壊れた籠の中の紅い鳥





貴様が、私を 好きだと  言った。









目の前にやってきた珍しい種を一晩だけのつもりで捕らえ、鳥籠へと閉じ込めた。
どう足掻いたとしても、私の物になどならぬと分かっていたのに。



手放せず未だ飼い殺している私はなんと滑稽な事だろう。






《 壊れた籠の中の紅い鳥》






執務室に続く長い回廊を、白哉はゆっくりと歩いていた。
雨ざらしの廊下は僅かな重みにもギシリと音を立て、板に圧し掛かる重みを受け止めている。

高く上り差し込む陽気はつい数刻前まで降り続いていた雨を蒸気に変え少々蒸し暑く、風の通りを作る為に開け放たれた窓からは、中で其々の職務をこなしている隊員が暑苦しさに扇を使ったり着物を着崩したりして凌いでいる様子が見て取れたが、白哉は常日頃から首に巻きつけた布を取る事もしなかった。

六番隊隊長、朽木白哉

普段と違っていた事といえば、常に彼の後方を少し遅れて付き従い、常に行動を共にしていた部下の姿が無い事だけだ。
だが、その理由を知っているだろう直属の上司である白哉に理由を問う者は誰もいるはずも無く。 今も廊下ですれ違う者達は、頭を下げたまま目を合わせる事もせず、職務に追われるかのように足早に通り過ぎる。
皆、その姿を見るや気の抜けていた顔を強張らせ、緊張した面持ちで白哉が早く此処から通り過ぎてくれないかと伺っている。

話しかける事すら無礼に当たる、彼は雲の上の人。

執務室の扉を開けると、隊長である自分の机と、もう一つ。
その机も今は綺麗に整理され、昼過ぎになっていてもまだ朝から一度も使われていない事を示していた。
今日だけの話ではない。正確には、ここ数日の話だ。
白哉はその黒塗りで統一された机を横目に、部下から上がってきた報告書に目を通し始め、戸棚から筆と墨を取り出すと、書類へと端麗な文字をしたためてゆく。

誰も座る事の無い机だけが日差しを受けぽつんと残り、やはり、日が沈んでもそれは変わる事は無かった。

本日の職務を終え、そのまま白哉は帰路に着こうと執務室を出ると、ふと扉の外にふわふわと飛びながら扉が開くのを待っていたかのような蝶が一匹、白哉の方へ向け漆黒の羽を揺らし近づいた。

そっと手を上げ、指先へと地獄蝶を留まらせると、他者には聞き取る事の出来ないその伝令を受け取る。その指令に、白哉は僅か眉を寄せた。
軽く指を動かし離れる蝶を横目に普段帰る廊下から違う道に入った白哉の背を見送るように、蝶はふわふわと漂いながら月明かりの空へと消えていった。



空は満月を湛え、その光に白んだ薄雲が瓦屋根の上を情緒良く彩っている。せわしなく活動している隊員もおらず、どこからか梟の声が聞こえた。








「お帰りなさいませ、白哉様」
結局、白哉が自宅である朽木の屋敷へと帰ったのは、いつもより数刻遅い夜半過ぎであった。主の帰りを待ちわびていた家臣達が一同に出迎えたが、それを気に留める事なく早々に人払いをする。

そのまま着替える事もせずに、白哉は誰もいない廊下を歩き、重々しい扉に手をかけた。開いた先には下へと続く長い階段、奥へと続く廊下。明かり窓も少ない薄暗い其処は夜中という事も重なって音一つ無く静寂しきり、独特の冷たさを持ち辺りを支配している。

しばらく歩くとようやく視線の先にぼんやりと見えてきたのは、太い木製の柱がはめ込まれている、古い座敷造りの牢部屋。所々木目に沿って罅割れているその枠に手を掛けると、白哉は中に目をやった。
中は酷く薄暗く、何かが動いているような気配も無い。
だが、其処には闇に隠れて薄っすらとした輪郭でしかないが、確かに人の形があり、そして白哉は其れに向かって普段と変わらないその抑揚の無い声で静かに囁いた。

「今戻ったぞ・・・恋次」


僅かに揺れた其れは何も答える事なく、ただ、白哉のその声が静寂な空間に一つ響いただけであった。




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数日前。

まだ彼が普段の様に白哉の後ろを付き従っていた頃の事だ。


「よろしければ、お手合わせして戴けませんか」

遠目からでもすぐに分かる鮮やかな紅の髪を頭の高い位置で一つに縛った長身の男。阿散井恋次は、書類を提出するついでに、直属の上司である白哉へ声をかけた。
その声に走らせていた筆を止め、顔を上げた白哉の目に移ったのは酷く好戦的な瞳。
下から、横から、顔色を伺うような怯えた眼差しでは無く、それは真っ直ぐに自分へと向けてられている。
「・・・少しは腕を上げたのだろうな」
「いいんスか!ありがとうございます!」
嬉しげに笑い一礼して部屋を出てゆく恋次を白哉は無表情に見送ったが、突然の申し出に不快だとは思ってはいなかった。

今のような手合わせを申し出てくる部下も彼一人。
大なり小なり貴族は他にも大勢いたが、やはり朽木家は別格なのだと恐れ、機嫌を取る者や黙って避ける者が大半な者で、恋次のように声を掛けてくる者など変わり者としか言いようが無いと白哉は思う。
だから、初めて彼に手合わせを懇願された時も、その後も、その若いが故の裏表の無い純粋さが興を引き、無礼だと咎める事もせず相手をしてやっていた。


その男が、今は朽木家の牢に囚われている。
それを知っている者は白哉の他には誰もいなかった。





そっと力を込めて、同じような太い木枠で作られた、扉を開いた。

ギィイイイ

その音にも、中にいる恋次は何の反応も示さなかった。
例え肢体が拘束されていたとしても、僅かに体を動かす自由はある筈なのだが。恋路は身を縛るものなど何も施されてはいない。
暗い部屋に光が灯ろうとも、白哉が傍へと近づいても、壁に背を預けて足を投げ出し半起きの状態のまま、ぼうっと前方を視点の定まらない眼で眺めている。
普段ならば、姿を見るや頭上に高く結った髪を大きく揺らし、傍まで駆けて来るこの男が。
人懐こい笑顔で誰でも分け隔てなく接する彼が。

「恋次」

無機質な牢に響いた声は、思いの外柔らかい音を含んで白哉の口から発せられた。
だが、その声にも恋次は返事をする処か目の前にまで迫った白哉の顔を見るために視線を上げようともしない。


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「すまぬ。予定より遅くなってしまったな」

乱れて肩にかかる髪を掴み、ぐいと顔を上げさせると、白哉は未だ何も反応の無い恋次に話しかける。
この部屋に酷く似つかわしくない優しい声で。
髪を引かれる痛みで僅かに意識が戻ったように、瞳が大きく揺れ何か言いたげに口が開いたが、それでも恋次は目の前の白哉に気がつかないとでも言うように、浅い呼吸を繰り返すだけだ。

「恋次・・・」
引き寄せ、白哉は震える唇にそっと自分の唇を重ね吸い上げた。
ぴちゃ、と唾液が擦れる音がする。
一度放し、角度を変えてもう一度。今度は舌で下唇をなぞりながら強く。呼吸をする口をその薄い唇で覆いつくす。

「う・・・っ・・・は・・・」
ようやく恋次が初めて意思を持って白哉を視界に捕らえた瞬間、直後平手打ちが左真横から恋次の頬へと強烈に入った。

乾いた音が部屋中に響き渡る。
肌と肌がほんの音を立て触れ合うような優しいものなどでは無くて、皮膚を破るような音と共に突き飛ばさんとする衝撃が襲う。
だが、恋次の体は最初から自分の髪を掴み上げる白哉の手によって固定されており、倒れる事は叶わなかった。

その手が外され、ずるずると壁沿いに床へと倒れようとする右から、外した手でもう一度頬を打つ。
支えの失った体は勢いよく床へと叩きつけられ、更に追い討ちをかけるように立ち上がった白哉が力の入っていない体を容赦なく蹴り上げた。

「がっ・・・ぁ・・っげほ、ゲホ」
「起きたか」
獣のような呻き声を上げ苦痛に顔を歪ませた恋次に、白哉は声をかけた。
その声もあまりにも静かで、もし他の者に見られたとしていたならば、それは第三者の目に異様な光景として映った事だろう。

未だに呻きながら荒い呼吸を吐き出す恋次を仰向けに転がし緩く身につけていた着物の前を開くと、先ほど蹴り上げた箇所が赤く鬱血しているのが見て取れる。1箇所だけではない。黒ずんだものは今日より前のものだろうか、鍛錬の跡のような大きな跡と、小さな跡。


斑点のように幾つも色づいているその小さな跡は、間違いなく、性跡の名残だった。


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一つだけある灯された火が、ゆらゆらと揺れる度、その影も揺れる。


牢の中、畳の上に腰を下ろし、足を開いた白哉の性器を恋次はその口で愛撫していた。
「ん・・・っ」
自らの唾液を塗りつけ、先端を銜え込み喉の奥まで受け入れ震える舌で鈴口を刺激する。そのまま、口を窄めて頭を上下に揺らし射精を促そうとするのだが、その動きは余りにも拙い。その上、時折その動きが止まり、白哉の不興を買っていた。
「ふ、う・・ぅ、ん・・―ッ」
無理も無い。
後の孔には性器を模った淫具が差し込まれており、機械仕掛けで動くようになっているのか、嫌な音を立て体内で蠢いている。既にその刺激だけで恋次は先ほどから幾度も吐精していた。

それを嘲るように笑う白哉はこれ以上できないと首を振る恋次をねめつける。
「其れ程気に入ったのは分からんでもないが、疎かにしてよいとは言うておらぬぞ」
「んんっ・・・ぅ―・・・」
髪を掴まれ強く奥まで咥えさせられると、恋次は苦しさにえづいた。口を離し咳き込む事もできず、そのまま強引に挿入を繰り返され、何も許されずに唯苦しさで目尻に溜まった涙を流すだけだ。
「出すぞ」
低い声の後、突然口の中に吐き出される独特な苦味。
飲めと云わんばかりに睨み付け顔を上向かせる白哉に、恋次は眉間に皺を寄せて喉を上下させた。
僅かに開いた口から、飲みきれなかった白い液体が一筋伝う。それも白哉の指で掬い取られ、また口の中へと戻され其れを恋次は再び嚥下した。

「・・朽、木隊・・・」
ぜいぜいと息をする度にだらしなく顎を滴り落ちる唾液に濡れた唇が僅かに言葉を紡ごうと動く。
が、それが単語として発せられる事は無く、その後はただの呻き声が僅かに出ただけだった。
「どうした」
わざと優しく声を掛けてやる白哉は、これ以上恋次が何も言えない事を知っている。知っていてもあえて無視をし、未だ床に這い蹲っている恋次を笑った。


「どうして?」 「何故?」

初めに牢へと捕らえた時に散々問われても答えなかった問いはいつしか恋次から言葉を奪い、そして諦めさせた。

「ぁ・・・あ・・・っひ、ぃ・・・」
木製の牢を掴む指が力無く床へと落ちる。
もう起き上がる事すら出来ないと崩れるように前のめりに倒れかけた恋次の体を、白哉は容赦なく髪を掴み上げ木枠へ縋り付かすように押し付けた。

膝を立たせ、白哉の方へと孔が見えるよう体制を取らされると、先ほどまで中を犯していた淫具を引き抜き、変わりに熱く昂ぶっている己を一気に根元まで捻じ込まれる。
より太く長い異物に、恋次が悲鳴を上げ、背が弓なりに美しく反るのにまた煽られた白哉は、震える腰を支えなおすと、強く抜き差しを開始した。流石に今まで淫具が入っていた其処は白哉の容量を受け入れようと無意識に収縮を繰り返す。
「あっ、あっ・・・はっ・・・ああっう・・・あっ」
もう始めの頃の声を堪える事も、抵抗を示す事も、何もかも諦めただ快楽に溺れた声だけが誰もいない廊下に響いていた。其れは甘く舌ったらずで、濡れたような艶声。


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木枠に縋り付く腕が汗で滑り時折うつ伏せに倒れてしまいそうになるのを必死に腕を回して耐える従順な仕草と、時折挿入の動きに合わせ腰を振る淫猥な仕草が、その声と共に白哉を煽っているのを本人は知る由も無い。
「あ、もう、・・・っあ・・・も、やめ・・・嫌・・・」

狂ったように長い髪を振り乱し、同じ単語を繰り返し呟く恋次の声も、白哉は聞こうとはしない。

「ひっ、ぃ・・・―ぁっ、あっ」

それどころか、音が上がるほどに強く己を打ちつける。それは明らかに達することのみを目的としていて酷く暴力的に恋次を犯す。

「恋次っ」
囁く声さえも普段の其れではない。白哉もまた、狂ったようにその体を貪る事を止めようとはしなかった。



やがて、お互いがお互いの昂みへと昇りつめると、恋次はやっと訪れた終焉に安堵し、其処で意識を手放した。





ずるずると木枠の淵を這うように、それでも意識を失っても尚名残惜しいというように、ゆっくりと腕が、体が畳の上へと落ちるのを、自身を引き抜いた白哉は乱れた息を整えながら目で追っていた。
汗で肌の上に張り付いた長い髪を指で横へと分けてやる。
そこには苦しげに眉を寄せたままの、涙で濡れた顔。

そっと愛おしげに微笑んだ白哉は、お互いの体液で汚れたその体を大事そうに抱え上げた。




― 白哉様、貴方様は朽木家の当主として常に気高く、崇高であらせられませ ―
誰かが、否、誰もが其れを口にした。




其の者が今の私を見たならば、何と言ったろう・・・。



心など、元々不安定で危ういものだ。
些細な事で其れは揺らぎ、果ては安易く崩れてしまう。
それは衝動というに相応しく、そしてそれに最たる理由など無い。
ざわざわと体中の血液が音を立て高揚する感覚は過去味わった事のないもので。
酷く高ぶる体は理性をもってしても制止ようがなく、麻薬のように心地良い。

私は、狂っているのかもしれぬ。


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恋次がルキアと同じ出身だと聞いた時から、薄々は気がついてはいた。

・・・この男は私ではなく、その横のルキアを見ている。


私向けて笑いかけるのも、挑んでくるのも、全てルキアの為。奪われた家族を取り戻す為。

そう湧き上がった感情は日に日に自制を失い、膨れ上がってくのを止める事は出来なかった。


其れほどまでに長い歳月をかけ想い願うのは、私に向けてではない。
其れほどまでに想われているのは、私ではない。
そう意識すればするほどに、その事実は重く突き刺さっていき、次第に其れは正常な思考を蝕んでゆく。


言葉を交わす度にその想いは強くなり、そして私は恋次を捕まえた。

手酷く扱って、もう私の方へ来ないように。
来なければその横を見る事もない。
突き放してしまえば、心乱れる事もない。

だが、捕らえた鳥は、籠から逃げ出す事もなく、今もまだ、その中で静かに留まっている。




湯を張った浴槽へと、恋次を横たえさせると、手酌で湯を掛けてやる。暖かい刺激に反応して、緊張を緩める様子に安堵しながら、ゆっくりと体を清めてゆく。
体に付いた痣が色濃く浮き出る様子と、足を持ち上げ孔に溜まったままの白濁を掻き出すこの時ばかりは、湧き上がる自責の念に、白哉は今さらだと自らを蔑視した。

今している事はお互いを破滅させるだけの負の要素しか生まれ出ぬ行為だ。
それを理解していても、一度捕らえた鳥を逃がす事など出来はしなかった。自分の物になったと錯覚しようが、それが自分を見ていまいが、一度手に入れてしまえば、失う事が惜しくなる。

捕まえて、閉じ込めて、いずれ死してしまうのならば、自分の手で絞め殺したいと、そう願うのは狂気の沙汰だ。


「た、ぃ・・・ちょ・・」
小さく発せられた声に、白哉は動かしていた手を止め、声の方を仰ぎ見る。
其処には、薄っすらと眼を開き、此方を見ている恋次の顔。
口が言葉を紡ぐべく、僅か動いた。

だが、其れは音として発せられる事はなかった。
次の瞬間には声を発する為の咽元を白哉が両手で押さえつけたからだ。

特徴的な刺青が彫られたその咽元に手を絡め、親指の爪をゆっくりと立ててゆく。
「・・・は・・・」
咽を圧迫される苦しさに、恋次の顔が歪む。

もはや腕を動かす力も残っていない恋次は、何も抵抗する事無く、白哉が自分を絞め殺さんとする様を虚ろな瞳で見ている事しかできなかった。

ひゅーひゅーと咽元を圧迫され出入りの悪くなった空気が異様な音を鳴らす。
もう少し指に力を込めると次第に聞こえなくなる様子を、白哉は静かに見ていた。

ビクビクと肩が痙攣してゆき、体が本能的に息をしようと口を開け舌を出す。
それを、白哉は自らの唇でそっと塞いだ。




・・・呼吸が、止まる。





「・・・ゲホっ、ぐっ・・・ゴホ」

急激に肺に入ってきた酸素に、恋次は大きく咽返った。
体力も尽きた状態で、呼吸を止められ気を失わなかっただけでも奇跡だ。
大きく肩を上下させ派手に息を吸って吐き出す。体から失われた酸素を補うように何度も呼吸を繰り返す恋次を、手を離した白哉は唯黙って見ていた。

本当に、殺してしまおうと、思っていたのに。

そっと手を伸ばし再び恋次の頬へと触れると、ビクリと身構えた恋次は、それでも何もせず、白哉が頬を撫でるのを受け入れていた。首には痛々しい爪の跡。
未だに苦しさに呼吸を乱し、虚ろに泳ぎ未だ定まらない視点で、恋次は白哉を見ていた。

白哉は、湯に浸かるその体を腕の中へと引き寄せた。


「・・・愛しいのだ」
自分の衣服が濡れる事も構わず、強く抱きしめ呟く。

「愛しい」
どうしても手に入らないと分かっている。
この男は始めから自分など見てはいないと分かっている。
全てルキアの為。
未来永劫、手にする事など出来はしないその男を。

「貴様が、」


それでも、愛しくて。

「・・・っ・・・た・・ぃ・・・」
枯れてまともに発せられなくなっている声を、息を吐き出して必死に紡ぐのは己の名。


震える唇を動かして、咽を震わせて。
変わらず、真っ直ぐな眼差しを向けたまま―・・・。




紡がれた言葉は、どんな結末を私と貴様に与えるのだろう。





― 終 ―





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