頓着に足元を見た阿近は首を傾げた。

「・・・何だ、コレ」
床に落ちた衝撃で割れ、緑がかった透明な液体が漏れているソレはむき出しの小さな試験管だった。壊れないよう布で巻いて保護する事もなく、口には安いコルク栓がはめ込んであるだけの、どこにでもあるもの。

「・・・。」

濡れていない部分を取り、持ち上げると液漏れ防止の役目を果たす栓を抜き取る。
ひび割れた隙間から滴り落ちる液体を服に付着させないよう遠くに持つと窓を開け、試験管を持った腕を外へと突き出した。
外に広がるは綺麗な星空と満月。
上階にあるこの部屋の下は確か何も無い地面。

そう、壊れた試験管を傾けると、緑色の透明な液体は月明かりを受けてキラキラと輝きながら夜風に吹かれて無数の水泡に拡散し、落ちてゆく。


忘れ去られ置き去りにされる扱いならば、せめて僅かでも地面の肥料にでもなった方が本望ってもんだろう。

再び窓を閉める。空になった試験管は適当に脇へと置くと、ライターを点火する音が静かな部屋に響く。



口に咥えた新しい煙草が再び煙を上げた。




------------------------------





  《 日常的 非 日常》



朝、その日は快晴だった。

まだ騒がしく賑わう時間帯では無い比較的穏やかな早朝。
此処、六番隊隊首室でも、部屋を明るく照らし始めるにつれ、目覚めようとする気配が二つ。

一つは、この部屋の主人である六番隊隊長、朽木白哉。

もう一つは、同じ布団の中で白哉とは正反対に大きく手足を伸ばし寝相悪く布団からはみ出している赤毛の男。体を隠す為にある寝衣も腰で結んだ帯だけを残し肩から落ち腕の辺りで辛うじて引っ掛かっている程度で、掛布を剥ぎ取られれば、恐らく目もあてられない。

当の本人はそんな事など意識もせず、未だに夢の中。
阿散井恋次は夢と覚醒の間をまどろみながら、優しく髪を撫でる感触を感じ、心地よさに身じろいだ。

頭の上から肩へ、上から下へ。なだらかな曲線に沿って繰り返される動き。

・・・誰かが自分の髪に触れている。

その誰か、など、考える必要も無く、恋次はそのまま不用意に体を動かしてしまわぬよう肩に力を入れ身構え、触れる指を意識した。
そろり、そろりと。まるで壊れ物でも扱っているかのような感触を、できればもう少し味わっていたい。

しばらく撫でるだけだった指が、徐々に髪を絡め取る動きに変わる。毛の流れにそって梳き、そのまま顔にかかった毛を耳にかけられる。耳朶から首筋にまわった手が顎へと伸び、少し上がり唇に触れて。くすぐったい。

・・・・あぁ、もう限界だ。

僅かに掠めるようなこそばゆい愛撫に狸寝入りもあっけなく限界を迎える。恋次は小さく笑いながら名残惜しげにゆっくりと目を開けた。
多少おぼろげではあるものの、撫でる手の先、横になった自分の視界に映るのは、昨晩夜更けまで愛し合ったお人。
綺麗な指がまだ唇に触れたまま。かち合う、視線。

「おはようございます。・・・朽木、隊長」

あぁ、なんて最高の目覚まし。隊長は相変わらず無表情だけど気になんねぇ。
普段はこんな優しい起こし方なんてしてくれねぇのに、どんな風の吹き回しだろう。
やべぇ、これってやっぱ接吻しろって事か?
朝ちゅー?うわ。

そんな幸せで溶けそうになっている鈍い頭で考えて、今なら何だってできそうな気がして腕を伸ばした。目標はすぐ目の前、何秒もかからない。

「・・・貴様は、 誰だ 」

冷たく響いた声と、接吻を拒むように二人の唇の間に割って入った指が、恋次の行動を全停止させた。



------------------------------




その朝、京楽は日課のように自分の副官に仕事を丸投げして、同じ隊長である旧友の見舞いに訪れていた。

彼が気に入っている若い銀髪の少年を餌付けする為の菓子を手土産に、ついでに酒やら肴やらを持ち込んで。
病気で寝込む友が相変わらずだなと呆れるのも慣れたもの。人通りの無い静かなこの場所でのんびりと過ぎる時間を感じながらゆっくり語らおうと思っていたのに。

「うーん・・・」

伸びるまま放置していた無精髭を撫でながら、目の前で涼しい顔をしている六番隊隊長と、対照的に狼狽しきった情けない顔をしている彼の副官を見比べて、京楽は再び首をかしげた。
寝込んでなければいけない浮竹も布団から半分体を起こして同じく二人の様子を困惑した顔で伺っている。
やはり何も分からないと首を傾げる浮竹と顔を見合わせ、もう一度視線を白哉へと戻し反応の無い彼に愛想笑い。
やはり無視られた。
気を取り直すように咳払いを一つ、疲れ顔の赤毛の副官へと視線を流し、もう一度。

「えっと、もう一回・・・説明してくれるかな?」
「だからっ・・・朝起きたら朽木隊長が変で。俺の事誰だって言うんです!それで」
「へぇ・・・君達そんな仲なんだ。おじさん知らなかったなぁ」
「だから注目するのはソコじゃねぇっす!」

先ほどから質問の内容も回答も何ら進展していない。
慌てふためく恋次と、それを無表情に眺めながら呑気に茶をすすっている白哉との光景が何とも滑稽で。京楽は先ほどから湧き上がる含み笑いのせいで、これ以上己の口の端が吊り上らないよう堪える事ばかりに意識を持っていかれていた。

「京楽」
「あぁ・・・いや、すまない」

笑いを堪えきれず肩を震えさせ今にも噴出しそうになっている様子を見かねて、浮竹がため息混じりに釘をさす。それに軽く謝罪し、京楽はバツが悪そうに頭を掻いた。

「で、なんだったかな?」
「っ・・・だからっ!」

早い話が記憶喪失。
原因は不明。
脳も頭も体も至って健康。
朝起きたら突然に。

白哉は、自分の副官の顔も名も自分が隊長である事も、貴族である事も、家族の名どころか己の名前すら。何ひとつ覚えてはいなかった。



------------------------------





「んじゃぁ・・・白哉ちゃん。僕との甘ったる〜い関係もすっかり忘れちゃったの?オジサン悲しいなぁ」
「・・・すまぬ、何も」
「!、こりゃぁ重症だよ浮竹っ。反応がまるで違う」
「隊長、今のは嘘です。忘れて下さい」
「・・・そうなのか?」

三人の真剣なのか遊んでいるのか分からないやり取りを横で眺め、唯一冷静でいる常識人。浮竹は困り果て頭を掻くばかりだった。

「卯ノ花隊長にも診てもらったんスけど、とりあえず様子を見ましょうって・・・。どこも異常無いみてぇだし。突然の記憶障害なら何かのキッカケで戻るかもしれないからって。浮竹隊長は俺なんかよりもずっと隊長の事知ってるし、どうしたらいいのか、分からなくて」

そう肩を落とした恋次に何か励ましの言葉でもかけてやれれば良いのだが、いかんせん記憶喪失など知識の専門外。卯ノ花隊長からも原因不明だと言われてしまっては、僅かな希望さえも見つからない。

「とりあえずこの状態が続くと仮定して、これからどうするつもりだい?」
「あまり大っぴらにして騒ぎにしたくねぇし、普段の生活には支障無い程度の記憶は残ってるみたいなんで、俺が一緒に付き添って一応職務に就こうと思ってます」

「そうか、・・・すまない。力になれなくて」

申し訳なく謝罪した浮竹は、結局何の糸口も得られずにとぼとぼと部屋を出る恋次と、その後ろを黙ってついて歩く白哉の背中を心配げに見送った。







長く続く廊下、すれ違う隊員達が、副官の後ろをついて歩く上官という不思議な光景を何事かと遠巻きに眺める視線にも気にならず、恋次は道中ひたすら打開策を考えていた。
どうすれば良いのだろう。
様子を見る、と簡単には言ってもどう見れば良いのかも分からない。

確か日課の夜の散歩から帰って、一緒に眠る前までは普通だった。
例えば寝ている間、寝返りを打った時に運悪く強烈に頭に腕がブチ当たったのが引き金とか、何かショックを与えられて記憶が飛んだのかとも考えたが、強く当たれば自分の腕もそれなりに痣なり残っている筈。それは無い。

体調だって普通。「原因」という手がかりさえも何も無い事がますます恋次の頭を混乱させた。



------------------------------



「・・・んじ。恋次」
「うぉぁあすいません隊長!何でしょう」
「ゆっくり歩け、置いてゆく気か」

悶々と考え更けた恋次は無意識の内に足を速めていたようだ。
袖を掴まれてようやく白哉の呼び声が耳に入ったのか、慌てて振り向き即効で謝罪する。

だが、白哉は恋次の開口一番、気に入らないと眉を潜めた。微妙な変化は、ほんの僅かだが長年付き添っている恋次だからこそ分かるもので、その真意が理解できず、恋次は首を傾げる。

「その、隊長というのは・・・やめぬか」
「は・・・?」

思わず疑問の声を口に出してしまった恋次に白哉は続けた。

「先ほどの私と親しいという者達は名で呼んでおった。貴様も、私とは親しいのであろう?」

次いで出てきたその言葉に、胃の上辺りをぎゅっと握られたような感覚を恋次は自覚して、ひどく狼狽した表情を隠す事ができなかった。
白哉の言葉は自分に問うているのだ。自分とお前は親しいのか、と。白哉が、恋次に。

覚えていないというのならば無理も無いが、だが昨晩の眠る前の記憶が恋次の中にフラッシュバックするようで酷く虚しい気持ちになるのも事実だ。あれほど共に傍に付き添い従っているというのに、ある日起きたらお互いを覚えているのは自分だけ。

一つだけ確かに言える事は、目の前の白哉は恋次の記憶にある白哉ではないという事。
ルキアの事も分からない。貴族の誇りも無い。
今のこの人は、・・・俺を、好きだと言ってくれた人じゃない、という事。

「俺は、・・・俺は只の部下です。名で呼ばせて戴くなんて、とんでもねぇ」
「・・・その只の部下が、上司の床の世話までするのか」

一歩詰め寄られ伸ばされた手を反射的に避けようとしたが叶わなかった。そのまま触れた指が、朝のようにゆっくりと、頬を撫ぜる。

更に歩幅を詰められ、恋次は白哉から目を反らす事ができなかった。
自分の心中を知り尽くしているかのような、その余裕ありげに高みから見下ろされる笑み。記憶は無くなっても、その人間性は無くなっていないらしい。

「只の部下が、上司に接吻を強請るのか?」

低めの声で嘆息され、恋次は唇を噛む。白哉の声には冗談や嘲りは感じられない。この人は至って真面目に、自分との関係を尋ねているのだ。
本当の事を言っても良いのだろうか。唯でさえ上官と部下の関係。唯でさえ、男同士。
「あっ・・・アンタ、嫌がったじゃねぇか」
「否だとは言うておらぬ。いきなりの事で多少驚いただけだ。」



------------------------------




口を詰まらせ視線をやっとの事で逸らした恋次に、白哉は笑った。それは馬鹿にしているのではなく、親が子供に笑いかけるような。そんな柔らかい笑みで、そのまま触れていた手で顎を捕まれると、ぐいと手前に引き寄せられた。

「・・・っ」

今度こそ息が触れるまで顔を寄せられ、恋次は衝動的に目を瞑った。・・・だが、予想したような接吻の柔らかい感触は、いつまで経っても唇には降りてこない。
恐る恐る閉じていた瞼を上げると、間近にあるのは自分を真っ直ぐに見る白哉の長い睫毛に隠された漆黒の、明るい日を受けてうっすらと紫がかった深く美しい瞳。
表情は先ほどの笑みと変わらぬまま、目だけ細められ、引き寄せられた理由が単にからかわれたのだと理解した恋次は、自分の顔が急激にかぁっと熱を帯びてゆくのを意識した。

単純に恥ずかしいというレベルのものではない。
それと同時に、この場所が何処であるのかを思い出し、咄嗟に白哉から飛びのく。

「全く、貴様は見ていて飽きぬ」
「っ・・・アンタ・・・本当は記憶戻ってんじゃねぇのか?」

くつくつと喉を鳴らして楽しげに笑う白哉に恋次は逆上しそうになるのを堪えて、これも気まぐれな上司の戯れなのだと言い聞かせる。咥えてつとめて冷静に反応するよう意識するものの、口調までは頭が回らない。
もし記憶が戻っているのならば、仕事熱心な朽木隊長がこんな場所で部下と下らない戯れなどする筈など無いと思い直し、呼吸を整えるべく深い深呼吸を一つ。

「して、どうなのだ?」
「・・・」

まだこの話を引っ張る気なのかこの人は。
「・・・ゃ、さん」

何故、こんなにも恥ずかしい気持ちになるのだろう。
ただ、目の前の男の名を呼ぶだけだ。今までも勢いにまかせ、何度か呼んだ事はあった筈なのに。

「聞こえぬ」
「白哉さんっ」

ぎゅっと目を瞑り、勢い良く復唱すると思ったより大きな声を出してしまった事に、また羞恥心が沸き上がった。

あぁ、もう。
手は何でかじっとり汗ばんでいるし、うっすら目を明けると、この人でもこんな顔できるんだなってくらい綺麗な顔で笑ってて、頭なんか撫でてくるから、余計に。
とりあえず満足したのか、道も覚えてねぇくせに先を歩きだすから、慌てて追いかけなきゃなんねぇし。

・・・畜生、つかめねぇよ。


------------------------------




午後の静まり返った執務室に、筆を滑らせる音と、茶を啜る音だけが響いている。
体調がすぐれず休みという事にしても良かったのだが、ふらりと何処かに行って迷子になられても困ると思った恋次が、白哉の机の上に一応書類など並べて仕事をしているよう見せ掛けるという苦肉の策を取っていた。
もちろん部下から回ってくる報告書は全部恋次が処理しなければならず、白哉は何をする事もなくのんびりと恋次を見ている。

「すんません隊・・・白哉さん」
「何だ、恋次」

さっきからこの調子だ。隊長と呼べば無視られるから仕方なく名前で呼んで、そうしたら普段動かない頬の肉動かして、そりゃぁもうすげぇ綺麗に笑うんだ。
これは偽者、ニセモノ。俺の知ってる隊長じゃねぇって思うのに、姿かたちは何一つ変わってないから余計に困る。
普段なら仕事に就くなりどんでもねぇ速さで書類処理して、俺が少しでも手を止めてようものなら文句の一つでも言うくせに。

「何か、思い出しましたか?」
「否」
「こっちガン見すんの、やめて下さい」
「何故だ」
「・・・っ」

駄目だ、ちっとも集中できない。
フイと、頭振って書類に視線を戻してみても、明らかに自分に向けて刺さる視線が痛くて、恋次は普段の倍仕事をこなさねばならないというのに、その半分も終わっていない事実に舌打ちした。これならば病人として四番隊に預けてきた方が良かったのかもしれないと今更ながらに思ってみるが、だがそれは出来なかっただろう。

記憶が一切無い状態で他の者に預け、彼の中から自分が枯渇してゆくのは嫌だった。
自分以上に誰かに心を許す光景など見たくは無い。
もし、自分ではない誰かに好意を持ってしまったなら。
・・・そんな事など、考えられない。

醜い嫉妬と焦りに駆られ、自分はどうしようもなくこの男に依存しているのだと、こんな状況になって恋次は改めて自覚し、恋次は本日何度目かも分からない深いため息を吐いた。

「・・・何故、笑わぬ」
「え?」

その声に顔を上げると、さっきまで笑っていた白哉の顔が普段の能面に戻り、恋次を見下ろしていた。
向かいの机に座っていた筈の白哉が何時立ち上がったのかも分からず、恋次の前に佇んでいる。

そっと、手を伸ばされて、頬に触れられる。この行為も今日一日で何度目になるだろう。触れてくる指はほんのりと冷たく、心地よい。

「先ほどからずっと不機嫌に目を合わさぬではないか。笑ったのは、朝の一度きりだ」


「すんません」

朝の、というのは記憶喪失だと分かる前の事だ。

謝罪してみたものの、恋次はその言葉の意味が分からなかった。あれは寝ぼけていたからこそできたもので。
それからは突然記憶が無くなった白哉を卯ノ花隊長に診てもらったり、十三番隊へと連れていったりで気の休まる事が無く、咥えて白哉が正常な状態では無い今、正直心労している。
相変わらず疑問の表情を浮かべる恋次に、白哉は何も言わず唯、触れていた指を名残惜しげにゆっくりと離しただけだった。


------------------------------




「・・・ぁ」

離れてゆく指を、恋次はとっさに自分の手で掴んでいた。
理由などなく、ただ衝動的に掴んでしまった白哉の手は相変わらず冷たいまま、掴んだ自分の手だけが汗ばんでいる。

それを不快に思ったのだろうか、白哉は眉間に少し皺を寄せ、困惑気味な表情でその手を解こうと軽く力を入れようとする。だが、その手をまた強く握って制した。

白哉の視線が、掴まれた手から、掴んでいる恋次へと移る。
酷く、心臓が早鐘を打つ。


「・・・」

何か言わなければ。
何か行動を示さなければ、そう思うのに、必死に動いている筈の空っぽの頭からはどんなに時間をかけても結局何の言い訳も浮かんではこない。何か、早く。


とりあえず、掴んだその手を離そうという気にはならず、出来る事ならばずっと繋いでいたかった。

「恋次」

手を放そうとしないまま、目を逸らし押し黙ってしまった恋次を白哉は静かな声で呼ぶ。放す事は諦めたのか、ゆっくりとした声で、つとめて急かす事無く。
空いた手を肩の上まで持ち上げて、もう一度恋次の頬へと触れる仕草も、やはり酷く優しいと思った。

「・・・アンタが、好きです」




ようやく出てきた言葉は酷く場違いに思えた。
少なくとも記憶喪失の者に言ってはいけない言葉だと思った。
それは人を縛る言葉で、相手が思い出そうとする記憶を塗り潰しかねないものだ。
だが、思いの他すんなりと声に出てきて。そうか、って一言だけ言ったこの人が嬉しそうに笑ったから。

まぁいいかって、笑えた。


貴族って肩書きや、ルキアの事が無ければ俺はきっとこの人を追いかけたりしなかった筈だけど、それは俺の中の問題で。
記憶が無くなっても、やっぱりこの人はこの人で。

触れてくる肌や、言動一つ一つに緊張しっぱなしの俺は、どうしようもなくこの人が好きなんだろう。



------------------------------




それから、何となくそんな雰囲気になって、仕事も放り出して夕餉も早々に隊首室に傾れ込んで。風呂上りの白い寝着で布団の上に正座し合ってる俺と隊長。

「・・・よ、よろしくお願いします」

大真面目に言ったら笑われた。そりゃぁ俺にとっては今更だろうって言いたいんだろうけど。恥ずかしさや緊張感は普段の倍以上だ。初めての時だってもう覚えてねぇけど今以上に緊張なんてしなかった筈。

「白哉、さん」

綺麗な指が、また頬に触れて。
今度は間違いなく、接吻した。






ゆるゆると動く愛撫は酷く物足りないものだと思った。
自分の全てを知り尽くしている普段ならば、お互いが昇り詰められる最短の距離を取るように解されて。
息も満足にできずにただ強請るだけの自分を煽るように更に焦らされるのに。

「っ、・・・は・ぁ・・」

探るように、確かめるように、じりじりと低温の小さな火で身を炙るように動いていると思えば、時折チリっと焼けたように湧き上がる熱に、途切れ途切れ息を吐いた。

「・・・ん、っ」

握りこまれた己の性器が、頬を撫でてくれたのと同じその綺麗な指を濡らしているのだと思えば背徳感でじわりと目尻に溜まる涙。
隠すように両手で顔を覆えば、見えないと言われ直ぐに剥ぎ取られ、そのまま肩に手を回せば口付けられる。唇を押し付け合って、足りないと強請るように舌を絡めて呼吸ができない。

あぁ、足りねぇ。アンタに慣らされた体はもうこんなもんじゃ満足できねぇんだ。


意を決して体を起こすと、反対に床に横になった白哉に跨った。

「ぁ・・・」

つい勢いで乗ってしまった事にかぁっと耳が熱くなるのを意識しないように、恋次は指を口に含み唾液で十分に湿らせると、ゆっくりと後ろの孔へと埋めてゆく。直接の刺激に、ビクンと体が跳ね、異物を受け入れまいと収縮する入り口を解すように、熱い息を吐いた。

「珍しいな」
己の上に跨り、自慰のように静かに乱れる恋次の様子を黙って見ていた白哉が、上体だけを起こし、片手だけで体を支えていたその体を引き寄せ再び口付ける。

「んん・・・っふ、ぁ・・・今の、アンタじゃ・・・っは・・・・足りねぇ、って」

「ほう、大層な口を利いてくれる」
「ちょ・・・あぁ」


------------------------------





強引に恋次の指に添えるよう押し込まれたのは白哉の指。それが、未だ入り口付近を弄っていた指を奥へと押しやる。

急激な刺激に、背を弓なりに逸らした恋次はバランスを失いそのまま白哉の体へと縋りついた。それも構わず、白哉は中を探るのを止めようとはしない。

「ぁ・・・ああ、ひっ」
「何だ、足りないのではないのか」
肩に頭を押し付け荒い呼吸と僅かな声を吐き出すだけになった恋次を余った手で撫でてやっても、首を横に振るだけで体を戦慄かせ何も反論しない様子に白哉は笑った。
頃合いを見計らうと、ズルリと指を引き抜く。

「今の私では、役不足なのだろう?」
「はっ・・白哉さ・・・っ」

そこまで大口を叩くのならば、自分で入れて動け、と。
その命に、恋次はあまり力の入らなくなった足に力を込め、膝立ちに体を起こした。

白哉の助けを借り、熱く立ち上がる肉を解れた其処へと宛がい、腰を下ろしてゆく。

「ぅ・・あ、あ」

体を貫かれる痛みと圧迫感に顔が歪む。だがそれも幾度か動けばそれは容易く快楽へと摩り替わった。




目の前を、長い紅が上下に揺れる。
その紅の下に見え隠れする首筋の刺青のコントラストが酷く己を煽るのだと白哉は思った。

目覚めた時も、やはりそれが気になって手を伸ばした。
何やら起きようか起きまいか迷うように閉じた瞼をぴくぴくと動かしているその様子が可笑しくて、しばらく触れていたのに。
触れれば、触れる度、もっと触れていたいと思った。

ついに我慢できなくなったのか、薄っすらと目をあけた瞳も綺麗な紅で、枯れた声で笑ったその彼に心までも見入られたのは私の方だ。

ずるずると擦られる度に、唇を貪る度に、どちらとも分からぬ卑猥な絶えず水音が上がっていた。必死に腰を振る恋次の髪から汗が散る。それが白哉の肌の上を伝い、敷布へと落ちてゆく。

強い刺激に先に達しないようにと自身の根元を押さえ込んでいた恋次が上ずった声を上げながら、伺うような視線を向けたのを察して、白哉はそっと唾液で濡れた頬を撫で上げた。
恐らくもう限界なのだろう。噛み付くように再び接吻を強請るのに応えながら、そっと戒めの指を外させてやると、待ちわびたように弾ける白濁。


脱力した恋次を横たえさせ、反対に乗り上げ再び突き上げを始めるとまた頭を擡げる其れを感じて、恋次は恥ずかしげに言った。

「好き、です」

はにかんだその笑顔に、白哉は笑った。



------------------------------




「うわ」

扉を開けた修兵は開口一番にため息混じりに呟いた。
此処は十二番隊の技術開発局の一室。この部屋に用などは無かったが、夜が更けこんでも尚仕事中の人に用があった為だ。

灯も点けていないこの薄暗い部屋が、心なしか白んで見えるのは気のせいではない。自分が開けた扉からもゆっくりと動く煙が空気に乗って廊下に漏れ出していくのを見て、持ってきた煙草のケースを落としそうになった。

「ん、ごくろうさん」

大量の記号やら数字やらが書いてある紙がちらばる部屋の中で機械のキーボードに向かって何かを打ち込み続ける阿近が手だけ上げて修兵を呼ぶ。
大事なデータだろうと予測したその資料を踏まないように部屋に入った修兵は、咽返るような煙のキツイ臭いに眉をしかめて窓際へと向かうと、締め切ったままの窓を開け放った。
星の綺麗な夜空に白い煙が立ち上る。

「全く、久々に連絡してきたと思ったら是ですか。それだけ吸えば無くなって当然でしょう」
「だからその前に電話しただろ」

これが残りの最後の1本、とでも言うように口に咥えていた残り短い煙草を掲げ吸殻へ押し付け消すと、新しくやってきた箱を受け取って封を破り、1本取り出し火を点ける。

本当に、この人は研究と煙草が好きな人だ。自分もまぁ嗜み程度には吸うものの、ここまで病的では無いと思う。
何を言っても無駄だというのは長い付き合いで重々承知していた修兵は、何も言わず客人を無視して仕事を再開してしまった阿近を見ていた。

ふと、何かを踏んだ感覚に、足元を見る。
それは、壊れた試験管。

「げっ、コレ中身出てんじゃないですか!」
「あ?・・・あぁ、捨てたから中身はもうねぇよ」
「・・・窓から?」


恐る恐る持ち上げると、硝子に付着しているのは乾きかけた緑色の液体。うげ、と修兵は顔をしかめた。こんな液体が空から振ってきたとしたら、通行人としては洒落にならない事態だ。

「変な病原体とか勝手に外に捨てないで下さいよ」
「別に害はねぇよ。局長が作りかけた失敗作だ」
「うっわ、余計怪しいんですけど」

特に気にする事もなく、作業を再開させた続ける阿近を横目に、修兵はその破損した試験管を屑籠の中へと投げ入れた。
砕け散る硝子音と、キーボードを打ち込む音だけが、部屋に響く。





「それに、ありゃぁどんなに頑張っても、半日で死滅しちまったヤツだからな」








翌日の朝、やはり本日も快晴。
朝ちゅーしようと腕を伸ばしたら、そんな暇など無いって蹴り出された。

いつもの、朝。







― 終 ―





【 戻る 】

Fペシア