寄雨
ぽつん。
額に冷たい感触を覚え、滴り落ちる汗と一緒に手ぬぐいで拭った恋次はふと天を見上げた。
月明かりが地面を明るく照らしていた筈の空は何時の間にか真っ黒な雲で見え隠れし始め、遠くから雷鳴が響いてくる。
周りを気にせず独りで鍛錬できる場所を探して、この広い草原までふらりと足を運んだ時には、沈み始めた夕日に雲が染まり、赤やオレンジや紫に色を変え、美しい情景を楽しめていたのに。
鍛錬を始めてからも、沈んだ太陽の変わりに青白い月明かりが夜の草原を静かに照らしていたのに。
ぽつぽつと肌に落ちてくる雨に、解放していた刀を戻し、鞘に納める。
「蛇尾丸…雨は嫌いだったよな。」
今日の鍛錬はこれで終わりだ。
そう、来た道を引き返した頃には、雨は本格的に降り始めていた。
一刻ほど前から降り始めた雨は休まる事も無く、ざぁざぁと地面に大きな水たまりを作り、屋根に当たる雨音が静かな部屋に響きわたっている。
開いていた本を閉じ、白哉はふと自室の入り口へと視線を移した。
…恋次が、来ない。
一定の周期を置いて、夜中に人目を避けて恋次は白哉の部屋へと趣いていた。
白哉が命令した訳でも無く、恋次が来たいと言った訳でも無く。
ただ、執務室では誰が見ているか分からないから。
恋次の部屋の周辺は白哉の部屋よりは人通りの多い場所だったから。
部屋というよりは屋敷と呼ぶに近い白哉の隊首室ならば誰にも知られる事は無いから。
2人だけの秘密の関係を続ける為の、暗黙の了解。
いつもならとっくに来ていても良い時間帯なのに。
霊圧を探ってみても近くに彼の気配は感じ取れない。
暇を潰す為に読み始めた本も、先ほど読み終えてしまった。
雨は、まだ止まない。
「遠出し過ぎちまったなァ」
雨宿りには丁度良い老木の下で、恋次は濡らさないよう胸にしっかりと抱えた蛇尾丸に呟いた。
返事は最初から期待していない。
空を見上げても月はおろか星さえも隠れてしまい、ただ漆黒の闇が広がるばかりで、どしゃぶりの雨の音だけが耳にうるさい。
こんな時に瞬歩が使えたら、あっという間に宿舎に帰れるのに。
アンタの元へ行けるのに。
そう思ってみた後で、薄笑いを浮かべて独りかぶりを降る。
…あの人は俺を待つ事はしない。
追いつこうと背中を追いかけても、届くことのない遠い存在の人だ。
それに、髪も服もぐっしょりで、こんな濡れ鼠のままで行ける訳が無い。
視界の悪さと雨足の強さに、一気に走って帰ろうとするのを諦めて、雨が弱まるまで待とうと思ってこの老木の下に避難してから、かなりの時間が経っている。
早く風呂に浸かって体を暖めないと、夜の雨の冷たさで風邪を引いてしまうかもしれない。
ぶるっと身震いすると、ぎゅっと蛇尾丸を抱え直す。
実体化していない冷たい刀身でも、何も無いよりはマシだった。
幼い頃は、ルキアや仲間とよくこんな所で夜を過ごしたっけ。
住む家が無くても、寒くても、苦しくても。
こんな雨だって、こんな闇だって。仲間がいれば平気だった。
だが今は誰もいない。暗闇の中で独りきり。
弱まる気配の無い雨音が、より孤独感を強くさせる。
「…らしくねぇ」
強がって自分を一括してみても、自分の顔は今どんな表情をしているのだろうか。
アンタに会いたい。
会えなくてもいいから、せめて傍にいるという実感が欲しい。
こんな暗闇じゃアンタを追いかける事さえできやしねぇ。
「………」
唇の動きだけで呟いたアンタの名前は、雨の音に溶けて俺の耳にも届かなかった。
ずる…と木の根元に腰を落とすと、立ちっぱなしの足がじぃんと痛みだす。
…らしくねぇ。
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「恋次」
その声に鼓膜が、鼓動が跳ねる。
周りの雑音にかき消される事もなく、やけに鮮明に、はっきりと澄んで。
「……朽木…隊長」
目の前に現れた白い影に一瞬、幻かと自分の目を疑った。
「何をしている。」
暫くの沈黙の後、先に言葉を投げたのは隊長から。
そういう隊長こそ。なんて格好…。
傘さえささずに、こんなに濡れて、こんな時間にこの場所に?
そのセリフは俺のっすよ。
「雨宿りですよ。こんな土砂ぶりなんで弱まるのを待ってるんです。」
「隊長こそ、こんな時間に外出っすか?」
「いや」
また沈黙。何なんだよ。
何か言って下さいよ。気まぐれに散歩だとか。別な用でたまたまだとか。
俺に用なんか…無ぇんだって。
傘が無いならこっち来て雨宿りして下さいよ。
なんでそんな、つっ立ってるんスか。
何で俺の前にいるんスか。
まるで、俺に用があるたみたいに。
「2冊目も読み終えてしまったのだ」
「……?」
「お前を待つのには飽きた。だから」
迎えに来た。
立て。と延ばされた手を握り返すと割と力強くて。
あぁ、なんか俺。拾われた捨て犬みてぇ。
「恋次」
その声が。
近づいてくる、アンタが。
握っている手が。
いつものように触れてくる唇が、濡れて冷えきった体に温かくて、雨で濡れた不快感も気にならないくらい。
あれだけうるさかった雨の音が止んだ。
否、聴覚がまともに機能しなくなったんだ。
アンタの声が、耳の奥で、頭ん中で、何度も何度もリピートされて。
心地良い響き。
「隊長、帰りましょう?」
名残惜しいけど、こんな状態で風邪でも引かれたら俺が困る。
早く濡れた着物を脱がないと。
そう言ってやんわりと指を解くと、そのまま腰を引き寄せられて、目の前の景色が一変する。
きっと行き先は隊首室。
やっぱり便利だよな。瞬歩って。
後で隊長にそれを言ったら、早く覚えろと怒られた。
わが背子に
恋ひてすべなみ
春雨の
降るわき知らず
出でて来しかも
Fin...
【あとがき】
3900HIT 春音様リク。
甘い系白恋です。私の書く甘いはコレが精一杯でっす!
裏はごめんなさい。ない方が綺麗にまとまったんで入れませんでした(汗)
最後の詩は万葉集の「寄雨」相聞歌から。
てか春雨じゃないケドネ!どしゃぶりで真っ暗だけどネッ(笑)キニシナイ。
意味は、「あなたに恋こがれて、どうする事もできなかった。春雨が降っていることにもかかわらず思わず私は外に出てきたのです。」
つたない文ですが、気に入っていただける事を願って。
リクありがとうございました!!
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